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Nina Simone──私は自由



 '65年のニーナ・シモン版で有名なポピュラー・ソング「Feeling Good」。アントニオ・カルロス・ジョビンが書いた自由連想ソング「Waters Of March」からこの歌を連想した。開放的で平和な自然の光景を列挙しながら、生きることの歓びをストレートに表現した歌である。ストレートではあるが、単純な歌ではない。“今日は天気が良くて気持ちいいなー”というようなハッピー・ソングではないのである。以前から取り上げたいと思っていた作品なので、「Waters Of March」に続いて歌詞を和訳することにした。


 Feeling Good
 (Leslie Bricusse/Anthony Newley)
 
 大空を飛ぶ鳥たち ほら この気持ち
 空には太陽 ほら この気持ち
 吹き抜けるそよ風  ほら この気持ち
 新たな夜明け 新たな一日 新たな人生が私に
 新たな夜明け 新たな一日 新たな人生が私に
 最高だわ
 
 海を泳ぐ魚 ほら この気持ち
 淀みなく流れる川 ほら この気持ち
 木に咲いた花 ほら この気持ち
 新たな夜明け 新たな一日 新たな人生が私に
 最高だわ
 
 日向ぼっこするトンボ ほら わかるでしょ
 愉しそうな蝶々たち ほら わかるでしょ
 一日を終えてすやすや眠る そうでなくちゃ
 生まれ変わった新たな世界 驚きに満ちた世界が私に
 
 きらめく星たち ほら この気持ち
 松の香り ほら この気持ち
 自由は私のもの そう この気持ち
 新たな夜明け 新たな一日 新たな人生が私に
 最高だわ
 
 
 大空を飛ぶ鳥たち、空の太陽、吹き抜ける風……。自然界の様々なものは、何に束縛されることもなく、自由である。鳥は鳥として、魚は魚として、トンボはトンボとして、皆あるがままこの世に存在している。そして、それらを眺めている“私”。

 印象的なのは、最後に出てくる“自由は私のもの(Freedom is mine)”という一節である。この歌はまるで、ずっと鎖に繋がれていた人間が遂に自由を獲得し、シャバの空気を吸った気持ちを歌っているように聞こえる(プリンス『EMANCIPATION』のジャケットを連想したい)。歓喜溢れる開放的な歌詞に反して、曲調は意外にも憂いに満ちた重苦しいブルースである。単純に曲だけ聴くと、とても空に太陽が輝いているようには思えない(オスカー・ブラウン・Jr「World Of Grey」を連想したい)。自由を手にした歓びと同時に、この歌は“私”が経験してきた過去の年月の重みを感じさせる。なぜ重いのか。それは、この歌の出自を知ると納得がいく。

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Cy Grant featuring Bill Le Sage - CY & I (1965)
Original Broadway Cast Recording - THE ROAR OF THE GREASEPAINT (1965)


 「Feeling Good」は、「Who Can I Turn To」「The Joker」といった有名曲も生んだ『ドーランの叫び〜観客の匂い(The Roar of the Greasepaint - The Smell of the Crowd)』という'64年初演のイギリスの社会風刺ミュージカル(脚本/作詞/作曲:レスリー・ブリッカス&アンソニー・ニューリー)の挿入歌として書き下ろされた。あらすじ劇評を参照する限り、このミュージカルは2人の白人男──勝ち組のサー(Sir)と負け組のコッキー(Cocky)──を主人公に、イギリスの階級(格差)社会の理不尽さを描いている。2人は人生という名の“ゲーム”で対決するが、サーの謀略によってコッキーは常に貧乏クジを引かされ、仕事においても恋においても絶対にサーに勝つことができない。両者の格差は広がり続ける。ゲームのルールは常に勝者によって決められるため、敗者はいつまでも敗者のままなのだ。物語終盤、一人の黒人青年(Negro)が現れ、負け組に甘んじていたコッキーに形勢逆転のきっかけをもたらす。コッキーは、社会の最下層にいる黒人青年が(勝ち組のルールを無視して)自分たちを出し抜いたのを見て奮起し、最終的にサーを追い詰めることになる。「Feeling Good」は、その黒人青年によって歌われる勝利と解放の歌だった。要するに、この歌は社会的に虐げられた者の凱歌として生まれた。

 '64年の初演版で黒人青年を演じたのは、ガイアナ出身の英黒人俳優/歌手、サイ・グラント Cy Grant。バイオやルックスを参照する限り、“イギリス版ハリー・ベラフォンテ”といった感じの人物である(歌手としては主にカリプソを歌って人気を博していたようだ)。初演版キャストによる録音は残されていないが、サイ・グラントは英ジャズ・ピアニストのビル・ル・セイジと組んだ自身のアルバム『CY & I』(1965)で「Feeling Good」を歌っている。哀愁漂うブルージーな歌唱と気怠いジャズ編曲には、ニーナ・シモン版に勝るとも劣らない深みがある。舞台で演じられた時の編曲とは異なるだろうが、非常に魅力的なヴァージョンだ(是非ともアルバムを聴いてみたい歌手だが、残念ながらサイ・グラントのLPは全くCD化されていない)

 イギリスで不発に終わった『ドーランの叫び〜観客の匂い』は、翌年にブロードウェイで上演されてかなりのヒットを記録した('65年5〜12月。計231公演)。ブロードウェイ版で黒人青年を演じたのは、米黒人俳優/歌手のギルバート・プライス Gilbert Price(ラングストン・ヒューズに寵愛されていた人物)。ブロードウェイ版に関してはオリジナル・キャスト録音盤があり、それを聴くと、プライスはサイ・グラントとはまた趣の異なるオペラ唱法でこの歌を力強く歌い上げている。ポール・ロブソンが歌った「Go Down Moses」や「Ol' Man River」を思い出させるようなヴァージョンだ。サイ・グラント版とギルバート・プライス版、これら2つが「Feeling Good」のオリジナル録音版に当たる。

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Nina Simone - I PUT A SPELL ON YOU (1965)
John Coltrane - THE JOHN COLTRANE QUATET PLAYS (1965)
Jean DuShon - FEELING GOOD (1965)
Sammy Davis Jr. - THE SAMMY DAVIS JR. SHOW (1966)


 「Feeling Good」、また、それを歌う黒人青年のキャラクターは、時期的に見て、明らかにアメリカの公民権運動に触発されて書かれている。イギリスの白人劇作家が書いた“擬似黒人民謡”は、'65年、アメリカに輸入されて本物の黒人民謡になった。公民権法が成立した直後のアメリカで、「Feeling Good」は、新たな時代の幕開けを象徴するフォーク・ソングとして一気に広まったのである。

 ニーナ・シモンはアルバム『I PUT A SPELL ON YOU』でいち早くこの歌を取り上げた('65年1月録音)。彼女のヴァージョンはブルージーであると同時に非常に闘争的で、サイ・グラント版ともギルバート・プライス版とも異なる独特の緊張感に満ちている。大地を踏みしめながら一歩一歩前進していくような重く力強いビート。“Freedom is mine”の一節を歌う声の揺るぎなさ、エンディング部分での異様な熱気を孕んだスキャットに圧倒される。歓喜、悲哀、渇望、苛立ちが渾然一体となったニーナの歌唱は、自由と解放を求める当時のアフリカ系アメリカ人たちの心情を代弁するものだっただろう。まるで、この歌はこう歌え、と言っているようだ。この歌をスタンダードにした決定的解釈である(ちなみに、同アルバムで彼女は『ドーランの叫び〜観客の匂い』からもう1曲、童歌の「The Beautiful Land」を取り上げている。お気に入りのミュージカル作品だったのだろう)

 ニーナ版の他、当時のアメリカの黒人アーティストによる解釈では、『THE JOHN COLTRANE QUATET PLAYS』(1965)のジョン・コルトレーン版が特筆される。悲哀や郷愁を強く滲ませた彼の演奏は、解放に至るまでの長い道のりを思わせ、聴く者の胸を打つ。この歌の民謡的な側面にフォーカスした名演である。その他、ノーザン・ソウル調のアップテンポの編曲でブラック・パワーが弾けるジーン・デュション版(1965)、サイ・グラント版に近い雰囲気を持つサミー・デイヴィス・Jr版(1966)などもあわせて聴いておきたいところだ。

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Julie London - FEELING GOOD (1965)
Chris Connor - SINGS GENTLE BOSSA NOVA (1965)


 この歌は当時、ジュリー・ロンドンクリス・コナー(ボッサ・ジャズ調の好編曲)ボビー・ダーリンジャック・ジョーンズといったジャズ〜ポピュラー系の白人歌手によってもさかんに取り上げられた。それだけ普遍性のある作品だったということだろう。「Feeling Good」は、人種に関係なく、自由の尊さを歌った歌としてスタンダード化した。それ自体はもちろん素晴らしいことだし、いかなる解釈も自由であるべきだが、たとえば、マイケル・ブーブレミューズといった白人アーティストによる近年の著名なカヴァー版を聴いて、この歌がもともと持っていた意味や、その歴史的背景を感じ取ることは難しいように思う。虐げられたブラック・ディアスポラの凱歌としてこの歌が生まれたこと、そして、ニーナ・シモンの解釈がなぜ決定的だったのか、私たち音楽ファンは知っておくべきだろう。



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※この記事は、もともと記事番号(URL)471で投稿され、'16年8月1日にfc2によって凍結された記事を、テキストの一部を削除した上、新たなURLで再投稿したものです。詳しくは“お知らせ:凍結記事復刻について”をご覧ください。

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