2015.09.30 Wed
D'Angelo and the Vanguard @ Zepp Tokyo 2015

ディアンジェロ&ザ・ヴァンガードのコンサートを観た。
'15年8月18日、ゼップ東京で行われた一夜限りの単独公演。ひとことで感想を言うと、楽しかった。無茶苦茶に楽しかった。凄かった、素晴らしかった、と言うこともできるが、それ以上に、楽しかった、と心の底から言いたい。コンサートを観た、と便宜的に書いたが、観たと言うより、私は彼らのコンサートに“参加した”。もちろん、ステージに上がったわけではない。しかし、この“参加した”という感覚は、あの日、あの会場にいた人なら誰でも分かると思う。英語で言えば、We got up, got into it, got involved。分かりやすく言えば、I screamed, you screamed, we all screamed for ice cream。そういうことだ(って、どういうことだ?)。
DANCING WITH MR. D──Dさんと踊った夜

ビュッフェより断然アラカルト派で、夏のアウトドアが死ぬほど苦手で、何より、ディアンジェロを観るためだけに15,500円の1日券を買えるほどリッチでない私にとって、サマーソニックは最初から問題外だった。早々と諦め、ディアンジェロのことは考えないようにしていた7月初頭、ゼップ東京での1日限りの単独公演が急遽決定。グッゴー!と私が叫んだのは、チケット発売日の7月18日から余裕で10日以上過ぎた頃だった。知らなかったのである(泣)。もちろん、チケットはとっくの昔に完売。全身にコールド・スウェットを感じた。Dの単独公演に行けないなんて、そんなアンポンタンでアンファンキーな話があるか。諦めきれなかった私は、結局、チケットを入手するために某サイトを利用するはめになった。シット、デイム、こんチキショー。9,000円のチケットを買うために、なんで俺は20,000円も払ってるんだ。サマソニよりも高いじゃないか。シャーデーのベガス公演(157.5ドル)よりも高いじゃないか。でも、ローリン・ヒルのビルボードライブ公演(40,000円)よりは安いじゃないか。ローリンの半額でディアンジェロが観られるなんてお得じゃないか、OK、OK、これでいいのだ!……と私は自分を欺いたのだった。
8月18日(火)。穏やかな残暑の夕方、だだっ広いお台場の敷地をキョロキョロと見回しながら、Dの待つゼップ東京へ向かう。会場手前の橋の上で、“チケット譲ってください。一緒に「Brown Sugar」歌いたいです!”と書かれた紙を持って立っている女の子を見かけた。“チケット譲ってください”という日本語メッセージを持ってうろうろしている白人男性もいた。当日、会場周辺にはそういう人たちがたくさんいた。一縷の望みを胸に、都心から離れたお台場までわざわざやって来たのだ。私の歩いた範囲に関して言えば、ダフ屋は一人もいなかった。“売り”はなく、あるのは“買い”のみである。ゼップ東京の最大収容人数は約2,700人。チケットは瞬時に売り切れ、ネットでは最終的に7万円を超える高値も付いたと聞く。フェス廻りのタイトなスケジュールの中、1日だけでも単独公演が実現したのは素晴らしいことだが、今のディアンジェロならゼップで3日間くらいやっても完売になったと思う。あぶれた多くのファンを救済する方策は何かなかったのか。'80年代の末頃だったと思うが、大スター時代のデヴィッド・ボウイが新バンドを結成し、アムステルダムのパラディソ(Dも出演したことがある有名なハコ。1,750人収容)でギグを行った際、チケットもなく詰めかけた数千人のファンのために、会場近くの広場に簡易スクリーンを設置して公演の様子を生中継するという異例の措置をとったことがあった。お台場にはいくらでも広い場所がある。“チケットを買えなかった大勢のファンのために会場の外でスクリーン中継をしたい”という申し出を、果たしてディアンジェロは拒むだろうか。固定カメラ一台で撮るだけでもいいのだ。10日くらい前から準備・告知し、同じことをやっていれば、興行主のクリエイティブマンは(何の利益も得られないが)後世まで語り継がれる伝説を作ることができたかもしれない。
会場にはあらゆる種類の音楽バカが集結しているようだった。年季の入ったソウル・ファン風の人、いかにもR&Bやヒップホップが好きそうなニイちゃんネエちゃん、インディー・ロックやクラブ・ミュージックで育ったような若者〜元・若者まで、様々な雰囲気の人がいたが、全体的に濃い感じの人が多かったのが印象的。“濃い感じ”というのは、要するに、マニアっぽい、オタクっぽい、ということである。話題になってるから何となく来ました的な、おシャレでカジュアルな感じの人間がいない。みんな飢えた犬みたいだった。雰囲気のヤバさ、アツさ、アクの強さという点では、近年、稀に見る群衆だったと思う。
入場待ちの行列は会場の裏手の道路まで伸びていた。整理番号900番台だった私は、頭上にゆりかもめが走る道路沿いの列の最後尾で延々と待たされ、ようやく入場できたのは、開演予定時刻の10分前である午後7時20分頃だった。入場の際、500円玉と引き換えに500円玉みたいなコイン型ドリンク券を渡されたが、開演間際のバーカウンターはカオス状態で、とても利用できる状況ではなかった。ドリンクは終演後に飲むことにして、喫煙所へ直行。煙草を吸いながらロビーの壁に目をやると、ローリン・ヒル、コモン、ブラック・スターらが出演するソウルキャンプの告知ポスター、そしてその横に、11月に行われるジャネットの14年ぶりの来日公演の告知ポスターが貼ってあった。ジャネットが来ることを私はそこで初めて知った。シット、デイム、こんチキショー。今年の秋冬、私はサラ・バラス、アンダルシア・フラメンコ舞踊団(ソウルキャンプと同じ日。OMG!)、ロシオ・モリーナ、シルヴィ・ギエムの来日公演で一杯一杯なのだ。その上、ディアンジェロにまさかの2万円を払ってしまった。なんでみんな一気に来るんだ!
※この記事を書いている最中、更にリズ・ライトとミゲルの来日公演(いずれも11月)が決定した。12月の『CHICAGO』を観るかどうかで悩んでいたのに……。もう、マジで勘弁して欲しい。
THE UNEXPECTED──予期せぬ前座


J・ディラ『WELCOME 2 DETROIT』(2001)『DONUTS』(2006)
1階フロアは既に大勢の観客で埋まっていた。場内をぶらぶらと歩き回った後、私は比較的空いていた左サイドから最前ブロックまで行き、最後列の隅っこで柵を背にして待機することにした。ゼップ東京のような広いスタンディング会場の場合、フロアが柵でいくつかのブロックに仕切られている。各ブロックの最後列と柵の間には必ず隙間ができる。最初は人で埋まっていても、開演すればみんな自然と前へ詰めるので、柵を背にして立っていれば、最終的に隅っこから中央付近まで潜り込むことができるのである(『攻略!ライブハウス〜知って得する99のコト』より)。実際、この日も潜り込めた。ステージとの距離は10メートルくらい。座席付きのホール会場だったら余裕で10列以内の位置だ。整理番号900番台というハンディはほとんど関係なかった。
開演前の場内には、ソウルクエリアンズ時代の同志、J・ディラのトラックがずっと流れていた。『WELCOME 2 DETROIT』と『DONUTS』からの曲が、シャッフル再生のような感じで次々とランダムに流れた(短時間の内に「It's Like That」がなぜか二度もかかった)。開演時刻を過ぎても一向に始まる気配はなく、ひたすらディラ・タイムが続く。待たされることには慣れっこのはずのDファンも、20分を経過したあたりから曲の変わり目で騒ぐようになり、30分を経過したあたりからは、逆に、みんなDとの無制限の根比べを覚悟したのか、ただじっとディラのビートに耳を傾けていた。結局、観客は開演予定から43分後の8時13分までJ・ディラを聴き続けた(その時の正確なトラックリストは過去記事参照)。
43分というのは前座の演奏時間にも相当する長さである。'00年の〈VOODOO〉ツアー時、ディラはスラム・ヴィレッジとしてDの前座を務めたが、結果的に、彼は今回も同じようにDの前座を務めたことになる。延々とディラの曲が流れ続けたのは、決して時間が押したからではなく、彼に前座を務めてほしいというDの願いゆえのことではないか。40分という尺は実は最初から決まっていたのではないか……というのは、もちろん私の都合のいい解釈に過ぎない。今回の43分押しは、普通に考えれば客入れの遅れが原因だろう(ゼップ東京の1階フロアはスタンディングで最大約2,400人を収容する。整理番号900番台だった私が入場できたのが開演10分前。その後に1,500人も入場させるなら、40分くらい押しても不思議はない)。とはいえ、私にはこの偶然が必然のように感じられて仕方なかった。その2時間後、ショウを締め括ったDのパフォーマンスを見て、開演前に延々と流れたディラのトラックに単なるBGM以上の意味があったことを感じずにはいられなかったからである。恐らく、Dはディラに対して今も強い仲間意識を持っている。前座として、あるいは、ヴァンガードの一員として、Dは自分のステージにディラを迎え入れたかったのではないだろうか。後から思えば、ショウは定刻の7時30分からしっかり始まっていた。
IT'S GONNA BE A BEAUTIFUL NIGHT──素晴らしい夜になる

ヤオ〜ン!──ファンク怪獣登場
8時13分、ディラの「Gobstopper」が終わると客電が落ち、メインアクトのザ・ヴァンガードの面々が遂にステージに登場した。薄暗い照明の中、Dを除くメンバー10人が左袖から落ち着いた様子で次々と現れ、各自の持ち場についていく。'06年3月5日、東京国際フォーラムの薄暗いステージに、JBのバンド、ソウル・ジェネラルズの面々がぞろぞろと現れた時の興奮を思い出した。これからとんでもないことが起こる。ヴァンガードのメンバーたちがステージに現れた時点で私は既に感動していた。
オープニングはアルバムと同じく「Ain't That Easy」。ジミヘンのフィードバック・ノイズのような不穏なSE(ステージ上のセットリストには「Drone」と記されている)に続き、あのオフビートのギクシャクした脱臼リフが爆音で響き渡る。アルバム以上にハードエッジな演奏と、予想以上にデカい音量にいきなり度肝を抜かれた。執拗にリフが繰り返される中、白ハットを目深に被ったDがギターを弾きながら颯爽と登場。劇的なブレイクと共に観客に背を向けて仁王立ちする。こちらを振り向いて歌い出した瞬間、それまで広いブリムに隠れていた彼の輝くような笑顔が客席に降り注いだ。レコード以上に鮮明で、活力が漲った生々しい歌声。そして、それを掻き消すほどの大歓声。色んな人たちの色んな思いがひとつになって、一気に爆発した瞬間だった。“Finally beloved we meet at last / Middle of the here, never mind the past(めでたく諸君とご対面/このさい過去は忘れよう)”──これは「Ain't That Easy」ではなく、プリンス「Funknroll」の歌い出しだが、満面の笑みで歌い始めたDは、日本の観客に向かってまさにそう言っているようだった。あの瞬間の歓喜は忘れられない。

「Ain't That Easy」──フライングVでソロを弾くジェシー・ジョンソン(右)
「Ain't That Easy」は、マリファナでヘロヘロになったビートルズがプリンスの「Strange Relationship」を演奏しているような曲だが、ライヴでは華やかなホーンを加え、よりソウル〜ファンク色の強いサウンドに変わっていた。枝や木をバキバキと踏みつけながら、道なき道を突き進む重戦車のような駆動力。Dの多重録音ヴォーカルを再現する3人のバック・ヴォーカル隊も強烈だ。終盤では、'12年の復活ツアーからD戦隊でファンクんロール佐官を務めるジェシー・ジョンソン(ザ・タイム)のギラギラしたギター・ソロをフィーチャー。そのジェシーから貰ったというミナリークの黒い変形ギター──武器にしか見えない──は、プリンスのマッドキャットやクラウド・ギターのように、すっかり現在のDのトレードマークになっている。ロングコート+つば広ハット on バンダナ頭というプリンス・ルック(MV「America」参照)でこれを弾く巨漢Dは、まるでメカゴジラ化したプリンスか、武器を楽器に持ち替えたマッドマックスのように見えた。ライヴ映画『ディアンジェロ〜怒りのデス・ファンク』の公開が待たれる。
そのままメドレーでなだれ込んだ2曲目は、D戦隊のテーマ曲となるインスト・ファンク「Vanguard Theme」。彼らのオリジナルであるはずのこの曲に猛烈な既聴感を覚えるのは、ホーンやギターの奏でるメイン・リフが、Pファンク軍団のテーマ曲「P. Funk (Wants To Get Funked Up)」の歌メロにそっくりだからだろう。ギターを置いてマイクを掴んだDが観客に訊ねる。“トーキオ、ジャパン! 俺の新しいバンドの名前、知ってっか?! 俺の新しいバンドの名前、知ってっか?! 3つ数えたらバンド名を言ってくれないか。いいか? いいか? 1、2、3……”というDの合図で、観客が揃って“ヴァンガード!”と絶叫。これが決まったのは素晴らしかった。最新曲で勢い良く幕を開け、インスト曲に繋いでファンク度アップ、というこの冒頭の流れは、オリジナルJBズを従えたJBの'71年オランピア公演の必殺オープニング(「Brother Rapp」〜「Ain't It Funky Now」)を彷彿させる。JBが腕をひと振りするだけでBPM180から120まで一瞬で減速するJBズのような神懸かり的な結束力はないが、JBのバンドほど縛りがキツくない分、ヴァンガードの演奏には、各人が自然に持ち味を発揮できる自由さと、それゆえの予想のつかない爆発力があると思う。Dはメンバーを鎖で繋がず、ジョージ・クリントンのように放し飼い主義でバンドをまとめる。D自身もJBのような計算された立ち回りはせず、“アォゥ!”、“ウッ!”、“ヤオ〜ン!”など、ファンク怪獣に特有の奇声を発しながら伸び伸びとステージを動き回る。

ステージ左奥にクリス・デイヴ&ピノ・パラディーノの強烈なリズム隊
特攻野郎Dチームの構成員は、ステージ左側にドラム、ベース、ギター、男性バック・ヴォーカル2名、中央後方にD用のキーボードを挟んで、右側にギター(ジェシー)、キーボード、サックス、トランペット、女性バック・ヴォーカルという全10名。Dチームの“ジェイムズ・ジェマーソン”として『VOODOO』期から屋台骨を支え続ける英国出身の名セッション・ベーシスト、ピノ・パラディーノ(サングラスをかけて黙々と演奏する姿がカッコいい)、そして、ロバート・グラスパーやアデルの大ヒット作に参加し、ヒップホップ、R&B、ジャズの間を自由に行き来する人気ドラマー、クリス・デイヴ。今回の公演はこの凄腕リズム隊2人に対する注目度がとても高く、客席からも“ピノ!”、“クリス!”という声援がしきりに飛んでいた。
個人的に最大の注目メンバー──と言うか、注目したかったメンバー──は、何と言っても、女性バック・ヴォーカルのジョイ。'94年にダラス・オースティンのプロデュースでデビューし、メイシー・グレイやケリスの先駆けのような存在だったアトランタ出身のベティ・デイヴィス系ファンキー・ディーヴァである(ジャネール・モネイとも仲が良い)。Dの〈VOODOO〉ツアーで前座も務めたルーシー・パールに、一時、ドーン・ロビンソンの後釜として在籍していたこともある。ジョイは、ずっとヴァンガードのメンバーだったケンドラ・フォスター(Pファンク軍団出身。Pファンク・オールスターズの'05年作『HOW LATE DO U HAVE 2BB4UR ABSENT』にはケンドラとジョイが揃って参加)の後任として、'15年7月3日の欧州ツアーからバンドに加入していたのだが、私はこの交代劇を事前に知らなかった。彼女はステージ右端で切れ切れのアクションで歌い、終始ものすごい存在感を放っていた。あれは一体、誰なんだ。終演後にネットで調べ、それがあのジョイだと分かった時は本当にぶったまげた。この人の公演だけでも観たいくらいなのに、それがまさかバック・ヴォーカルだなんて……。一体、どんだけ豪華なんだ(もっとよく見ておけばよかった!)。これほどのメンツでツアーをやるなら、いっそのことJBのショウのようにレヴュー形式にして、最低でも3時間くらいはやってほしい。

「Spanish Joint」──鍵盤を弾きながら熱唱するD
「Vanguard Theme」からギアチェンジしてなだれ込んだ3曲目は、新譜収録のクールなジャジー・ファンク「Betray My Heart」。サビを歌いながら両手で左胸の位置にハートの形を作るDのアクションが良い。メロディと歌詞が引き立ち、曲のフィーリングがレコード以上にグッと迫ってくる。なんていい曲なんだ!
この曲ではクリス・デイヴのドラム演奏が光っていた。バラけたリムショットをサンプリング・マシンのような正確さで叩き続ける技術からして驚異的だが、その合間に鬼のように鋭いオカズを入れてくる。ブレイクビーツのループの合間に全く別のドラム・ブレイクがいきなり挿入される感じ、とでも言えば伝わるだろうか。サンプリングを基にしたヒップホップのトラックでは、ブレイクビーツのループに不自然な乗りが生じたり、ビートと上ネタのテンポがきっちり合わなかったりすることがよくある。そうした微妙なズレやブレが逆に面白いということになり、クオンタイズを使わずに手打ちでビートで組むJ・ディラのようなトラックメイカーが現れ(ヒップホップ世代のそうした新たなリズム美学は、Dの『VOODOO』『BLACK MESSIAH』にはっきりと表れている)、今度はそれを人力で叩いてやろうというドラマーが現れる。数ヶ月前に観たリヴ・ウォーフィールドの来日公演では、タロン・ロケットというドラマーがJB「Funky Drummer」のループを生で正確に再現し、徐々にフレーズを分解しながら人力ドラムンベース状態に持っていくというソロを披露していた。現在の黒人音楽系ドラマーにとって、そういうサンプリング感覚はもはや必須と言っていいかもしれない。クリス・デイヴはその手のドラマーの代表格とされている人で、今回の来日公演でも、タイトなプレイの中に時おり脱臼したような変なフレーズを挟み、観客を大いに沸かせていた。
そして、間髪入れずに「Spanish Joint」! Dはステージ後方に移動し、鍵盤を弾きながら熱唱。『VOODOO』収録のこの激クールな高速アフロ・キューバン・ファンク曲は、密室的なオリジナル版とは大きく異なる開放感に溢れた演奏が印象的だった。トランペット&サックスの2管が熱い! 中盤では、アイザイア・シャーキー(クリス・デイヴのユニット、ドラムヘッズにピノ・パラディーノと共に参加している若手ギタリスト)がセミアコで流れるようなソロを披露。かつてのNPGにおけるリーヴァイ・シーサー・Jrのような感じで、ジャジーな曲になると彼に出番が回ってくる。疾走感溢れるバンドの演奏に、私の身体もいつしか小刻みに揺れていた。

「Really Love」──ポンチョ姿で歌うスパニッシュD
怒濤のメドレーが一段落ついたところで、場内に優美なストリングスの調べが響き渡る。コンサート前半のクライマックス「Really Love」への序奏である。1分40秒に及んだこのストリングスのSEは、セットリストに「Clare Fischer Interlude」と記されていた(綴りが間違って“Claire”となっていたが)。
クレア・フィッシャー(1928〜2012)は、ラテンやボサノヴァを得意としたアメリカの白人ジャズ鍵盤奏者/作編曲家。独特の優美で幻想的なストリングス編曲で有名な人である。ルーファスのドラマーだったアンドレ・フィッシャーはクレアの甥で、その縁から彼は'70年代にルーファスの諸作でストリングス編曲を手掛けるようになり、やがてポップ・ミュージック業界──特にR&B系のアーティストたち──から頻繁に編曲仕事を依頼されるようになった。中でも最も有名な顧客はプリンスである。『PARADE』(1986)でプリンスはクレア・フィッシャーにオーケストラ編曲を発注し、その結果、プリンスの音楽はそれまでとは別次元のものになった。アルバム冒頭から広がるあの万華鏡のようなサウンドスケープは、クレア・フィッシャー抜きにはあり得なかったものである。以後、プリンスは長年にわたって彼に編曲を依頼し続けた。クレア・フィッシャーがオーケストラ/ストリングス編曲を手掛けた主なプリンス作品には、他に「Crystal Ball」「Slow Love」「The Future」(「Crystal Ball」」のストリングスをプリンスが独自に流用)「Graffiti Bridge」「Damn U」「Pink Cashmere」「Te Amo Corazon」などがある。ザ・ファミリー『THE FAMILY』(1985)、ジル・ジョーンズ『JILL JONES』(1987)といったプリンス・ファミリーの作品も彼の仕事だ(プリンスがフィッシャーに編曲を発注したのは『THE FAMILY』が最初と思われる。そこで様子を見てから『PARADE』を依頼したのだろう)。
クレア・フィッシャーの編曲仕事で個人的に印象深いのは、何と言っても、ロバート・パーマーの'88〜92年の諸作である。中でも、フィッシャーがすべての編曲を手掛けたジャズ・ヴォーカル作『RIDIN' HIGH』(1992)は、その独特な編曲センスが遺憾なく発揮された名盤だ。幻惑的、魔術的、異国的……クレア・フィッシャーのサウンドにはそのような形容が似合う。どこか遠い異世界へ連れていかれるような、魔法がかった美しい音色。『RIDIN' HIGH』はパーマー・ファン(と言うよりは、ロック・ファン?)からほとんど無視されている作品だが、彼のキャリアの中でも屈指の傑作だと私は思っている。プリンスやディアンジェロのファンにも、クレア・フィッシャー繋がりで是非聴いてほしい(参考として、以下にクレア・フィッシャーの編曲作品をいくつか挙げておく。その特徴的なサウンドを確認してほしい)。
Rufus featuring Chaka Khan - Egyptian Song (1977)
The Jacksons - Push Me Away (1978)
Robert Palmer - She Makes My Day (1988) ※「Slow Love」のストリングスと聴き較べよう
Robert Palmer - Between Us (1988) ※ガチでクレア・フィッシャー!
Robert Palmer - You're My Thrill (1990) ※これぞクレア・フィッシャー!!
Robert Palmer - Want You More (1992) ※世界よ、これがクレア・フィッシャーだ!!!
Tony Toni Toné - Anniversary (1993)
Art N' Soul - Special (1996)
Kirk Franklin feat. LaKisha Grandy - He Loves Me (1998)
Michael Jackson - This Is It [Orchestra Version] (2009) by Clare and Brent Fischer
ストリングスの魔術師、クレア・フィッシャーには、その衣鉢を継ぐブレント・フィッシャー(1964〜)という息子がいる。ブレントは、プリンスの『PARADE』から父親の編曲仕事を手伝うようになり(依頼主から送られたテープを聴き、ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムのフィルインに至るまで、あらゆるパートを譜面に書き起こすのが当時の彼の役目だったという。クレアはそれを見ながら音を加える位置を考えた)、やがて、父親が断った編曲仕事を引き受けたり、父親と共同で編曲作業をするようになった。『BLACK MESSIAH』のストリングス編曲は、長年にわたって父親と音楽活動を共にしてきた、そのブレントが手掛けている。ディアンジェロはプリンス作品のフィッシャー・サウンドに憧れ、同じ魔法が使える息子のブレントに編曲を依頼したのだろう。「Really Love」は、ブレントによる父親譲りの優美なストリングス編曲が冴えた逸品である。会場で流れたストリングスSE「Clare Fischer Interlude」は、スタジオ版で聴ける序奏のアウトテイクと思われる。息子ブレントによる、クレア・フィッシャー印の見事なサウンドだった。
ストリングスの序奏が終わると、アイザイア・シャーキーによる哀愁溢れるアコギ演奏がスペインの異国情緒を盛り上げる。「Really Love」は『BLACK MESSIAH』の中で個人的に最も好きな曲。『VOODOO』直後に書かれたというこの美しいスパニッシュ調バラードは、同時期に発表されたシャーデー「King Of Sorrow」(2000)や、MJ「Whatever Happens」(2001)、そしてもちろん、クレア・フィッシャーが手掛けたプリンス「Te Amo Corazon」(2006)を思い出させる(暇人であれば、マイルス・デイヴィス『SKETCHES OF SPAIN』や『MUSIC FROM SIESTA』まで思い出すかもしれない)。
ポンチョを着てステージに戻ってきたD。彼がファルセットで歌い始めた瞬間、場内がドッと沸いた。とんでもなく素晴らしい歌声だった。何の加工もされていない、剥き出しの声がダイレクトに胸に迫ってくる。おかしな話だが、生で聴いて、私はディアンジェロのことを初めて“歌手”だと認識したかもしれない(では、それまで一体何だと思っていたのかと考えれば、私はDのことを“演奏家”──ロジャー・トラウトマンのように自分の声を楽器として使う“ヴォイス・プレイヤー”──として捉えていた気がする。彼の歌声は“Dボックス”という特殊な装置を通して人工的に発せられていて、本当の声は別にあるように錯覚していたというか。多重録音を駆使した特異な音響処理がそのように感じさせるのだ)。彼の歌声の生々しいヴァイブレーションに私は恍惚となった。ズンズンと身体に響いてくるピノ・パラディーノの寡黙なウォーキング・ベースも最高に心地よい。大音量で美しい音に包まれる幸福。ステージを眺めながら、私は4年前にシャーデーのショウで「King Of Sorrow」を爆音で聴いた時の感動を思い出していた。終盤ではシャーキーがアコギでジャジーな速弾きソロを披露。Dのスキャットに彼がアドリブで応じる展開にもライヴならではの良さがある。北米から中南米を経由して最後にスペインへ辿り着く「Betray My Heart」〜「Spanish Joint」〜「Really Love」という前半部のジャジーでロマンチックな流れはとにかく素晴らしかった。

「The Charade」──ギターを掻き鳴らすロッキッシュD
コンサート中盤に披露された「The Charade」は、歌詞、サウンド共に現在のDを代表するような曲。『BLACK MESSIAH』の中で最もロック色の強いこの曲は、同時に、プリンスの影響が最もストレートに表れた曲でもある(具体的に言うと、「I Could Never Take The Place Of Your Man」と「The Cross」に似ている)。'12年初頭の復活ツアーの時点で披露されていた曲だが、歌詞の社会的メッセージ──“All we wanted was a chance to talk / 'Stead we only got outlined in chalk(俺たちはただ話す機会がほしかった/チョークで身体を縁取られるのではなく)”──は、図らずもマイケル・ブラウン射殺事件をはじめとする'14年以降のアメリカの人種問題と呼応することになった。ケンドラ・フォスターと共作した歌詞について、Dは'15年のインタヴューでこう語っている。
「いかに現在進行形の問題かってことさ。俺があれを書いたのは、トレイヴォン・マーティン事件なんかよりも前のことなんだ。いまだ同じことに抗議が続いてるなんておかしいぜ。あの曲は一般的な社会のありさまを歌ったものだった。“話す機会(a chance to talk)”ってのは、要するに、きちんとした場で、自分たちの然るべき権利を主張する機会ってことさ。当時、俺とケンドラは(ジェイムズ・)ボールドウィンを読みまくってたんだ」(14 June 2015, Rolling Stone)
ライヴでは、クリス・デイヴがドラムセットの両脇にそびえるスパイラル・シンバルを“シャラ〜ン、シャラ〜ン”と交互に鳴らす長尺イントロ──「Little Red Corvette」か「Around The World In A Day」でも始まりそうな幻想的なムードが漂う──に続き、レコード以上にロッキッシュなパフォーマンスが展開された。観客もDと一緒に拳を突き上げてサビを合唱。後半では、ジェシー・ジョンソンがステージを左右に移動しながらギンギンのギター・ソロを弾きまくる。ジェシー、D、シャーキーの3人が並んでギターを掻き鳴らす姿はいかにもロックンロール。バンドは、プリンス「The Cross」の終盤を思わせる圧倒的なラウドさで延々と演奏を引っ張り続ける。もはや何が鳴っているのか分からない爆音の壁。私はあんぐりと口を開け、完全に棒立ち状態でステージを眺めていた。
'00年の〈VOODOO〉ツアーでは、コンサート中盤の「Shit, Damn, Motherfucker」で同様にロッキッシュなパフォーマンスがあった。今回の「The Charade」はその'15年ツアー版という感じである。「The Charade」も十分にアフロ・パンクだったが、15年前の「Shit, Damn, Motherfucker」は、実は今回の15倍くらいアフロ・パンキッシュで(最後にドラムセットの破壊までする)、できれば私はそれを生で喰らってみたかった。セットリストに関する私のささやかな不満はそれだけである。「The Charade」は現在のDの最重要レパートリーなので、「Shit, Damn, Motherfucker」が外されたことには納得している(あと、'15年ツアーではシャーキーの重要度が増したため、かつてほどジェシーにスポットが当たらなくなったのがちょっと残念。'12年ツアーではもっとジミヘンばりの鋭いプレイを披露していたが、'15年ツアーでは“ギンギンのソロを弾くためだけに存在するオッサン”みたいな印象が……)。

レッドゾーンを越えていくD
ここまでだけでも十分に凄いのだが、実はまだ序の口に過ぎない。本当にヤバかったのはここからである。長くて読んでられない、いつまで書くんだ、と言う人は、ここらで離脱してもらって構わない。私は書き続ける。この後、いよいよマザーシップが……ではなくて、ファンク怪獣Dが大暴れする!
「The Charade」でフロアが焼け野原状態になった後、1小節の必殺フィルインに続いて、クリス・デイヴがスウィング感のあるビートを叩き始めた。「The Charade」とは真逆の緩やかなファンク・ビートだ。ピノ・パラディーノがそこに、ギャング・スター「Step In The Arena」でお馴染みの野太いベース・ラインを加え、ファンク度がじわりじわりと上がっていく。そして、そこに乗っかるPファンク印のユル〜いホーン。ヴァンガードが演奏し始めたのは、なんと、フレッド・ウェズリー&ザ・ホーニー・ホーンズ「Four Play」(1977)だった。驚異の完コピである。人力サンプリングのような演奏に乗って、Dが裏声で“シュ〜ゥガ〜ァ、アァァ”というお馴染みのフレーズを歌い始めると、場内はどよめいた。「Brown Sugar」だよ〜ん!というオチだ。この意表を突くマッシュアップ、くそマニアックなDギャグに、一体、会場の何人が気付いたのだろう。いきなり観客にサビのフレーズ──女性客に裏声の“Sugar”、男性客に地声の“I want some of your brown sugar”──を歌わせた後、Dは「Four Play」に乗って、まるでラッパーのような勢いで「Brown Sugar」のヴァースを歌った。要するに、彼らはギャング・スターと同じことを、サンプリングを使わずに人力でやってみせたのである。「Four Play」は、フレッド・ウェズリーのPファンク時代の作品。ヴァンガードは、そこに更に、ブリッジとしてパーラメント「Sir Nose D'Voidoffunk」のリフを挿入していた。当然ながらハマり具合は最高である。とにかく気持ちいい。そのまま30分くらい延々とやり続けたら、ステージに本当にマザーシップが降りてきたかもしれない。この絶妙にユルいグルーヴはいつまでも踊っていられる。“セッ(Say)!”、“イヤァァァ!”、“ギェァァァ!”など、怪獣Dの咆哮もここからいよいよ凄みを増していった(余談だが、ギャング・スター「Step In The Arena」で「Four Play」と共にネタ使いされたホーニー・ホーンズ「A Blow For Me, A Toot To You」は、シャーデー「Feel No Pain」のドラム・ネタでもある)。
コンサート中盤までは割と冷静にステージを眺めていたが、この完全Pファンク仕様の「Brown Sugar」で、私はおかしくなった。身体の抑制が全く利かなくなり、自分でもビックリするくらい勝手に手足が動いていた。クリス・デイヴが「Four Play」のドラムビートを叩き始めた瞬間からヤバかった。完全にタガが外れてしまったのである。そうなると、隣の客に腕や足が当たっても気にならない。もはやステージもろくに目に入らない。爆音でビートを浴びながら、私はひたすら踊りまくっていた。
「Brown Sugar」の後、矢継ぎ早に始まった「Sugah Daddy」は、そんな私を更に狂わせた。『BLACK MESSIAH』からの1stシングルだったこの小粋なニューオーリンズ調ファンク──そのまま「Yes We Can」とメドレーにできそう──は、黒人音楽の伝統と精華をまざまざと見せつける驚異の長尺ヴァージョンで披露された。ステージ後方でゴキゲンなジャズ・ピアノを弾きながら歌った後、再び前に出てきたDがバンドを意のままに操り始める。“シャーキー!”、“ピノ!”とDが名前を叫べば、“はいよ!”という感じで各人が粋なソロを披露し、Dが指で1回、3回、5回などと合図を出せば、バンドが回数通りにヒット音を出す。演奏を中断して観客を煽った後、Dの“グッゴー!”の掛け声と共に始まった後半のファンク・ジャムは圧巻だった。
メンバーの名前を呼んでソロをやらせる、指示通りにバンドにヒットさせる、演奏の中断・再開を繰り返す……これらはいずれもJBやプリンスのショウでお馴染みの伝統的なファンク・マナーである。バンドに数を示して小節頭から回数通りにヒットさせる技──JB「There Was A Time」が起源と思われる──は、'80年代にプリンスがライヴ(「Baby, I'm A Star」「America」「Head」など)でよくやっていたもので、テレンス・トレント・ダービーやメイシー・グレイのような他のJB〜プリンス系ファンカーたちにも受け継がれている。Dは〈VOODOO〉ツアーでもやっていたが、今回のショウではこれが笑ってしまうほど徹底されていた。指でヒット数を示しながら歌い、ジャン! “アォゥ!” ジャンジャン! “アォゥ!”みたいなことを延々とやり続けるのである。スーパーくだらないのだが、これがスーパー気持ちいい。次は何回にしようかなあ、とDが考える場面があったり、時々、合図を見間違えて誰かが一発余計にヒットしてしまったりするのも楽しい(JBのバンドなら罰金ものだ)。
こんな古典的で単純なリズムのやり取りに、観客はなぜ我を忘れるくらい興奮したのだろう。その理由は、これと同じことをベッドの中でやれば分かる。女性が1回、3回、5回などと適当に数を示し、パートナーの男性に回数通り“ヒット”させる。なるべく2人で呼吸を合わせて、リズムをとりながらやった方がいい。女性はそのうち9回、17回などと数を増やしていくかもしれないが、何回であろうと男性は指示通りの回数を確実にヒットしなければいけない(できなかったら罰金)。これをひたすら繰り返す。女性は、数を言うのがもどかしくなったら“1万回!”とか言ってしまえばいい。この遊戯を楽しいと思わない人、真剣にやれない人は、恐らくファンクとは一生縁のない人だろう。要するに、Dは音楽を通してセックスの官能を表現していた。あるいは、セックスを含む、生きることそれ自体の歓喜、恍惚を表現していた。セックスをすることや生きることに古いも新しいもない。驚異的な肉体、驚異的な生バンド、驚異的な持続力で、Dは現代の観客にひたすらファンクの真髄を伝えていた。ムキムキの筋肉を晒しながら汗だくで叫ぶDには、まさしく“セックス・マシーン”という形容が相応しい。
この辺まで来ると、Dの咆哮は完全に表記不能なものになっていた。私も完全に狂っていた。ステージで何が起きていたかよく思い出せないのだが、途中から馴染み深いホーン・リフが聞こえてきて、“あ! JBの……なんだっけ、なんだっけ(「Ain't It Funky Now」だ!)”と思ったり、“I need some money!”というリフレインを聴いて、“あぁぁ! これもJBの……なんだっけ、なんだっけ(「You Can Have Watergate Just なんとかかんとか」だ!)”などと興奮したことは漠然と覚えている。JBやプリンスの十八番であるマイクスタンド芸──押し倒して手前に戻す──も度々見られた。1回、5回、1回、3回、9回……という具合に、様々な回数でバンドにヒットさせていたD。最後は“47½回!”という指示で見事にジャムを締め括った(最後の½回は裏拍に入る)。かつてプリンスは「Possessed」「Baby, I'm A Star」で“25回!”という指示をレヴォリューションに出していたが、今回のD&ザ・ヴァンガードはその記録を大きく上回ったことになる。14分に及ぶ白熱の「Sugah Daddy」を終えると、Dは“アリガトウ! Thank you, good night!”と言い残してステージを去った。
時計を見ると9時17分くらいだった。うぇー、まだ1時間ちょっとしかやってない。これじゃビルボードライブなんかと変わらないじゃん! D、俺はもっと踊りたいんだ。全然足りないよ。全然、ファンクが足りないよ。We need the funk! Gotta have that funk!

ファンクの伝道師、D
5分後、Dとバンドはステージに帰ってきた。ヤオーン!!! アンコール前の「Sugah Daddy」までが64分。しかし、ショウはその後、(アンコール待ちの時間も含めて)なんと50分も続いたのである。
クリス・デイヴがハイハットで16ビートを刻み始めた。そして、半音ずつ下降する特徴的なカッティング・ギター。キターッ、「Left & Right」!!! 爆発的に盛り上がる場内。オリジナル版よりもテンポの速いタイトな演奏に乗って、Dとバック・ヴォーカル隊が“Left, Right, Up, and Down”と唱えながら左右上下を手旗信号みたいな動きで指差す(“Left & Right 体操”と呼びたい)。途中から入ってくるメイシオ・パーカー風のサックスがくそカッコいい! 基本的には〈VOODOO〉ツアー版と一緒なのだが、ヴァンガードの演奏はそれを余裕で超えていた。どんどん熱気とスケールを増していく中盤以降のコズミックな展開がヤバい。変な光に包まれてマザーシップに吸い上げられ、そのまま宇宙の果てまで連れ去られていくような感じ、とでも言えば伝わるだろうか。途中で挿入されたファンカデリック「Good To Your Earhole」のサビ、“Put your hands together, come on and stomp your feet”は、きっと離陸の合図だったに違いない。
公演の翌日、D公認という日本のツイッター・アカウント(Team D'Angelo JAPAN)で、“昨夜のライヴで、ディアンジェロが"Left & Right"のときに弾いていたギターは、ジミヘンのものです!”というツイートがあって驚いた。すぐに検索してみたが、Dがジミヘンの遺品のギターを所有しているという情報はネット上のどこにも見当たらなかった。“ジミヘンのものです!”というのは、もしかして“ジミヘンが使っていたのと同じタイプのものです!”という意味だろうか? しかし、私がこのツイートを見て驚いたのは、実はそこではなく、「Left & Right」でDがギターを弾いていた、というごく単純な事実の方だった。かなり近くで観ていたにもかかわらず、「Left & Right」でDがギターを弾いていたこと自体、私は全く記憶していなかったのである。そう言われてみれば、確かに弾いていたような気も……(Dが弾いていたのは、黒ボディ+白ピックガードのストラトだった)。そんなことも覚えていないくらい、私の意識はぶっ飛んでいた。ずっと踊り狂っていて、まともにステージなど見ていなかった。私が漠然と覚えているのは、プリンスとJBとキン肉マンが合体したようなヤバい男──土方のおっちゃんのようにも見える──が、奇声を発しながら観客を煽りまくっている光景だけである(上の画像は私の記憶内のイメージにかなり近い)。
そして、いきなり「Chicken Grease」にワープ! 原曲のユルさは微塵もなく、アップテンポの無茶苦茶タイトなファンク・チューンに突然変異している! JB「Get On The Good Foot」とプリンス「The Work, pt.1」を混ぜた感じ? いや、「Soul Power」+「The Future」と言うべきか? それとも、〈PARADE〉ツアーの「Controversy」あたりに近いのか? 決定的な曲が思いつかないのだが、とにかく、プリンスがやる典型的なJB系ファンクに変わっている。シャーキーの弾くカッティング・リフが鬼シャープだ。始まって早々、観客にコール&レスポンスを促すD。“♪Hey nah na hey hey...”って、それ、「Play In The Sunshine」(ライヴ版)そのまんまじゃねえか! Dのヴォーカルは、声色、節回しまで完全にプリンス状態だ。
ここでちょっとチキン・グリースの話をしよう。この曲でDが歌っている“チキン・グリース”というのは、ある特定のチキン・スクラッチを意味するプリンス用語である。“チキン・スクラッチ(chicken scratch)”というのは、ファンク・ナンバーに必ずと言っていいほど登場する16分音符の細かいギター・カッティングのこと。例えば、JB「Papa's Got A Brand New Bag」の“チャリラリラリラリラリラリラリラ”とか、「There Was A Time」の“ウンチャカ・ウンチャカ・チャカウン・チャッチャカ”とか、「Super Bad」の“チャラ!チャカチャカ・チャラ!チャカチャカチャカチャカ”とか、「Hot Pants」の“チャラッチャクチャ・チャラクチャッチャ・チャラッ”のような、パーカッシヴなリズム・ギター・サウンドのことを一般的にそう言う。ミュート音を混ぜながら弾くことが多いが、プリンスはその中でも特に、9thの和音を“チャラララララララ……”と何小節も延々と掻き鳴らし続ける場合を“チキン・グリース”と呼んでいるようだ。ミュート音を混ぜながら強く弾くと掻きむしるようなサウンドになるが、ミュートせずに軽く弾き続けると滑走感が出るので、“グリース(脂)”なのだろう。チキン・グリースの最高の例は、JB「Ain't It Funky Now」、あるいは、それに対するオマージュであるプリンス「Sexy M.F.」、この2曲のバックでずっと鳴っているリズム・ギターである。Dはあのサウンドのことを言っている。“チキン・グリース”という言葉は、Dが〈VOODOO〉ツアーの「Lady」(から発展するファンク・ジャム)で意識していたプリンスの最強ファンク・ナンバー「It's Gonna Be A Beautiful Night」の歌詞にも登場する(“Every man I'll injure with my chicken grease(どいつもお見舞いしてやる、オレのチキン・グリースを)”と歌われている)。
アンコールで披露された「Chicken Grease」では、ジェシー・ジョンソンが実際に“チャラララララララ……”とギターを掻き鳴らしてチキン・グリースを聴かせる場面があった。そこでDが、ギターを掻き鳴らす手首の動きを模した“両手プラプラ・ダンス”を観客にやらせたのだが、それがまた猛烈にプリンスっぽかった(プリンスは観客によくそういう変な動きをさせる。両手プラプラ・ダンスもどこかでやっていたような気が……)。ブレイクダウンでパーカッシヴなフレーズを連発するメイシオ風──あるいは、エディ・M風──のサックスも実にプリンス的だ。
アーティストとしてちょっとヤバいんじゃないか、というくらいプリンス度が上がっていくD。ステージを指差して、思わず(某CMの谷原章介風に)“あんたやっぱりディ……”と言いかけたその瞬間、またまた異次元ワープ! 突然BPMが上がり、「Chicken Grease」は激烈なファンク・ジャムに突入した(このジャム・パートは、セットリストに「What It Do」と記されている)。JB「Cold Sweat」みたいなホーン・リフに乗って、Dが観客にソウルクラップ──8分音符の細かい手拍子──を促す。ブレイクダウンでシャーキーがもろにプリンスなチキン・スクラッチ──「Kiss」の間奏みたいな高音カッティング──をカマすと、観客がソウルクラップでそれに応じる。曲のテンポが速いのに、いくら叩いても疲れない! ソウルクラップは疲れてすぐにやめてしまいがちだが、この時はいつまでも叩いていられた。
演奏があっさり終了したところで、Dが東京の観客に早口の英語で言う。“俺たちそろそろ帰らなきゃ。時間切れだ。もう帰ってもいいか?(Can we go home yet?)”。Dのこの問いに、観客の6割くらいが反射的に“Yeah!”、4割くらいが“No!”と答えた。ポカーンとなったDが、気を取り直して“おいおい、みんなまだ帰りたくないよな!? さあ、Hell No(やなこった)と言ってくれ!”と言うと、今度はみんな“Hell No!”と答えた。“Yeah!”と言われた瞬間のDのフリーズぶりがすごく可笑しかった。
Dの“グッゴー!”の掛け声で演奏再開。“グッゴー(Good god)”というのは、この長文をここまで読み続けている人には説明不要だと思うが、プリンスがファンク・ジャムの際にバンドに出す指示のひとつである。JBが「I Can't Stand Myself」など多くの曲で使っていたこのリズミックな表現──“アジャパー”みたいな言葉で、それ自体に特に深い意味はない──を、プリンスはブレイク明け(演奏再開)の合図にした。メイシー・グレイはちょっと捻って“Oh my god!”という類似表現を使っていたが、Dはプリンスと全く同じ言葉を使う。“Thank you. Good night!”と言って帰るように見せかけ、“グッゴー!”で演奏再開、というプリンス流儀のDのファンク大会はその後も続いた。ホーン・リフが「Cold Sweat」そのまんまということもあり、今にもダニー・レイが登場して口上を捲し立てそうなJB感も漂う。高速ファンク・ビートに乗って喚き続けるD、前に出てきてエリック・リーズみたいなソロを吹きまくるサックスのケネス・ウェイラム三世、あちこち動き回って観客を煽るジョイ……ステージはもの凄いことになっていたが、細かいことは覚えていない。私は飽かずに踊っていた。約20分に及ぶ「Left & Right」「Chicken Grease」メドレーはとにかく最高だった。マザーシップに乗って地球を遠く離れ、プリンス大星雲やJB大銀河を眺めるような、とんでもない体験。ビッグバンのようなカオスで演奏を終えると、Dとバンドは再びステージを去った。くはー。
このアンコールが終わった後、速攻で帰る観客がちらほらいた。客電も点いていないのに、信じられない。第一、こんなものを聴かされて、よくさっさと帰れるなと思った。もしかしてサマーソニックでDを観た人たちだろうか。サマーソニックではアンコールが1回だったので、この日もそうだと思ったのかもしれない(おかげで前に詰めることができたが)。そのように、アンファンキーUFOに連れ去られた残念な人も中にはいたが、もちろんほとんどの観客はその場に残り、更なるアンコールを求め続けていた。私は一晩中でも踊っていられた。もっと聴きたい。いつまでも聴いていたい。We want more!!!

感涙の2ndアンコール曲「Untitled (How Does It Feel)」
4分後。まず、クリス・デイヴがステージに戻ってきた。イェーィ!!!! ドラムセットに向かうと、スネアを片手で“タン、タン、タン、タン……”とゆっくり連打し始めた。まるでリズムマシンのテンポつまみでも回すように、そのまま滑らかにスピードを上げ下げする。片手でスネアを叩きながら、テンポだけでなく、スネアの音色にも変化をつけていた(片方の手でヘッドのチューニングをいじっていた?)。リズムマシンを試用するような不思議なドラム・ソロが1分45秒ほど続いた後、リムショットによる6/8拍子の超低速ビートが始まった。一瞬のブレイクを挟んで、官能的なギターのフレーズが聞こえた瞬間、場内に悲鳴のような大歓声が沸き起こった。プリンス「International Lover」「Adore」などを彷彿させる極上のスロー・バラード「Untitled (How Does It Feel)」。
今にも止まりそうな超低速演奏をバックに、青いハットを斜めに被ったDが現れ、ゆっくりとマイクスタンドに歩み寄る。そして、官能的なファルセットで歌い始め……ない。シンプルな循環コードが何度も歌い出しのきっかけを作るが、その度にDは観客の期待をはぐらかす。“Achoo!”、“ンガッ”、“ホゲッ”などとマイクを掴んで力むだけで、いつまで経っても歌い出さない。今度こそ歌うかと思わせておいて、やっぱり歌わない、という“じらし”をDはしつこく続けた(クシャミで観客をずっこけさせるギャグは、加藤茶を彷彿させた)。これはバカウケだった。
ようやく歌い始めたDのヴォーカルは、やはり素晴らしかった。ファルセットで絶叫する中盤の過熱ぶりはいかにもプリンスだが、それ以上に印象深かったのは、アル・グリーンによく似た独特の甘美なディープ・ソウル感である。3人のバック・ヴォーカル隊と一丸になった直球のヴォーカル・パフォーマンスには、牧師の家庭に生まれ、教会でゴスペルを歌いながら育ったDのルーツが感じられ、非常に説得力があった。泥臭さが滲み出る熱い歌声を聴きながら、ああ、根はこういう人なんだなあ、と思った。
Dは途中からステージ後方で鍵盤を弾きながら歌った。循環コードに乗って“How does it feel”のリフレインが静かに繰り返される中、クリス・デイヴが演奏をやめてDのもとへ行った。Dとクリスは、互いの健闘を讃え合うように抱き合い、拳を突き合わせた。そのままクリスが退場した後、ヴァンガードのメンバーたちが、それぞれちょっとしたソロを披露してから、順番に去り始めた。一人また一人とステージからいなくなっていく。それにつれて音数もどんどん減っていく。別れの時が迫っているのは誰の目にも明らかだった。素晴らしい演奏を聴かせてくれたメンバーの一人ひとりに、観客から盛大な拍手が送られる。
自分を支えてくれた仲間たちに感謝し、互いの絆を確かめ合うようなこの場面を見て、ふと、開演前の場内にJ・ディラが流れていたことを思い出した。彼はDにとって掛け替えのない仲間であり、ある意味、誰よりもDの今を支える人物に違いない。ヒップホップを基盤にした新たな生演奏ファンクの型を模索するにあたって、Dがディラのビートから多大なインスピレーションを受けていることはもちろんだが、それだけではない。酒とクスリに溺れていた'00年代半ばのDが、施設に入って更生することを決意したのは、ディラの死がきっかけだった('06年2月10日、ディラは32歳の若さで病死)。'15年のインタヴューでDはこう語っている。
「ディラが死んだ時、俺たちみんなショックだった。すげえ恐くなって、自分もそのうち死ぬんだって本気で思ったよ。あの時、アミーア(クエストラヴ)は俺のことを心配してたと思う。そういう時って、どう言ったらいいか分からないもんで、あいつは無言だった。俺はとにかく頑張って乗り越えるしかなかった。で、今の自分がいるのさ」(14 June 2015, Rolling Stone)
ディラの死がなければ、Dはジミ・ヘンドリックスと同じ運命を辿っていたかもしれない。'15年にこうして東京で歌っていることもなかったかもしれない。「Untitled (How Does It Feel)」で仲間たちを一人ずつ見送るDの姿を見て、同時に、ステージ上にいないディラに対する彼の深い思いを想像した。最後に残ったメンバーは、バンドの中でDと最も付き合いの長いピノ・パラディーノ。そのピノも遂に去ってしまうと、ステージには鍵盤を弾くDだけがポツンと残された。その光景は“人は最後は一人ぼっちだ”ということを示しているようにも思われた。いくら自分を支えてくれる仲間たちがいても、結局、自分の人生は自分で生きるしかない。どんなに苦しいことも、自分の力で乗り越えなくてはならない。そして、Dは乗り越え、'15年に東京のステージで歌っている。何か大いなる運命の力のようなものを感じて、自然と目頭が熱くなった。
たった一人で鍵盤を弾きながら、Dは最後にもう一度、声を振り絞ってサビを歌った。そして、観客にも歌わせる。“どんな気持ちだい?(How does it feel?)”。答えは決まっている。巡り巡って東京で対面し、彼とそんなやり取りができたことを、私はとても幸せに思う。すべての演奏を終えたDは、最後にこう言ってステージを去った──“Feel so good, Tokyo. Thank you so much. That was so beautiful. So we'll meet again. Peace and love. アリガトウ”。
終演は10時07分。114分にわたるディアンジェロ&ザ・ヴァンガードのゼップ東京公演は、こうして幕を閉じた。
ロックが否定に向かう音楽だとすれば、ファンクはひたすら肯定に向かう音楽である。ファンクはこの世のすべてを肯定する。“Life is beautiful”──ディアンジェロ&ザ・ヴァンガードは、生きることの楽しさ、素晴らしさを全力で私たちに教えてくれた。何もかも最高だった。本当に楽しかった。
ありがとう、D。また会おう!
Thank you, D. It was a beautiful night.
We'll meet again!

※会場では2種類のTシャツ、もとい、Dシャツ──黒地に『BLACK MESSIAH』のジャケ写が印刷されたAタイプ、「The Charade」のサビの歌詞が印刷されたBタイプ(各3,500円)──が売られており、多くの人が購入していた。サマソニでも売られていたらしく、最初から着ている人もいたし、ゼップで買ってその場で着替えている人もいたようだった。私はあまりアーティストTシャツに興味がないのだが、終演後にどうしても欲しくなり、「The Charade」の歌詞が印刷されたBタイプを購入した(上の画像の右側がBタイプ。Aタイプは、印刷されている写真がちょっと違うが、左側によく似ている)。終演後の観客はみんな一様に脱力し、会場にはいつまでも去りがたい雰囲気があった。同じ体験を共有した見ず知らずの人たちと、私は不思議な連帯感のようなものを感じていた。このDシャツは、特別なイベントに参加できた良い記念の品になった。
01. Drone - Ain't That Easy
02. Vanguard Theme
03. Betray My Heart
04. Spanish Joint
05. Clare Fischer Interlude - Really Love
06. The Charade
07. Brown Sugar
08. Sugah Daddy
-encore 1-
09. Left & Right
10. Chicken Grease - What It Do
-encore 2-
11. Untitled (How Does It Feel)
Zepp Tokyo, August 18, 2015
D'Angelo (vocals, guitar, keyboards), Jesse Johnson, Isaiah Sharkey (guitar), Pino Palladino (bass), Chris "Daddy" Dave (drums), Rodrick Cliche Simmons (keyboards), Keyon Harrold (trumpet), Kenneth Whalum III (sax), Joi Gilliam, Jermaine Holmes, Charles "Red" Middleton (backing vocals)
D'Angelo and the Vanguard: "Second Coming" Japan Tour 2015
August 15, Summer Sonic Osaka
August 16, Summer Sonic Tokyo
August 18, Zepp Tokyo

LIVE AT SUMMER SONIC TOKYO, AUGUST 16, 2015
Ain't That Easy / Vanguard Theme / Betray My Heart / Spanish Joint / Really Love / The Charade / Brown Sugar / Sugah Daddy / Untitled (How Does It Feel)
'15年8月16日、サマーソニック東京公演の(ほぼ)完全収録オーディエンス動画(投稿者:HIROSHI TAKAHASHI)。曲単位の分割アップ。曲間が微妙に欠けているのが残念だが、今回の来日公演の内容はこれで大体分かる。サマーソニック大阪/東京では、アンコールはいずれも「Untitled (How Does It Feel)」のみ。大型フェスらしく、背景にバンド名の巨大文字を映し出すという珍しい演出が見られる。ゼップ東京でブロッコリみたいなアフロヘアを丸出しにしていたジェシー・ジョンソンは、ここではキャスケットを被っている。「Untitled (How Does It Feel)」イントロのクリス・デイヴのドラム・ソロも、ゼップ東京公演とはまるで違う。大まかな流れは一緒だが、日によってバンドの演奏はかなり変化するようだ。公演当日のWOWOWの生中継では、「The Charade」と「Brown Sugar」(の途中まで)が放映された。尚、前日のサマーソニック大阪公演は、完全収録オーディエンス音源がSoundCloudにアップされている(投稿者:Team D'Angelo JAPAN)。
関連記事:
D'Angelo──シャーデー大賞2014
珍R&B入門 ディアンジェロでつながる人々 1989-94【1】
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珍R&B入門 ディアンジェロでつながる人々 1989-94【7】
珍R&B入門 ディアンジェロでつながる人々 1989-94【8】
前座(ゼップ東京公演の開演前に場内で流れたJ・ディラ曲、43分間の完全トラックリスト)
結果にコミットする。
HARDROCKLOVER〜Phase 2「Dの来日公演」
プリンスを1位にしろ!
ウルトラミキサー
Prince──ファンクんロール
Prince──朝ご飯はあとまわし
Prince──ドロシー・パーカーのバラッド
Prince──カネなんかどうでもいい
12月の歌──I Think It Was December
Wendy & Lisa──ハネムーン急行
Liv Warfield──なんで嘘つくの?
4月の歌──Sometimes It Snows In April
Liv Warfield @ Blue Note TOKYO 2015
Prince──ボルティモア
Prince──シャーデーの「Sweetest Taboo」
HARDROCKLOVER〜Phase 1「プリンスの新譜」
Macy Gray @ Billboard Live TOKYO 2011
Macy Gray @ Billboard Live TOKYO 2012
オールスタージャンケン大会(JB vs プリンス)

ビュッフェより断然アラカルト派で、夏のアウトドアが死ぬほど苦手で、何より、ディアンジェロを観るためだけに15,500円の1日券を買えるほどリッチでない私にとって、サマーソニックは最初から問題外だった。早々と諦め、ディアンジェロのことは考えないようにしていた7月初頭、ゼップ東京での1日限りの単独公演が急遽決定。グッゴー!と私が叫んだのは、チケット発売日の7月18日から余裕で10日以上過ぎた頃だった。知らなかったのである(泣)。もちろん、チケットはとっくの昔に完売。全身にコールド・スウェットを感じた。Dの単独公演に行けないなんて、そんなアンポンタンでアンファンキーな話があるか。諦めきれなかった私は、結局、チケットを入手するために某サイトを利用するはめになった。シット、デイム、こんチキショー。9,000円のチケットを買うために、なんで俺は20,000円も払ってるんだ。サマソニよりも高いじゃないか。シャーデーのベガス公演(157.5ドル)よりも高いじゃないか。でも、ローリン・ヒルのビルボードライブ公演(40,000円)よりは安いじゃないか。ローリンの半額でディアンジェロが観られるなんてお得じゃないか、OK、OK、これでいいのだ!……と私は自分を欺いたのだった。
8月18日(火)。穏やかな残暑の夕方、だだっ広いお台場の敷地をキョロキョロと見回しながら、Dの待つゼップ東京へ向かう。会場手前の橋の上で、“チケット譲ってください。一緒に「Brown Sugar」歌いたいです!”と書かれた紙を持って立っている女の子を見かけた。“チケット譲ってください”という日本語メッセージを持ってうろうろしている白人男性もいた。当日、会場周辺にはそういう人たちがたくさんいた。一縷の望みを胸に、都心から離れたお台場までわざわざやって来たのだ。私の歩いた範囲に関して言えば、ダフ屋は一人もいなかった。“売り”はなく、あるのは“買い”のみである。ゼップ東京の最大収容人数は約2,700人。チケットは瞬時に売り切れ、ネットでは最終的に7万円を超える高値も付いたと聞く。フェス廻りのタイトなスケジュールの中、1日だけでも単独公演が実現したのは素晴らしいことだが、今のディアンジェロならゼップで3日間くらいやっても完売になったと思う。あぶれた多くのファンを救済する方策は何かなかったのか。'80年代の末頃だったと思うが、大スター時代のデヴィッド・ボウイが新バンドを結成し、アムステルダムのパラディソ(Dも出演したことがある有名なハコ。1,750人収容)でギグを行った際、チケットもなく詰めかけた数千人のファンのために、会場近くの広場に簡易スクリーンを設置して公演の様子を生中継するという異例の措置をとったことがあった。お台場にはいくらでも広い場所がある。“チケットを買えなかった大勢のファンのために会場の外でスクリーン中継をしたい”という申し出を、果たしてディアンジェロは拒むだろうか。固定カメラ一台で撮るだけでもいいのだ。10日くらい前から準備・告知し、同じことをやっていれば、興行主のクリエイティブマンは(何の利益も得られないが)後世まで語り継がれる伝説を作ることができたかもしれない。
会場にはあらゆる種類の音楽バカが集結しているようだった。年季の入ったソウル・ファン風の人、いかにもR&Bやヒップホップが好きそうなニイちゃんネエちゃん、インディー・ロックやクラブ・ミュージックで育ったような若者〜元・若者まで、様々な雰囲気の人がいたが、全体的に濃い感じの人が多かったのが印象的。“濃い感じ”というのは、要するに、マニアっぽい、オタクっぽい、ということである。話題になってるから何となく来ました的な、おシャレでカジュアルな感じの人間がいない。みんな飢えた犬みたいだった。雰囲気のヤバさ、アツさ、アクの強さという点では、近年、稀に見る群衆だったと思う。
入場待ちの行列は会場の裏手の道路まで伸びていた。整理番号900番台だった私は、頭上にゆりかもめが走る道路沿いの列の最後尾で延々と待たされ、ようやく入場できたのは、開演予定時刻の10分前である午後7時20分頃だった。入場の際、500円玉と引き換えに500円玉みたいなコイン型ドリンク券を渡されたが、開演間際のバーカウンターはカオス状態で、とても利用できる状況ではなかった。ドリンクは終演後に飲むことにして、喫煙所へ直行。煙草を吸いながらロビーの壁に目をやると、ローリン・ヒル、コモン、ブラック・スターらが出演するソウルキャンプの告知ポスター、そしてその横に、11月に行われるジャネットの14年ぶりの来日公演の告知ポスターが貼ってあった。ジャネットが来ることを私はそこで初めて知った。シット、デイム、こんチキショー。今年の秋冬、私はサラ・バラス、アンダルシア・フラメンコ舞踊団(ソウルキャンプと同じ日。OMG!)、ロシオ・モリーナ、シルヴィ・ギエムの来日公演で一杯一杯なのだ。その上、ディアンジェロにまさかの2万円を払ってしまった。なんでみんな一気に来るんだ!
※この記事を書いている最中、更にリズ・ライトとミゲルの来日公演(いずれも11月)が決定した。12月の『CHICAGO』を観るかどうかで悩んでいたのに……。もう、マジで勘弁して欲しい。
THE UNEXPECTED──予期せぬ前座


J・ディラ『WELCOME 2 DETROIT』(2001)『DONUTS』(2006)
1階フロアは既に大勢の観客で埋まっていた。場内をぶらぶらと歩き回った後、私は比較的空いていた左サイドから最前ブロックまで行き、最後列の隅っこで柵を背にして待機することにした。ゼップ東京のような広いスタンディング会場の場合、フロアが柵でいくつかのブロックに仕切られている。各ブロックの最後列と柵の間には必ず隙間ができる。最初は人で埋まっていても、開演すればみんな自然と前へ詰めるので、柵を背にして立っていれば、最終的に隅っこから中央付近まで潜り込むことができるのである(『攻略!ライブハウス〜知って得する99のコト』より)。実際、この日も潜り込めた。ステージとの距離は10メートルくらい。座席付きのホール会場だったら余裕で10列以内の位置だ。整理番号900番台というハンディはほとんど関係なかった。
開演前の場内には、ソウルクエリアンズ時代の同志、J・ディラのトラックがずっと流れていた。『WELCOME 2 DETROIT』と『DONUTS』からの曲が、シャッフル再生のような感じで次々とランダムに流れた(短時間の内に「It's Like That」がなぜか二度もかかった)。開演時刻を過ぎても一向に始まる気配はなく、ひたすらディラ・タイムが続く。待たされることには慣れっこのはずのDファンも、20分を経過したあたりから曲の変わり目で騒ぐようになり、30分を経過したあたりからは、逆に、みんなDとの無制限の根比べを覚悟したのか、ただじっとディラのビートに耳を傾けていた。結局、観客は開演予定から43分後の8時13分までJ・ディラを聴き続けた(その時の正確なトラックリストは過去記事参照)。
43分というのは前座の演奏時間にも相当する長さである。'00年の〈VOODOO〉ツアー時、ディラはスラム・ヴィレッジとしてDの前座を務めたが、結果的に、彼は今回も同じようにDの前座を務めたことになる。延々とディラの曲が流れ続けたのは、決して時間が押したからではなく、彼に前座を務めてほしいというDの願いゆえのことではないか。40分という尺は実は最初から決まっていたのではないか……というのは、もちろん私の都合のいい解釈に過ぎない。今回の43分押しは、普通に考えれば客入れの遅れが原因だろう(ゼップ東京の1階フロアはスタンディングで最大約2,400人を収容する。整理番号900番台だった私が入場できたのが開演10分前。その後に1,500人も入場させるなら、40分くらい押しても不思議はない)。とはいえ、私にはこの偶然が必然のように感じられて仕方なかった。その2時間後、ショウを締め括ったDのパフォーマンスを見て、開演前に延々と流れたディラのトラックに単なるBGM以上の意味があったことを感じずにはいられなかったからである。恐らく、Dはディラに対して今も強い仲間意識を持っている。前座として、あるいは、ヴァンガードの一員として、Dは自分のステージにディラを迎え入れたかったのではないだろうか。後から思えば、ショウは定刻の7時30分からしっかり始まっていた。
IT'S GONNA BE A BEAUTIFUL NIGHT──素晴らしい夜になる

ヤオ〜ン!──ファンク怪獣登場
8時13分、ディラの「Gobstopper」が終わると客電が落ち、メインアクトのザ・ヴァンガードの面々が遂にステージに登場した。薄暗い照明の中、Dを除くメンバー10人が左袖から落ち着いた様子で次々と現れ、各自の持ち場についていく。'06年3月5日、東京国際フォーラムの薄暗いステージに、JBのバンド、ソウル・ジェネラルズの面々がぞろぞろと現れた時の興奮を思い出した。これからとんでもないことが起こる。ヴァンガードのメンバーたちがステージに現れた時点で私は既に感動していた。
オープニングはアルバムと同じく「Ain't That Easy」。ジミヘンのフィードバック・ノイズのような不穏なSE(ステージ上のセットリストには「Drone」と記されている)に続き、あのオフビートのギクシャクした脱臼リフが爆音で響き渡る。アルバム以上にハードエッジな演奏と、予想以上にデカい音量にいきなり度肝を抜かれた。執拗にリフが繰り返される中、白ハットを目深に被ったDがギターを弾きながら颯爽と登場。劇的なブレイクと共に観客に背を向けて仁王立ちする。こちらを振り向いて歌い出した瞬間、それまで広いブリムに隠れていた彼の輝くような笑顔が客席に降り注いだ。レコード以上に鮮明で、活力が漲った生々しい歌声。そして、それを掻き消すほどの大歓声。色んな人たちの色んな思いがひとつになって、一気に爆発した瞬間だった。“Finally beloved we meet at last / Middle of the here, never mind the past(めでたく諸君とご対面/このさい過去は忘れよう)”──これは「Ain't That Easy」ではなく、プリンス「Funknroll」の歌い出しだが、満面の笑みで歌い始めたDは、日本の観客に向かってまさにそう言っているようだった。あの瞬間の歓喜は忘れられない。

「Ain't That Easy」──フライングVでソロを弾くジェシー・ジョンソン(右)
「Ain't That Easy」は、マリファナでヘロヘロになったビートルズがプリンスの「Strange Relationship」を演奏しているような曲だが、ライヴでは華やかなホーンを加え、よりソウル〜ファンク色の強いサウンドに変わっていた。枝や木をバキバキと踏みつけながら、道なき道を突き進む重戦車のような駆動力。Dの多重録音ヴォーカルを再現する3人のバック・ヴォーカル隊も強烈だ。終盤では、'12年の復活ツアーからD戦隊でファンクんロール佐官を務めるジェシー・ジョンソン(ザ・タイム)のギラギラしたギター・ソロをフィーチャー。そのジェシーから貰ったというミナリークの黒い変形ギター──武器にしか見えない──は、プリンスのマッドキャットやクラウド・ギターのように、すっかり現在のDのトレードマークになっている。ロングコート+つば広ハット on バンダナ頭というプリンス・ルック(MV「America」参照)でこれを弾く巨漢Dは、まるでメカゴジラ化したプリンスか、武器を楽器に持ち替えたマッドマックスのように見えた。ライヴ映画『ディアンジェロ〜怒りのデス・ファンク』の公開が待たれる。
そのままメドレーでなだれ込んだ2曲目は、D戦隊のテーマ曲となるインスト・ファンク「Vanguard Theme」。彼らのオリジナルであるはずのこの曲に猛烈な既聴感を覚えるのは、ホーンやギターの奏でるメイン・リフが、Pファンク軍団のテーマ曲「P. Funk (Wants To Get Funked Up)」の歌メロにそっくりだからだろう。ギターを置いてマイクを掴んだDが観客に訊ねる。“トーキオ、ジャパン! 俺の新しいバンドの名前、知ってっか?! 俺の新しいバンドの名前、知ってっか?! 3つ数えたらバンド名を言ってくれないか。いいか? いいか? 1、2、3……”というDの合図で、観客が揃って“ヴァンガード!”と絶叫。これが決まったのは素晴らしかった。最新曲で勢い良く幕を開け、インスト曲に繋いでファンク度アップ、というこの冒頭の流れは、オリジナルJBズを従えたJBの'71年オランピア公演の必殺オープニング(「Brother Rapp」〜「Ain't It Funky Now」)を彷彿させる。JBが腕をひと振りするだけでBPM180から120まで一瞬で減速するJBズのような神懸かり的な結束力はないが、JBのバンドほど縛りがキツくない分、ヴァンガードの演奏には、各人が自然に持ち味を発揮できる自由さと、それゆえの予想のつかない爆発力があると思う。Dはメンバーを鎖で繋がず、ジョージ・クリントンのように放し飼い主義でバンドをまとめる。D自身もJBのような計算された立ち回りはせず、“アォゥ!”、“ウッ!”、“ヤオ〜ン!”など、ファンク怪獣に特有の奇声を発しながら伸び伸びとステージを動き回る。

ステージ左奥にクリス・デイヴ&ピノ・パラディーノの強烈なリズム隊
特攻野郎Dチームの構成員は、ステージ左側にドラム、ベース、ギター、男性バック・ヴォーカル2名、中央後方にD用のキーボードを挟んで、右側にギター(ジェシー)、キーボード、サックス、トランペット、女性バック・ヴォーカルという全10名。Dチームの“ジェイムズ・ジェマーソン”として『VOODOO』期から屋台骨を支え続ける英国出身の名セッション・ベーシスト、ピノ・パラディーノ(サングラスをかけて黙々と演奏する姿がカッコいい)、そして、ロバート・グラスパーやアデルの大ヒット作に参加し、ヒップホップ、R&B、ジャズの間を自由に行き来する人気ドラマー、クリス・デイヴ。今回の公演はこの凄腕リズム隊2人に対する注目度がとても高く、客席からも“ピノ!”、“クリス!”という声援がしきりに飛んでいた。
個人的に最大の注目メンバー──と言うか、注目したかったメンバー──は、何と言っても、女性バック・ヴォーカルのジョイ。'94年にダラス・オースティンのプロデュースでデビューし、メイシー・グレイやケリスの先駆けのような存在だったアトランタ出身のベティ・デイヴィス系ファンキー・ディーヴァである(ジャネール・モネイとも仲が良い)。Dの〈VOODOO〉ツアーで前座も務めたルーシー・パールに、一時、ドーン・ロビンソンの後釜として在籍していたこともある。ジョイは、ずっとヴァンガードのメンバーだったケンドラ・フォスター(Pファンク軍団出身。Pファンク・オールスターズの'05年作『HOW LATE DO U HAVE 2BB4UR ABSENT』にはケンドラとジョイが揃って参加)の後任として、'15年7月3日の欧州ツアーからバンドに加入していたのだが、私はこの交代劇を事前に知らなかった。彼女はステージ右端で切れ切れのアクションで歌い、終始ものすごい存在感を放っていた。あれは一体、誰なんだ。終演後にネットで調べ、それがあのジョイだと分かった時は本当にぶったまげた。この人の公演だけでも観たいくらいなのに、それがまさかバック・ヴォーカルだなんて……。一体、どんだけ豪華なんだ(もっとよく見ておけばよかった!)。これほどのメンツでツアーをやるなら、いっそのことJBのショウのようにレヴュー形式にして、最低でも3時間くらいはやってほしい。

「Spanish Joint」──鍵盤を弾きながら熱唱するD
「Vanguard Theme」からギアチェンジしてなだれ込んだ3曲目は、新譜収録のクールなジャジー・ファンク「Betray My Heart」。サビを歌いながら両手で左胸の位置にハートの形を作るDのアクションが良い。メロディと歌詞が引き立ち、曲のフィーリングがレコード以上にグッと迫ってくる。なんていい曲なんだ!
この曲ではクリス・デイヴのドラム演奏が光っていた。バラけたリムショットをサンプリング・マシンのような正確さで叩き続ける技術からして驚異的だが、その合間に鬼のように鋭いオカズを入れてくる。ブレイクビーツのループの合間に全く別のドラム・ブレイクがいきなり挿入される感じ、とでも言えば伝わるだろうか。サンプリングを基にしたヒップホップのトラックでは、ブレイクビーツのループに不自然な乗りが生じたり、ビートと上ネタのテンポがきっちり合わなかったりすることがよくある。そうした微妙なズレやブレが逆に面白いということになり、クオンタイズを使わずに手打ちでビートで組むJ・ディラのようなトラックメイカーが現れ(ヒップホップ世代のそうした新たなリズム美学は、Dの『VOODOO』『BLACK MESSIAH』にはっきりと表れている)、今度はそれを人力で叩いてやろうというドラマーが現れる。数ヶ月前に観たリヴ・ウォーフィールドの来日公演では、タロン・ロケットというドラマーがJB「Funky Drummer」のループを生で正確に再現し、徐々にフレーズを分解しながら人力ドラムンベース状態に持っていくというソロを披露していた。現在の黒人音楽系ドラマーにとって、そういうサンプリング感覚はもはや必須と言っていいかもしれない。クリス・デイヴはその手のドラマーの代表格とされている人で、今回の来日公演でも、タイトなプレイの中に時おり脱臼したような変なフレーズを挟み、観客を大いに沸かせていた。
そして、間髪入れずに「Spanish Joint」! Dはステージ後方に移動し、鍵盤を弾きながら熱唱。『VOODOO』収録のこの激クールな高速アフロ・キューバン・ファンク曲は、密室的なオリジナル版とは大きく異なる開放感に溢れた演奏が印象的だった。トランペット&サックスの2管が熱い! 中盤では、アイザイア・シャーキー(クリス・デイヴのユニット、ドラムヘッズにピノ・パラディーノと共に参加している若手ギタリスト)がセミアコで流れるようなソロを披露。かつてのNPGにおけるリーヴァイ・シーサー・Jrのような感じで、ジャジーな曲になると彼に出番が回ってくる。疾走感溢れるバンドの演奏に、私の身体もいつしか小刻みに揺れていた。

「Really Love」──ポンチョ姿で歌うスパニッシュD
怒濤のメドレーが一段落ついたところで、場内に優美なストリングスの調べが響き渡る。コンサート前半のクライマックス「Really Love」への序奏である。1分40秒に及んだこのストリングスのSEは、セットリストに「Clare Fischer Interlude」と記されていた(綴りが間違って“Claire”となっていたが)。
クレア・フィッシャー(1928〜2012)は、ラテンやボサノヴァを得意としたアメリカの白人ジャズ鍵盤奏者/作編曲家。独特の優美で幻想的なストリングス編曲で有名な人である。ルーファスのドラマーだったアンドレ・フィッシャーはクレアの甥で、その縁から彼は'70年代にルーファスの諸作でストリングス編曲を手掛けるようになり、やがてポップ・ミュージック業界──特にR&B系のアーティストたち──から頻繁に編曲仕事を依頼されるようになった。中でも最も有名な顧客はプリンスである。『PARADE』(1986)でプリンスはクレア・フィッシャーにオーケストラ編曲を発注し、その結果、プリンスの音楽はそれまでとは別次元のものになった。アルバム冒頭から広がるあの万華鏡のようなサウンドスケープは、クレア・フィッシャー抜きにはあり得なかったものである。以後、プリンスは長年にわたって彼に編曲を依頼し続けた。クレア・フィッシャーがオーケストラ/ストリングス編曲を手掛けた主なプリンス作品には、他に「Crystal Ball」「Slow Love」「The Future」(「Crystal Ball」」のストリングスをプリンスが独自に流用)「Graffiti Bridge」「Damn U」「Pink Cashmere」「Te Amo Corazon」などがある。ザ・ファミリー『THE FAMILY』(1985)、ジル・ジョーンズ『JILL JONES』(1987)といったプリンス・ファミリーの作品も彼の仕事だ(プリンスがフィッシャーに編曲を発注したのは『THE FAMILY』が最初と思われる。そこで様子を見てから『PARADE』を依頼したのだろう)。
クレア・フィッシャーの編曲仕事で個人的に印象深いのは、何と言っても、ロバート・パーマーの'88〜92年の諸作である。中でも、フィッシャーがすべての編曲を手掛けたジャズ・ヴォーカル作『RIDIN' HIGH』(1992)は、その独特な編曲センスが遺憾なく発揮された名盤だ。幻惑的、魔術的、異国的……クレア・フィッシャーのサウンドにはそのような形容が似合う。どこか遠い異世界へ連れていかれるような、魔法がかった美しい音色。『RIDIN' HIGH』はパーマー・ファン(と言うよりは、ロック・ファン?)からほとんど無視されている作品だが、彼のキャリアの中でも屈指の傑作だと私は思っている。プリンスやディアンジェロのファンにも、クレア・フィッシャー繋がりで是非聴いてほしい(参考として、以下にクレア・フィッシャーの編曲作品をいくつか挙げておく。その特徴的なサウンドを確認してほしい)。
Rufus featuring Chaka Khan - Egyptian Song (1977)
The Jacksons - Push Me Away (1978)
Robert Palmer - She Makes My Day (1988) ※「Slow Love」のストリングスと聴き較べよう
Robert Palmer - Between Us (1988) ※ガチでクレア・フィッシャー!
Robert Palmer - You're My Thrill (1990) ※これぞクレア・フィッシャー!!
Robert Palmer - Want You More (1992) ※世界よ、これがクレア・フィッシャーだ!!!
Tony Toni Toné - Anniversary (1993)
Art N' Soul - Special (1996)
Kirk Franklin feat. LaKisha Grandy - He Loves Me (1998)
Michael Jackson - This Is It [Orchestra Version] (2009) by Clare and Brent Fischer
ストリングスの魔術師、クレア・フィッシャーには、その衣鉢を継ぐブレント・フィッシャー(1964〜)という息子がいる。ブレントは、プリンスの『PARADE』から父親の編曲仕事を手伝うようになり(依頼主から送られたテープを聴き、ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムのフィルインに至るまで、あらゆるパートを譜面に書き起こすのが当時の彼の役目だったという。クレアはそれを見ながら音を加える位置を考えた)、やがて、父親が断った編曲仕事を引き受けたり、父親と共同で編曲作業をするようになった。『BLACK MESSIAH』のストリングス編曲は、長年にわたって父親と音楽活動を共にしてきた、そのブレントが手掛けている。ディアンジェロはプリンス作品のフィッシャー・サウンドに憧れ、同じ魔法が使える息子のブレントに編曲を依頼したのだろう。「Really Love」は、ブレントによる父親譲りの優美なストリングス編曲が冴えた逸品である。会場で流れたストリングスSE「Clare Fischer Interlude」は、スタジオ版で聴ける序奏のアウトテイクと思われる。息子ブレントによる、クレア・フィッシャー印の見事なサウンドだった。
ストリングスの序奏が終わると、アイザイア・シャーキーによる哀愁溢れるアコギ演奏がスペインの異国情緒を盛り上げる。「Really Love」は『BLACK MESSIAH』の中で個人的に最も好きな曲。『VOODOO』直後に書かれたというこの美しいスパニッシュ調バラードは、同時期に発表されたシャーデー「King Of Sorrow」(2000)や、MJ「Whatever Happens」(2001)、そしてもちろん、クレア・フィッシャーが手掛けたプリンス「Te Amo Corazon」(2006)を思い出させる(暇人であれば、マイルス・デイヴィス『SKETCHES OF SPAIN』や『MUSIC FROM SIESTA』まで思い出すかもしれない)。
ポンチョを着てステージに戻ってきたD。彼がファルセットで歌い始めた瞬間、場内がドッと沸いた。とんでもなく素晴らしい歌声だった。何の加工もされていない、剥き出しの声がダイレクトに胸に迫ってくる。おかしな話だが、生で聴いて、私はディアンジェロのことを初めて“歌手”だと認識したかもしれない(では、それまで一体何だと思っていたのかと考えれば、私はDのことを“演奏家”──ロジャー・トラウトマンのように自分の声を楽器として使う“ヴォイス・プレイヤー”──として捉えていた気がする。彼の歌声は“Dボックス”という特殊な装置を通して人工的に発せられていて、本当の声は別にあるように錯覚していたというか。多重録音を駆使した特異な音響処理がそのように感じさせるのだ)。彼の歌声の生々しいヴァイブレーションに私は恍惚となった。ズンズンと身体に響いてくるピノ・パラディーノの寡黙なウォーキング・ベースも最高に心地よい。大音量で美しい音に包まれる幸福。ステージを眺めながら、私は4年前にシャーデーのショウで「King Of Sorrow」を爆音で聴いた時の感動を思い出していた。終盤ではシャーキーがアコギでジャジーな速弾きソロを披露。Dのスキャットに彼がアドリブで応じる展開にもライヴならではの良さがある。北米から中南米を経由して最後にスペインへ辿り着く「Betray My Heart」〜「Spanish Joint」〜「Really Love」という前半部のジャジーでロマンチックな流れはとにかく素晴らしかった。

「The Charade」──ギターを掻き鳴らすロッキッシュD
コンサート中盤に披露された「The Charade」は、歌詞、サウンド共に現在のDを代表するような曲。『BLACK MESSIAH』の中で最もロック色の強いこの曲は、同時に、プリンスの影響が最もストレートに表れた曲でもある(具体的に言うと、「I Could Never Take The Place Of Your Man」と「The Cross」に似ている)。'12年初頭の復活ツアーの時点で披露されていた曲だが、歌詞の社会的メッセージ──“All we wanted was a chance to talk / 'Stead we only got outlined in chalk(俺たちはただ話す機会がほしかった/チョークで身体を縁取られるのではなく)”──は、図らずもマイケル・ブラウン射殺事件をはじめとする'14年以降のアメリカの人種問題と呼応することになった。ケンドラ・フォスターと共作した歌詞について、Dは'15年のインタヴューでこう語っている。
「いかに現在進行形の問題かってことさ。俺があれを書いたのは、トレイヴォン・マーティン事件なんかよりも前のことなんだ。いまだ同じことに抗議が続いてるなんておかしいぜ。あの曲は一般的な社会のありさまを歌ったものだった。“話す機会(a chance to talk)”ってのは、要するに、きちんとした場で、自分たちの然るべき権利を主張する機会ってことさ。当時、俺とケンドラは(ジェイムズ・)ボールドウィンを読みまくってたんだ」(14 June 2015, Rolling Stone)
ライヴでは、クリス・デイヴがドラムセットの両脇にそびえるスパイラル・シンバルを“シャラ〜ン、シャラ〜ン”と交互に鳴らす長尺イントロ──「Little Red Corvette」か「Around The World In A Day」でも始まりそうな幻想的なムードが漂う──に続き、レコード以上にロッキッシュなパフォーマンスが展開された。観客もDと一緒に拳を突き上げてサビを合唱。後半では、ジェシー・ジョンソンがステージを左右に移動しながらギンギンのギター・ソロを弾きまくる。ジェシー、D、シャーキーの3人が並んでギターを掻き鳴らす姿はいかにもロックンロール。バンドは、プリンス「The Cross」の終盤を思わせる圧倒的なラウドさで延々と演奏を引っ張り続ける。もはや何が鳴っているのか分からない爆音の壁。私はあんぐりと口を開け、完全に棒立ち状態でステージを眺めていた。
'00年の〈VOODOO〉ツアーでは、コンサート中盤の「Shit, Damn, Motherfucker」で同様にロッキッシュなパフォーマンスがあった。今回の「The Charade」はその'15年ツアー版という感じである。「The Charade」も十分にアフロ・パンクだったが、15年前の「Shit, Damn, Motherfucker」は、実は今回の15倍くらいアフロ・パンキッシュで(最後にドラムセットの破壊までする)、できれば私はそれを生で喰らってみたかった。セットリストに関する私のささやかな不満はそれだけである。「The Charade」は現在のDの最重要レパートリーなので、「Shit, Damn, Motherfucker」が外されたことには納得している(あと、'15年ツアーではシャーキーの重要度が増したため、かつてほどジェシーにスポットが当たらなくなったのがちょっと残念。'12年ツアーではもっとジミヘンばりの鋭いプレイを披露していたが、'15年ツアーでは“ギンギンのソロを弾くためだけに存在するオッサン”みたいな印象が……)。

レッドゾーンを越えていくD
ここまでだけでも十分に凄いのだが、実はまだ序の口に過ぎない。本当にヤバかったのはここからである。長くて読んでられない、いつまで書くんだ、と言う人は、ここらで離脱してもらって構わない。私は書き続ける。この後、いよいよマザーシップが……ではなくて、ファンク怪獣Dが大暴れする!
「The Charade」でフロアが焼け野原状態になった後、1小節の必殺フィルインに続いて、クリス・デイヴがスウィング感のあるビートを叩き始めた。「The Charade」とは真逆の緩やかなファンク・ビートだ。ピノ・パラディーノがそこに、ギャング・スター「Step In The Arena」でお馴染みの野太いベース・ラインを加え、ファンク度がじわりじわりと上がっていく。そして、そこに乗っかるPファンク印のユル〜いホーン。ヴァンガードが演奏し始めたのは、なんと、フレッド・ウェズリー&ザ・ホーニー・ホーンズ「Four Play」(1977)だった。驚異の完コピである。人力サンプリングのような演奏に乗って、Dが裏声で“シュ〜ゥガ〜ァ、アァァ”というお馴染みのフレーズを歌い始めると、場内はどよめいた。「Brown Sugar」だよ〜ん!というオチだ。この意表を突くマッシュアップ、くそマニアックなDギャグに、一体、会場の何人が気付いたのだろう。いきなり観客にサビのフレーズ──女性客に裏声の“Sugar”、男性客に地声の“I want some of your brown sugar”──を歌わせた後、Dは「Four Play」に乗って、まるでラッパーのような勢いで「Brown Sugar」のヴァースを歌った。要するに、彼らはギャング・スターと同じことを、サンプリングを使わずに人力でやってみせたのである。「Four Play」は、フレッド・ウェズリーのPファンク時代の作品。ヴァンガードは、そこに更に、ブリッジとしてパーラメント「Sir Nose D'Voidoffunk」のリフを挿入していた。当然ながらハマり具合は最高である。とにかく気持ちいい。そのまま30分くらい延々とやり続けたら、ステージに本当にマザーシップが降りてきたかもしれない。この絶妙にユルいグルーヴはいつまでも踊っていられる。“セッ(Say)!”、“イヤァァァ!”、“ギェァァァ!”など、怪獣Dの咆哮もここからいよいよ凄みを増していった(余談だが、ギャング・スター「Step In The Arena」で「Four Play」と共にネタ使いされたホーニー・ホーンズ「A Blow For Me, A Toot To You」は、シャーデー「Feel No Pain」のドラム・ネタでもある)。
コンサート中盤までは割と冷静にステージを眺めていたが、この完全Pファンク仕様の「Brown Sugar」で、私はおかしくなった。身体の抑制が全く利かなくなり、自分でもビックリするくらい勝手に手足が動いていた。クリス・デイヴが「Four Play」のドラムビートを叩き始めた瞬間からヤバかった。完全にタガが外れてしまったのである。そうなると、隣の客に腕や足が当たっても気にならない。もはやステージもろくに目に入らない。爆音でビートを浴びながら、私はひたすら踊りまくっていた。
「Brown Sugar」の後、矢継ぎ早に始まった「Sugah Daddy」は、そんな私を更に狂わせた。『BLACK MESSIAH』からの1stシングルだったこの小粋なニューオーリンズ調ファンク──そのまま「Yes We Can」とメドレーにできそう──は、黒人音楽の伝統と精華をまざまざと見せつける驚異の長尺ヴァージョンで披露された。ステージ後方でゴキゲンなジャズ・ピアノを弾きながら歌った後、再び前に出てきたDがバンドを意のままに操り始める。“シャーキー!”、“ピノ!”とDが名前を叫べば、“はいよ!”という感じで各人が粋なソロを披露し、Dが指で1回、3回、5回などと合図を出せば、バンドが回数通りにヒット音を出す。演奏を中断して観客を煽った後、Dの“グッゴー!”の掛け声と共に始まった後半のファンク・ジャムは圧巻だった。
メンバーの名前を呼んでソロをやらせる、指示通りにバンドにヒットさせる、演奏の中断・再開を繰り返す……これらはいずれもJBやプリンスのショウでお馴染みの伝統的なファンク・マナーである。バンドに数を示して小節頭から回数通りにヒットさせる技──JB「There Was A Time」が起源と思われる──は、'80年代にプリンスがライヴ(「Baby, I'm A Star」「America」「Head」など)でよくやっていたもので、テレンス・トレント・ダービーやメイシー・グレイのような他のJB〜プリンス系ファンカーたちにも受け継がれている。Dは〈VOODOO〉ツアーでもやっていたが、今回のショウではこれが笑ってしまうほど徹底されていた。指でヒット数を示しながら歌い、ジャン! “アォゥ!” ジャンジャン! “アォゥ!”みたいなことを延々とやり続けるのである。スーパーくだらないのだが、これがスーパー気持ちいい。次は何回にしようかなあ、とDが考える場面があったり、時々、合図を見間違えて誰かが一発余計にヒットしてしまったりするのも楽しい(JBのバンドなら罰金ものだ)。
こんな古典的で単純なリズムのやり取りに、観客はなぜ我を忘れるくらい興奮したのだろう。その理由は、これと同じことをベッドの中でやれば分かる。女性が1回、3回、5回などと適当に数を示し、パートナーの男性に回数通り“ヒット”させる。なるべく2人で呼吸を合わせて、リズムをとりながらやった方がいい。女性はそのうち9回、17回などと数を増やしていくかもしれないが、何回であろうと男性は指示通りの回数を確実にヒットしなければいけない(できなかったら罰金)。これをひたすら繰り返す。女性は、数を言うのがもどかしくなったら“1万回!”とか言ってしまえばいい。この遊戯を楽しいと思わない人、真剣にやれない人は、恐らくファンクとは一生縁のない人だろう。要するに、Dは音楽を通してセックスの官能を表現していた。あるいは、セックスを含む、生きることそれ自体の歓喜、恍惚を表現していた。セックスをすることや生きることに古いも新しいもない。驚異的な肉体、驚異的な生バンド、驚異的な持続力で、Dは現代の観客にひたすらファンクの真髄を伝えていた。ムキムキの筋肉を晒しながら汗だくで叫ぶDには、まさしく“セックス・マシーン”という形容が相応しい。
この辺まで来ると、Dの咆哮は完全に表記不能なものになっていた。私も完全に狂っていた。ステージで何が起きていたかよく思い出せないのだが、途中から馴染み深いホーン・リフが聞こえてきて、“あ! JBの……なんだっけ、なんだっけ(「Ain't It Funky Now」だ!)”と思ったり、“I need some money!”というリフレインを聴いて、“あぁぁ! これもJBの……なんだっけ、なんだっけ(「You Can Have Watergate Just なんとかかんとか」だ!)”などと興奮したことは漠然と覚えている。JBやプリンスの十八番であるマイクスタンド芸──押し倒して手前に戻す──も度々見られた。1回、5回、1回、3回、9回……という具合に、様々な回数でバンドにヒットさせていたD。最後は“47½回!”という指示で見事にジャムを締め括った(最後の½回は裏拍に入る)。かつてプリンスは「Possessed」「Baby, I'm A Star」で“25回!”という指示をレヴォリューションに出していたが、今回のD&ザ・ヴァンガードはその記録を大きく上回ったことになる。14分に及ぶ白熱の「Sugah Daddy」を終えると、Dは“アリガトウ! Thank you, good night!”と言い残してステージを去った。
時計を見ると9時17分くらいだった。うぇー、まだ1時間ちょっとしかやってない。これじゃビルボードライブなんかと変わらないじゃん! D、俺はもっと踊りたいんだ。全然足りないよ。全然、ファンクが足りないよ。We need the funk! Gotta have that funk!

ファンクの伝道師、D
5分後、Dとバンドはステージに帰ってきた。ヤオーン!!! アンコール前の「Sugah Daddy」までが64分。しかし、ショウはその後、(アンコール待ちの時間も含めて)なんと50分も続いたのである。
クリス・デイヴがハイハットで16ビートを刻み始めた。そして、半音ずつ下降する特徴的なカッティング・ギター。キターッ、「Left & Right」!!! 爆発的に盛り上がる場内。オリジナル版よりもテンポの速いタイトな演奏に乗って、Dとバック・ヴォーカル隊が“Left, Right, Up, and Down”と唱えながら左右上下を手旗信号みたいな動きで指差す(“Left & Right 体操”と呼びたい)。途中から入ってくるメイシオ・パーカー風のサックスがくそカッコいい! 基本的には〈VOODOO〉ツアー版と一緒なのだが、ヴァンガードの演奏はそれを余裕で超えていた。どんどん熱気とスケールを増していく中盤以降のコズミックな展開がヤバい。変な光に包まれてマザーシップに吸い上げられ、そのまま宇宙の果てまで連れ去られていくような感じ、とでも言えば伝わるだろうか。途中で挿入されたファンカデリック「Good To Your Earhole」のサビ、“Put your hands together, come on and stomp your feet”は、きっと離陸の合図だったに違いない。
公演の翌日、D公認という日本のツイッター・アカウント(Team D'Angelo JAPAN)で、“昨夜のライヴで、ディアンジェロが"Left & Right"のときに弾いていたギターは、ジミヘンのものです!”というツイートがあって驚いた。すぐに検索してみたが、Dがジミヘンの遺品のギターを所有しているという情報はネット上のどこにも見当たらなかった。“ジミヘンのものです!”というのは、もしかして“ジミヘンが使っていたのと同じタイプのものです!”という意味だろうか? しかし、私がこのツイートを見て驚いたのは、実はそこではなく、「Left & Right」でDがギターを弾いていた、というごく単純な事実の方だった。かなり近くで観ていたにもかかわらず、「Left & Right」でDがギターを弾いていたこと自体、私は全く記憶していなかったのである。そう言われてみれば、確かに弾いていたような気も……(Dが弾いていたのは、黒ボディ+白ピックガードのストラトだった)。そんなことも覚えていないくらい、私の意識はぶっ飛んでいた。ずっと踊り狂っていて、まともにステージなど見ていなかった。私が漠然と覚えているのは、プリンスとJBとキン肉マンが合体したようなヤバい男──土方のおっちゃんのようにも見える──が、奇声を発しながら観客を煽りまくっている光景だけである(上の画像は私の記憶内のイメージにかなり近い)。
そして、いきなり「Chicken Grease」にワープ! 原曲のユルさは微塵もなく、アップテンポの無茶苦茶タイトなファンク・チューンに突然変異している! JB「Get On The Good Foot」とプリンス「The Work, pt.1」を混ぜた感じ? いや、「Soul Power」+「The Future」と言うべきか? それとも、〈PARADE〉ツアーの「Controversy」あたりに近いのか? 決定的な曲が思いつかないのだが、とにかく、プリンスがやる典型的なJB系ファンクに変わっている。シャーキーの弾くカッティング・リフが鬼シャープだ。始まって早々、観客にコール&レスポンスを促すD。“♪Hey nah na hey hey...”って、それ、「Play In The Sunshine」(ライヴ版)そのまんまじゃねえか! Dのヴォーカルは、声色、節回しまで完全にプリンス状態だ。
ここでちょっとチキン・グリースの話をしよう。この曲でDが歌っている“チキン・グリース”というのは、ある特定のチキン・スクラッチを意味するプリンス用語である。“チキン・スクラッチ(chicken scratch)”というのは、ファンク・ナンバーに必ずと言っていいほど登場する16分音符の細かいギター・カッティングのこと。例えば、JB「Papa's Got A Brand New Bag」の“チャリラリラリラリラリラリラリラ”とか、「There Was A Time」の“ウンチャカ・ウンチャカ・チャカウン・チャッチャカ”とか、「Super Bad」の“チャラ!チャカチャカ・チャラ!チャカチャカチャカチャカ”とか、「Hot Pants」の“チャラッチャクチャ・チャラクチャッチャ・チャラッ”のような、パーカッシヴなリズム・ギター・サウンドのことを一般的にそう言う。ミュート音を混ぜながら弾くことが多いが、プリンスはその中でも特に、9thの和音を“チャラララララララ……”と何小節も延々と掻き鳴らし続ける場合を“チキン・グリース”と呼んでいるようだ。ミュート音を混ぜながら強く弾くと掻きむしるようなサウンドになるが、ミュートせずに軽く弾き続けると滑走感が出るので、“グリース(脂)”なのだろう。チキン・グリースの最高の例は、JB「Ain't It Funky Now」、あるいは、それに対するオマージュであるプリンス「Sexy M.F.」、この2曲のバックでずっと鳴っているリズム・ギターである。Dはあのサウンドのことを言っている。“チキン・グリース”という言葉は、Dが〈VOODOO〉ツアーの「Lady」(から発展するファンク・ジャム)で意識していたプリンスの最強ファンク・ナンバー「It's Gonna Be A Beautiful Night」の歌詞にも登場する(“Every man I'll injure with my chicken grease(どいつもお見舞いしてやる、オレのチキン・グリースを)”と歌われている)。
アンコールで披露された「Chicken Grease」では、ジェシー・ジョンソンが実際に“チャラララララララ……”とギターを掻き鳴らしてチキン・グリースを聴かせる場面があった。そこでDが、ギターを掻き鳴らす手首の動きを模した“両手プラプラ・ダンス”を観客にやらせたのだが、それがまた猛烈にプリンスっぽかった(プリンスは観客によくそういう変な動きをさせる。両手プラプラ・ダンスもどこかでやっていたような気が……)。ブレイクダウンでパーカッシヴなフレーズを連発するメイシオ風──あるいは、エディ・M風──のサックスも実にプリンス的だ。
アーティストとしてちょっとヤバいんじゃないか、というくらいプリンス度が上がっていくD。ステージを指差して、思わず(某CMの谷原章介風に)“あんたやっぱりディ……”と言いかけたその瞬間、またまた異次元ワープ! 突然BPMが上がり、「Chicken Grease」は激烈なファンク・ジャムに突入した(このジャム・パートは、セットリストに「What It Do」と記されている)。JB「Cold Sweat」みたいなホーン・リフに乗って、Dが観客にソウルクラップ──8分音符の細かい手拍子──を促す。ブレイクダウンでシャーキーがもろにプリンスなチキン・スクラッチ──「Kiss」の間奏みたいな高音カッティング──をカマすと、観客がソウルクラップでそれに応じる。曲のテンポが速いのに、いくら叩いても疲れない! ソウルクラップは疲れてすぐにやめてしまいがちだが、この時はいつまでも叩いていられた。
演奏があっさり終了したところで、Dが東京の観客に早口の英語で言う。“俺たちそろそろ帰らなきゃ。時間切れだ。もう帰ってもいいか?(Can we go home yet?)”。Dのこの問いに、観客の6割くらいが反射的に“Yeah!”、4割くらいが“No!”と答えた。ポカーンとなったDが、気を取り直して“おいおい、みんなまだ帰りたくないよな!? さあ、Hell No(やなこった)と言ってくれ!”と言うと、今度はみんな“Hell No!”と答えた。“Yeah!”と言われた瞬間のDのフリーズぶりがすごく可笑しかった。
Dの“グッゴー!”の掛け声で演奏再開。“グッゴー(Good god)”というのは、この長文をここまで読み続けている人には説明不要だと思うが、プリンスがファンク・ジャムの際にバンドに出す指示のひとつである。JBが「I Can't Stand Myself」など多くの曲で使っていたこのリズミックな表現──“アジャパー”みたいな言葉で、それ自体に特に深い意味はない──を、プリンスはブレイク明け(演奏再開)の合図にした。メイシー・グレイはちょっと捻って“Oh my god!”という類似表現を使っていたが、Dはプリンスと全く同じ言葉を使う。“Thank you. Good night!”と言って帰るように見せかけ、“グッゴー!”で演奏再開、というプリンス流儀のDのファンク大会はその後も続いた。ホーン・リフが「Cold Sweat」そのまんまということもあり、今にもダニー・レイが登場して口上を捲し立てそうなJB感も漂う。高速ファンク・ビートに乗って喚き続けるD、前に出てきてエリック・リーズみたいなソロを吹きまくるサックスのケネス・ウェイラム三世、あちこち動き回って観客を煽るジョイ……ステージはもの凄いことになっていたが、細かいことは覚えていない。私は飽かずに踊っていた。約20分に及ぶ「Left & Right」「Chicken Grease」メドレーはとにかく最高だった。マザーシップに乗って地球を遠く離れ、プリンス大星雲やJB大銀河を眺めるような、とんでもない体験。ビッグバンのようなカオスで演奏を終えると、Dとバンドは再びステージを去った。くはー。
このアンコールが終わった後、速攻で帰る観客がちらほらいた。客電も点いていないのに、信じられない。第一、こんなものを聴かされて、よくさっさと帰れるなと思った。もしかしてサマーソニックでDを観た人たちだろうか。サマーソニックではアンコールが1回だったので、この日もそうだと思ったのかもしれない(おかげで前に詰めることができたが)。そのように、アンファンキーUFOに連れ去られた残念な人も中にはいたが、もちろんほとんどの観客はその場に残り、更なるアンコールを求め続けていた。私は一晩中でも踊っていられた。もっと聴きたい。いつまでも聴いていたい。We want more!!!

感涙の2ndアンコール曲「Untitled (How Does It Feel)」
4分後。まず、クリス・デイヴがステージに戻ってきた。イェーィ!!!! ドラムセットに向かうと、スネアを片手で“タン、タン、タン、タン……”とゆっくり連打し始めた。まるでリズムマシンのテンポつまみでも回すように、そのまま滑らかにスピードを上げ下げする。片手でスネアを叩きながら、テンポだけでなく、スネアの音色にも変化をつけていた(片方の手でヘッドのチューニングをいじっていた?)。リズムマシンを試用するような不思議なドラム・ソロが1分45秒ほど続いた後、リムショットによる6/8拍子の超低速ビートが始まった。一瞬のブレイクを挟んで、官能的なギターのフレーズが聞こえた瞬間、場内に悲鳴のような大歓声が沸き起こった。プリンス「International Lover」「Adore」などを彷彿させる極上のスロー・バラード「Untitled (How Does It Feel)」。
今にも止まりそうな超低速演奏をバックに、青いハットを斜めに被ったDが現れ、ゆっくりとマイクスタンドに歩み寄る。そして、官能的なファルセットで歌い始め……ない。シンプルな循環コードが何度も歌い出しのきっかけを作るが、その度にDは観客の期待をはぐらかす。“Achoo!”、“ンガッ”、“ホゲッ”などとマイクを掴んで力むだけで、いつまで経っても歌い出さない。今度こそ歌うかと思わせておいて、やっぱり歌わない、という“じらし”をDはしつこく続けた(クシャミで観客をずっこけさせるギャグは、加藤茶を彷彿させた)。これはバカウケだった。
ようやく歌い始めたDのヴォーカルは、やはり素晴らしかった。ファルセットで絶叫する中盤の過熱ぶりはいかにもプリンスだが、それ以上に印象深かったのは、アル・グリーンによく似た独特の甘美なディープ・ソウル感である。3人のバック・ヴォーカル隊と一丸になった直球のヴォーカル・パフォーマンスには、牧師の家庭に生まれ、教会でゴスペルを歌いながら育ったDのルーツが感じられ、非常に説得力があった。泥臭さが滲み出る熱い歌声を聴きながら、ああ、根はこういう人なんだなあ、と思った。
Dは途中からステージ後方で鍵盤を弾きながら歌った。循環コードに乗って“How does it feel”のリフレインが静かに繰り返される中、クリス・デイヴが演奏をやめてDのもとへ行った。Dとクリスは、互いの健闘を讃え合うように抱き合い、拳を突き合わせた。そのままクリスが退場した後、ヴァンガードのメンバーたちが、それぞれちょっとしたソロを披露してから、順番に去り始めた。一人また一人とステージからいなくなっていく。それにつれて音数もどんどん減っていく。別れの時が迫っているのは誰の目にも明らかだった。素晴らしい演奏を聴かせてくれたメンバーの一人ひとりに、観客から盛大な拍手が送られる。
自分を支えてくれた仲間たちに感謝し、互いの絆を確かめ合うようなこの場面を見て、ふと、開演前の場内にJ・ディラが流れていたことを思い出した。彼はDにとって掛け替えのない仲間であり、ある意味、誰よりもDの今を支える人物に違いない。ヒップホップを基盤にした新たな生演奏ファンクの型を模索するにあたって、Dがディラのビートから多大なインスピレーションを受けていることはもちろんだが、それだけではない。酒とクスリに溺れていた'00年代半ばのDが、施設に入って更生することを決意したのは、ディラの死がきっかけだった('06年2月10日、ディラは32歳の若さで病死)。'15年のインタヴューでDはこう語っている。
「ディラが死んだ時、俺たちみんなショックだった。すげえ恐くなって、自分もそのうち死ぬんだって本気で思ったよ。あの時、アミーア(クエストラヴ)は俺のことを心配してたと思う。そういう時って、どう言ったらいいか分からないもんで、あいつは無言だった。俺はとにかく頑張って乗り越えるしかなかった。で、今の自分がいるのさ」(14 June 2015, Rolling Stone)
ディラの死がなければ、Dはジミ・ヘンドリックスと同じ運命を辿っていたかもしれない。'15年にこうして東京で歌っていることもなかったかもしれない。「Untitled (How Does It Feel)」で仲間たちを一人ずつ見送るDの姿を見て、同時に、ステージ上にいないディラに対する彼の深い思いを想像した。最後に残ったメンバーは、バンドの中でDと最も付き合いの長いピノ・パラディーノ。そのピノも遂に去ってしまうと、ステージには鍵盤を弾くDだけがポツンと残された。その光景は“人は最後は一人ぼっちだ”ということを示しているようにも思われた。いくら自分を支えてくれる仲間たちがいても、結局、自分の人生は自分で生きるしかない。どんなに苦しいことも、自分の力で乗り越えなくてはならない。そして、Dは乗り越え、'15年に東京のステージで歌っている。何か大いなる運命の力のようなものを感じて、自然と目頭が熱くなった。
たった一人で鍵盤を弾きながら、Dは最後にもう一度、声を振り絞ってサビを歌った。そして、観客にも歌わせる。“どんな気持ちだい?(How does it feel?)”。答えは決まっている。巡り巡って東京で対面し、彼とそんなやり取りができたことを、私はとても幸せに思う。すべての演奏を終えたDは、最後にこう言ってステージを去った──“Feel so good, Tokyo. Thank you so much. That was so beautiful. So we'll meet again. Peace and love. アリガトウ”。
終演は10時07分。114分にわたるディアンジェロ&ザ・ヴァンガードのゼップ東京公演は、こうして幕を閉じた。
ロックが否定に向かう音楽だとすれば、ファンクはひたすら肯定に向かう音楽である。ファンクはこの世のすべてを肯定する。“Life is beautiful”──ディアンジェロ&ザ・ヴァンガードは、生きることの楽しさ、素晴らしさを全力で私たちに教えてくれた。何もかも最高だった。本当に楽しかった。
ありがとう、D。また会おう!
Thank you, D. It was a beautiful night.
We'll meet again!

※会場では2種類のTシャツ、もとい、Dシャツ──黒地に『BLACK MESSIAH』のジャケ写が印刷されたAタイプ、「The Charade」のサビの歌詞が印刷されたBタイプ(各3,500円)──が売られており、多くの人が購入していた。サマソニでも売られていたらしく、最初から着ている人もいたし、ゼップで買ってその場で着替えている人もいたようだった。私はあまりアーティストTシャツに興味がないのだが、終演後にどうしても欲しくなり、「The Charade」の歌詞が印刷されたBタイプを購入した(上の画像の右側がBタイプ。Aタイプは、印刷されている写真がちょっと違うが、左側によく似ている)。終演後の観客はみんな一様に脱力し、会場にはいつまでも去りがたい雰囲気があった。同じ体験を共有した見ず知らずの人たちと、私は不思議な連帯感のようなものを感じていた。このDシャツは、特別なイベントに参加できた良い記念の品になった。
01. Drone - Ain't That Easy
02. Vanguard Theme
03. Betray My Heart
04. Spanish Joint
05. Clare Fischer Interlude - Really Love
06. The Charade
07. Brown Sugar
08. Sugah Daddy
-encore 1-
09. Left & Right
10. Chicken Grease - What It Do
-encore 2-
11. Untitled (How Does It Feel)
Zepp Tokyo, August 18, 2015
D'Angelo (vocals, guitar, keyboards), Jesse Johnson, Isaiah Sharkey (guitar), Pino Palladino (bass), Chris "Daddy" Dave (drums), Rodrick Cliche Simmons (keyboards), Keyon Harrold (trumpet), Kenneth Whalum III (sax), Joi Gilliam, Jermaine Holmes, Charles "Red" Middleton (backing vocals)
D'Angelo and the Vanguard: "Second Coming" Japan Tour 2015
August 15, Summer Sonic Osaka
August 16, Summer Sonic Tokyo
August 18, Zepp Tokyo

LIVE AT SUMMER SONIC TOKYO, AUGUST 16, 2015
Ain't That Easy / Vanguard Theme / Betray My Heart / Spanish Joint / Really Love / The Charade / Brown Sugar / Sugah Daddy / Untitled (How Does It Feel)
'15年8月16日、サマーソニック東京公演の(ほぼ)完全収録オーディエンス動画(投稿者:HIROSHI TAKAHASHI)。曲単位の分割アップ。曲間が微妙に欠けているのが残念だが、今回の来日公演の内容はこれで大体分かる。サマーソニック大阪/東京では、アンコールはいずれも「Untitled (How Does It Feel)」のみ。大型フェスらしく、背景にバンド名の巨大文字を映し出すという珍しい演出が見られる。ゼップ東京でブロッコリみたいなアフロヘアを丸出しにしていたジェシー・ジョンソンは、ここではキャスケットを被っている。「Untitled (How Does It Feel)」イントロのクリス・デイヴのドラム・ソロも、ゼップ東京公演とはまるで違う。大まかな流れは一緒だが、日によってバンドの演奏はかなり変化するようだ。公演当日のWOWOWの生中継では、「The Charade」と「Brown Sugar」(の途中まで)が放映された。尚、前日のサマーソニック大阪公演は、完全収録オーディエンス音源がSoundCloudにアップされている(投稿者:Team D'Angelo JAPAN)。
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D'Angelo──シャーデー大賞2014
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前座(ゼップ東京公演の開演前に場内で流れたJ・ディラ曲、43分間の完全トラックリスト)
結果にコミットする。
HARDROCKLOVER〜Phase 2「Dの来日公演」
プリンスを1位にしろ!
ウルトラミキサー
Prince──ファンクんロール
Prince──朝ご飯はあとまわし
Prince──ドロシー・パーカーのバラッド
Prince──カネなんかどうでもいい
12月の歌──I Think It Was December
Wendy & Lisa──ハネムーン急行
Liv Warfield──なんで嘘つくの?
4月の歌──Sometimes It Snows In April
Liv Warfield @ Blue Note TOKYO 2015
Prince──ボルティモア
Prince──シャーデーの「Sweetest Taboo」
HARDROCKLOVER〜Phase 1「プリンスの新譜」
Macy Gray @ Billboard Live TOKYO 2011
Macy Gray @ Billboard Live TOKYO 2012
オールスタージャンケン大会(JB vs プリンス)
| Man's Man's Man's World | 09:00 | TOP↑