2012.04.17 Tue
持ち運び式ミュージアム『完全記録「山口百恵」』

3月28日、ズシリと重いLPサイズの段ボール箱が私のもとに届けられた。『完全記録「山口百恵」』である。
山口百恵の未発表写真と芸能活動記録を纏めた豪華書籍。完全受注生産の通販限定商品。価格は送料込みで15,300円。'11年12月5日から'12年2月7日まで予約注文が受け付けられ、3月27日に販売元のソニー・マガジンズから全国の百恵ファンに発送された(商品概要については予約開始時の記事“超豪華本『完全記録「山口百恵」』発売”を参照)。
背面に“山口百恵”と大きく書かれたLPサイズの白い段ボール箱は、開封前の時点で既にただならぬ気配を漂わせていた。総重量6.5kg。広辞苑(2.5kg)の約2.5倍だと言えば、どれほど重いか想像がつくだろう。棚から頭に落ちてきたら間違いなく人が死ぬ重さである。もはや書籍の次元を超えている。この危険なブツを私は落手からしばらく未開封のまま部屋の片隅に放置していたが、先日、意を決して中を見ることにした。
オープン・ザ・山口百恵……。段ボール箱を開けると、中から鮮烈な真紅の書籍が現れた。レッド・センセーション! 重さに手こずりながら収納ケースから全3巻を取り出す。ケースと同様、真っ赤な無地の表紙には簡潔に“山口百恵”とだけ書かれ、それぞれに“1”、“2”、“3”と巻番号が振られている。熱いミルクティーを一口すすって気持ちを落ち着けると、私は震える手で第1巻の頁をめくった。
1 CHRONICLE 1973-1980 完全記録 山口百恵 第1章 年代記

1st『としごろ』用のセッション。かわいい~!
“Chronicle 1973-1980”と題された第1巻には、篠山紀信をはじめとする複数の写真家による大量のレコード・ジャケット用セッション写真(アウトテイク200点以上を含む)が時系列で纏められている。全く子供としか言いようがないあどけない表情を浮かべる14歳の少女が、頁をめくるごとにどんどん成長していく様は圧巻である。山口百恵の8年間の変容の美しさに改めて感嘆せずにはいられない。

どんどん大きくなっていきます
山口百恵は、女が最もドラスティックかつ美しく変化する14~21歳という季節に活動した。山口百恵という歌手の最大の魅力は、この変化・成長の過程自体が“作品”として昇華されている点にある。彼女のレコード群は、早い話が「山口百恵」という架空の少女の成長過程を追った一種のセミ・ドキュメンタリーである。山口百恵はもちろん実在の人物だったが、音盤から浮かび上がる「山口百恵」は、常に限りなく実像に近い虚像と言うべきものだった。この虚像と実像の重なり具合は、例えば、アイドル映画の金字塔『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)』(1964)における4人の生き生きとした若者像のそれと似ている。等身大の百恵像が意識的に投影されるようになった記念碑的作品が、'76年のシングル「横須賀ストーリー」。アルバムでは、映画『ビートルズがやって来る~』の世界を『SGT. PEPPER'S~』的に展開した'77年の私小説風コンセプト作『百恵白書』がやはり決定的代表作になるだろうか。

はっ!
決して“怒れる若者”というわけではなかったが、山口百恵──もちろん括弧つきのそれだが──は、どこか不機嫌で、ちょっと生意気な感じの娘だった。彼女は大抵、仏頂面で物憂げな表情を浮かべて写真に収まっている。アイドルと言えば満面の笑みを浮かべて写真に収まるのがまだ常識だった頃、アンニュイで、時にふてぶてしさも感じさせる彼女の顔は、人々にさぞかし強いインパクトを与えたと思う。山口百恵は過去のアイドルたちが見せなかった生々しい表情を浮かべていた。彼女はそれまでのどんなアイドルよりも“リアル”だったのである。

ぬおっ!
この第1巻の写真集においても、そうした山口百恵らしい表情が数多く見られる。心の底に苛立ちや悲しみを秘めたような深い翳りのある表情は、どことなく興福寺の阿修羅像を思わせる。彼女の顔にはどこか殺気が漂ってはいないか。特に'77年から'78年にかけての全盛期の百恵は、阿修羅と同質のオーラを放っているように私には感じられる(造形的には、短髪で眉がシャープな'77年の顔が最も阿修羅度が高い)。百恵のレコード・ジャケットの大半を手掛けた篠山紀信は、女性アイドルの物憂げな表情を好んで撮った。篠山の“激写”グラビア以降、アンニュイな表情を見せる女性アイドルは珍しくなくなるが、この阿修羅的な顔つきだけは山口百恵に特有のものである。彼女の人格と深い関わりがあるだろうこの顔が、やはり山口百恵を山口百恵たらしめていると思う。
ちなみに、'79年以降の百恵も確かにいい顔をしているのだが、魅力の質はちょっと違ってきている。それは基本的に普通の成熟した女の魅力であり、綺麗だとは思うが、それまでの神懸かり的なオーラは明らかに薄れつつある。ヤバいのは、やはり'78年頃(正確には'79年前半)までの百恵である。

ぐふっ!
印刷も素晴らしい。厳選され、1枚1枚丁寧にマスタリングされた写真は、ものによってはほっぺたを摘めるんじゃないかと思うほどリアルな質感を湛えている。シンプルで品の良いレイアウトも好感が持てる。微妙に表情やポーズが変わっていく同一セッションの連続写真は特にスリリング。彼女の歌唱と同様、抑制の利いたクールな表情の中にも様々なニュアンスがあり、ちょっとした表情の変化にハッとさせられる。物憂げなポートレイトの中にふと現れる屈託のない笑顔も実に魅力的だ。阿修羅のごとく様々な感情が渦巻いているようなこの人の顔は、見ていて本当に飽きることがない。山口百恵の8年間の変容をグラフィックで辿る第1巻の写真集は、間違いなく『完全記録「山口百恵」』の最大のハイライトである。


'77年の解説と'78年の扉頁(左)、'78年の年表(右)
第1巻は'73年から'80年まで1年ごとにチャプターで区切られている。事前に告知されていた商品内容では、“芸能活動年表”が巻末に纏められているような印象だったが、年表はチャプター(年)ごとに振り分けられ、その年の写真の後に掲載されている。掲載情報は、テレビ/ラジオ番組、コンサート、舞台、映画、レコードのそれぞれ放送日、開催日、公開日、発売日に絞られている。篠山紀信の百恵写真集『百恵』(1980/集英社)の巻末に掲載された年表には、例えば、“1971年3月──小学校卒業。卒業ノートに百恵は「将来、私は歌手になりたいと思います」と書く”とか、“1976年9月21日──「パールカラーにゆれて」発売。この日初めてお酒を飲む。コークハイ3杯”などといった異様に詳しい情報が丁寧に記載されていたのだが、今回の年表にデビュー前やプライベートの情報は一切ない。出演番組の放送日や地方コンサートの日程(会場名がないのが惜しい)は『百恵』の年表にも載っていなかったので貴重だが、単にイベント名と日付の羅列に過ぎないので、見ていてあまり面白いものではない。この年表から浮かび上がるのは、山口百恵がいかに忙しく働いていたか、ということくらいである。これは完全にマニア向けの資料だ。
各チャプターの最後の頁には、その年の百恵の活動に関する簡潔な解説文が掲載されている。こうした客観的な記述はアーティストの足跡を辿る上で道標の役割を果たすので、この手の回顧本には不可欠である。この解説頁には、これまたレアなアウトテイク写真の数々が解説文を取り囲むようにレイアウトされている。素晴らしいショットがいくらでもあるのだ。上の画像(左)からは分かりにくいかもしれないが、写真は明度とコントラストを落とし、中央の白い解説文が浮かび上がるように処理されている。この書籍はデザインも実に美しい。
2 DISCOGRAPHY 1973-2011 完全記録 山口百恵 第2章 ディスコグラフィー

オリジナル7"シングルの掲載頁
第2巻は丸ごと1冊ディスコグラフィ資料。'73年から'11年までに発売された山口百恵の音楽・映像ソフトの情報が画像つきで詳しく掲載されている。'07年の24枚組CDボックス・セット『Complete MOMOE PREMIUM』にもかなり詳細かつ包括的なディスコグラフィが掲載されていたが、今回はそれを大幅にパワーアップさせたものになっている。オリジナル7"シングルやLP、各種ベスト盤はもちろん、レアな12"、カセット、VHS/βビデオ、LDから、CD、DVDに至るまで、これまで世に出たあらゆる百恵のソフトが、盤面、帯、スリーヴ表裏・内側、歌詞カード、封入写真集・ピンナップ、予約特典ポスターなどの画像と共に一挙に紹介される。整然としたレイアウトも見やすいし、各アイテムに簡単な解説文が添付されているのも丁寧で良い。色々な物が出ているんだなあ、とただ驚くばかりである。マニアの執念を感じさせる圧巻の完成度だ。

『This is my trial』の通常盤とマスター・サウンド盤
上の画像は、'80年秋に発売された百恵の最終アルバム『This is my trial』の掲載頁。左側は10月21日発売の通常盤で、右側は同年12月1日に発売された高音質の“マスター・サウンド”仕様盤。はっきり言って見た目はまるっきり変わらないのだが、こういうものもいちいち丁寧に取り上げられているわけである(どうでもいい話だが、百恵のオリジナル・スタジオ・アルバム全22枚の中で個人的に最も聴く頻度が高いのがこのアルバムだ。最愛の盤は'78年のライヴ盤『百恵ちゃんまつり'78』のディスク2です)。

『山口百恵 激写/篠山紀信』のビデオカセット('80年7月発売/定価25,000円)
このディスコグラフィを眺めていて思わず“あっ!”と声を上げてしまったのは、'79年にNHKで放映された特番『山口百恵 激写/篠山紀信』が最初にソフト化された時のビデオカセットである。この商品には、番組内に登場する「プレイバック Part 2」のMVに使用されたスチールを並べた簡易写真集(16頁)が特典で封入されていた。私はこの時のセッションの写真をずっと高画質で見たかったのだ。書籍には特典写真集の全頁のスキャンが掲載されている。現物は恐らくビデオカセット大だと思うが、これはちょっと欲しくなってしまった(第1巻の写真集にこのセッションの写真は一切掲載されていない)。
3 MUSEUM 1973-2011 完全記録 山口百恵 第3章 ミュージアム

百恵ミュージアム“ポスター”セクションの扉
第3巻は“ミュージアム”と題された膨大な周辺資料集。“ポスター”、“ライブ”、“映画”、“ドラマ”、“CM”、“書籍・雑誌”、“ラジオ”、“グッズ”、“CBS・ソニー広告”のカテゴリーに分けられ、貴重な百恵アイテムの数々が美麗な写真とレイアウトで紹介されていく。中でも、半分近くのスペースを占める各種ポスター写真はかなり見応えがある。

「横須賀ストーリー」の告知と同名アルバムの予約特典ポスター(現物は共に594mm×841mm)
レコードの告知・販促用、商品封入用、予約特典用に作られた貴重なポスター群が大きめのサイズで次々と紹介されていく。まず、画質の美しさが感動的だ。これらのポスターの現物には当然折り目や皺があったと思うが、それらは全て完璧に除去されている。ポスターの多くにはレコード・ジャケットと異なるショットが使われ、デザインにもアレンジが加えられている。第1巻と同じように単純に百恵の写真集としても楽しめるが、これはやはりアートワーク集としての価値が高い。時代を偲ばせる美しいタイポグラフィを眺めているだけでも幸せな気分になる。美術品としての価値もあるポスターが、図録としてきちんと1冊に纏められたのは大変意義のあることだ。私は「横須賀ストーリー」と「白い約束」の告知ポスターが少し欲しくなった。


トヨタの広告(左)、警視庁の公共ポスター(右)
レコードの他にも、コンサート、映画、ドラマ、CMのポスター、雑誌広告、チラシ、チケット、カレンダー、レアな販促グッズなどが一挙掲載されている(特にCM関連物のアーカイヴが凄まじい)。これらが30年以上もきちんと保管されていたという事実に単純に驚いてしまう。百恵が笑顔でテニスのラケットを構える警視庁の公共ポスター('78年)などは、当時、お巡りさんの目を盗んで剥がしてきたものだろうか。第3巻でこの警視庁ポスターを見たファンの多くは、瞬時に“これか!”と思ったはずだ。'79年3月26日放映の〈夜ヒット〉で、井上順がトークのネタにしていたポスターがこれである。

〈百恵ちゃんまつり〉の紹介頁
この第3巻の中で私が入手前に一番興味を持っていたのは“ライブ”という項目だったのだが、これは'75年から'80年まで毎年8月に新宿コマ劇場で行われた舞台〈百恵ちゃんまつり〉、'79年秋のリサイタル公演、'80年秋の引退公演の情報に絞られており、私が最も知りたかった地方コンサートに関する情報はなかった(百恵は土日を中心にいつも地方でコンサート活動をしていた。これについては、第1巻の年表に日程が掲載されているのみ)。“ライブ”には、公演の基本情報(スタッフ、演目、日程)と簡単な解説に加え、レアなステージ写真(あまり品質は良くない)もいくつか掲載されている。音源未発表の'79年と'80年の〈百恵ちゃんまつり〉については、“このコンサートは録音されていなかったため、ライブ盤は未発売である”とあっけなく解説されている。んなアホな……。きちんと探したのか。警視庁のポスターが残っていて、なぜ百恵のライヴ録音が残っていないのだ。そんな不条理なことがあっていいのか!

『伊豆の踊子』のポスター、パンフ、チケット
“映画”や“ドラマ”に関しても、基本情報(スタッフ、キャスト、あらすじ、公開日/放送日)と簡単な解説で各作品が振り返られ、その後にポスター、パンフレット、チケットなどの写真が一挙に掲載される。この書籍の目玉は、やはりこうして次々と陳列されていくレアな百恵関連物にある。こうした物質的資料の羅列から浮かび上がってくるものは一体何だろう?
山口百恵は恐竜である

百恵サウルス(1970年代、日本に生息)
“完全記録”というタイトルに偽りはないが、私はむしろ、第3巻のタイトルにもなっている“ミュージアム(博物館)”という語がこの本には相応しいように感じた。よく分からない石ころや金属片をガラス越しに眺めて、“へえ~”とか“ふ~ん”とか言いながら回廊を歩いていくあの感覚だ。
例えば、恐竜の化石だけを見て、元の姿や彼らが生きていた時代を想像するのは素人には難しい。それを可能にするには、研究家による詳しい解説や、実際に恐竜を見たことのある人の証言が必要になってくる。『完全記録「山口百恵」』は、グラフィック本としては文句なしに素晴らしい。美麗な印刷、装丁、デザイン、オールカラーのこの書籍は、確かに1万5千円の価値はあると思う。が、同時に私は大量の文字情報も期待していた。受け手が当時を想像しやすいよう、もう少し文字資料や解説を充実させても良かったのではないか。様々な物質的資料からも百恵像や時代の空気はある程度伝わってくるが、通して眺めた印象としては、飽くまで“山口百恵の残骸の集積”という感じである。この残骸を組み立てるには、やはり豊富な知識と何らかの視点が必要になってくる。それを敢えてやらなかったところがこの書籍の良いところでもあるのだが、それだけに、ひどく上級者(マニア)向けの本になっていることは確かである。実際に当時を知るファンたちは、恐らく、これらの残骸からありありと現役時代の山口百恵を思い描くことができるのだろう。当時を知らない私は、残念ながら、残骸の多くがただの石ころにしか見えない。私もそれなりにマニアックなファンであるので、ある程度楽しんだことは事実だが、シビアに言うとそういうことになる。この本は本当に死ぬほどマニアックだ。
恐竜の生態がリアルに伝わってくる第1巻の写真集は最高である(いつの間にか恐竜化している百恵)。化石コレクターでない私に必要なのは、結局、この第1巻だけかもしれない。仮に、ジェネシス出版の豪華書籍のように、1万5千円のデラックス版(3巻セット)と5千円のコレクター版(簡易装丁で写真集のみ)の2種類が用意され、しかも事前に中身を確認できたとしたら、私は間違いなく後者を選んでいた。あるいは、3巻すべて写真集だったら、私の満足度は遙かに高かっただろう。ともかく、素晴らしい第1巻の写真集が、限られたマニアの手元にしか届かないのは非常に残念なことだ。
『完全記録「山口百恵」』は、高額にもかかわらず、予約開始から4日間で2万5千部を売り上げたという。恐竜はいつでも人気者である。現代に生息する数多の末裔たち(鳥類や爬虫類)を圧倒する大いなる絶滅種は、私たちに常にロマンを与えてくれる。ソニー・マガジンズからは何も発表がないが、この研究家向けの高額書籍、最終的に一体何部発行されたのだろうか?
山口百恵展──百恵サウルスが蘇る!

毎年夏になると“大恐竜展”が開催され、チビっ子たちの人気スポットとなる。私も小学生の時に父親に連れていってもらい、復元された巨大な恐竜の全身骨格などを見て興奮したものだ。これと同じような展覧会を山口百恵でもやれば良いのではないだろうか。但し、これを40~50代のロートルファン向けのイベントにしてはいけない。山口百恵を知らない世代が、“百恵やべー!”、“やっぱ今のアイドルとはスケールが違うよなー”と驚けるようなものでなくてはならない。
展示内容は、基本的には写真がメインである。しかし、“写真展”という名目は来場者を既存のファンに限定してしまうので、より包括的な印象を与える〈山口百恵展〉のタイトルで開催し、幅広い層の人々を引き寄せたい。未公開ショットを大量に含む写真群の他には、百恵のレアなアナログ・レコード、当時の告知・販促や各種CMのポスター等の歴史的な百恵関連物の現物を一挙に展示する。要するに、『完全記録「山口百恵」』をそのまま展覧会に移植すれば良い。この書籍の内容は、むしろ展覧会という形で提示した方が遙かに魅力的だろう。
もちろん、展覧会だからこそ実現できるコンテンツもある。例えば、百恵のお喋りや朗読が収録されたレアなソノシートなどは、実際に音声も展示できる。デジタル化したものではつまらないが、来場者がボタンを押すと目の前でレコード・プレイヤーが回転し、ソノシートの音声を“生”で聴けるようにすれば面白いだろう(誰かの大切なコレクションが犠牲になる。ソノシートは会期中に何度も再生されてボロボロになるが、一人のマニアに大事にされているより、多くの人に聴かれる方がソノシートも幸せに違いない)。ソノシートは会期中に何度か種類を変える。
百恵の衣裳はどの程度残っているのか知らないが、あれば展示する。持っているとしたら、やはり主婦の三浦百恵さんだろうか。彼女にも協力を願い、アクセサリー類なども含め、貴重な品を提供してもらう(いつも左手につけていたブレスレットや、阿木燿子のエジプト土産のネックレスは今でも持っているのだろうか?)。引退公演で百恵がステージに置いた白いマイクなんかも展示すると良いだろう。その他の歴史的物品──作詞家の生原稿、〈スター誕生!〉オーディション時の履歴書など──の発掘にも力を入れたい。
テレビ広告は、小さなモニターを設置し、印刷広告とあわせて実際に映像を見られるようにすると良い。会場内には中高年の来場者のためにソファを置いた休憩コーナーを設け、そこで『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』『激写/篠山紀信』などのDVD映像を上映する(DVDはもちろん会場で販売する)。あるいは、TBSに協賛してもらい、〈ザ・ベストテン〉のGスタジオ(ミラーゲートやランキングボードがあるエリア)を会場内に再現しても面白い。来場者はミラーゲートをくぐったり、ソファに座ったりして歌手の気分を味わえる。このセクションは来場者の写真撮影を許可する。歌謡曲ファンはみんな展覧会に来るだろう。


テレビ番組風セットで百恵ちゃんと記念撮影。本物にしか見えない!
しかし、これだけではまだ弱い。ティラノサウルスの全身骨格標本のように、何かもっと来場者の度肝を抜く展示物が必要である。そこで、マダム・タッソーに依頼し、現役時代の山口百恵の精巧な蝋人形を1~3体ほど製作する。これを会場の適所に展示し、展覧会の最大の呼び物にするのだ。人形は来場者が並んで一緒に写真を撮ることはもちろん、触れることも可能である。テレビ番組風セットで歌う百恵人形の後ろにマイクスタンドや楽器(ギターとベース)を用意しておき、来場者が百恵のバックバンドに扮して写真を撮ることができたり、会期中に人形の衣裳や髪型が変わるといった工夫があると更に良い。ファンが最も見たいのは「プレイバック Part 2」か「絶体絶命」を歌う百恵人形だと思うが、複数体製作する場合、白ドレスを着た引退公演の百恵人形も欲しい(初期の百恵人形なら『伊豆の踊子』の和服姿がイチ押し)。開催の半年ほど前にネットで複数のサンプル画像を提示し、どの百恵を再現するかファンに投票で決めさせても面白い。マダム・タッソーがプロデュースする山口百恵人形は大いに話題になるに違いない。
展示構成は年代順にし、写真や関連物などを通して来場者が百恵の成長過程を辿れるようにすると良いと思う。会期中には、宇崎竜童、阿木燿子、篠山紀信、酒井政利、川瀬泰雄といった百恵関係者を招いたトークショウも数回行う(宇崎にはギター持参で来てもらい、百恵楽曲をいくつか歌ってもらう)。
物販コーナーでは、レコード告知・販促ポスターの高品質レプリカ、山口百恵フィギュア(by 海洋堂)、百恵ちゃん携帯ストラップ、百恵ちゃん下敷き、百恵ちゃんステッカーなどのオリジナル百恵グッズを売る。篠山紀信の高額オリジナル・プリントを販売しても良い。展覧会のカタログは、『完全記録』第1巻をアレンジした普及版的な写真集(『完全記録』で選外になったショットを多数掲載)で良いのではないか。これらはいずれも飛ぶように売れるはずである。
百恵の写真集で待ち望まれるのは、何と言っても、篠山紀信が撮った写真を集大成した全集である。'80年の写真集『百恵』は、質的にも量的にも、もはやファンの欲求を満たさない。年代順にあらゆるセッションを網羅した全集的な写真集が作られるべきである(多分、篠山紀信は死ぬまでにこれをやるだろう)。これはいくら高額になっても構わない。
とはいえ私は、中高年マニアのみを標的に高額な“デラックス永久保存版なんとか”を売るような商売のやり方は基本的に嫌いである。マニアから若い初心者にまで広くアピールする、もっと間口の広い商品を考えてほしいと思う。山口百恵は、このままでは本当にただの化石になってしまう。〈山口百恵展〉は、ロートルファンを満足させると同時に、新たなファン層を開拓する非常に有意義なイベントになるだろう。どの程度の実現性があるのかはさっぱり分からないが、少なくとも、私が本当に面白いと思える百恵企画はこういうものだ。
実は、この展覧会や、以前書いた『THE MOMOE ANTHOLOGY』の他に、'13年にもうひとつ実現されるべき企画があるのだが……それはまた機会を改めて書くことにしたい。
山口百恵 関連記事◆目録

1st『としごろ』用のセッション。かわいい~!
“Chronicle 1973-1980”と題された第1巻には、篠山紀信をはじめとする複数の写真家による大量のレコード・ジャケット用セッション写真(アウトテイク200点以上を含む)が時系列で纏められている。全く子供としか言いようがないあどけない表情を浮かべる14歳の少女が、頁をめくるごとにどんどん成長していく様は圧巻である。山口百恵の8年間の変容の美しさに改めて感嘆せずにはいられない。

どんどん大きくなっていきます
山口百恵は、女が最もドラスティックかつ美しく変化する14~21歳という季節に活動した。山口百恵という歌手の最大の魅力は、この変化・成長の過程自体が“作品”として昇華されている点にある。彼女のレコード群は、早い話が「山口百恵」という架空の少女の成長過程を追った一種のセミ・ドキュメンタリーである。山口百恵はもちろん実在の人物だったが、音盤から浮かび上がる「山口百恵」は、常に限りなく実像に近い虚像と言うべきものだった。この虚像と実像の重なり具合は、例えば、アイドル映画の金字塔『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)』(1964)における4人の生き生きとした若者像のそれと似ている。等身大の百恵像が意識的に投影されるようになった記念碑的作品が、'76年のシングル「横須賀ストーリー」。アルバムでは、映画『ビートルズがやって来る~』の世界を『SGT. PEPPER'S~』的に展開した'77年の私小説風コンセプト作『百恵白書』がやはり決定的代表作になるだろうか。

はっ!
決して“怒れる若者”というわけではなかったが、山口百恵──もちろん括弧つきのそれだが──は、どこか不機嫌で、ちょっと生意気な感じの娘だった。彼女は大抵、仏頂面で物憂げな表情を浮かべて写真に収まっている。アイドルと言えば満面の笑みを浮かべて写真に収まるのがまだ常識だった頃、アンニュイで、時にふてぶてしさも感じさせる彼女の顔は、人々にさぞかし強いインパクトを与えたと思う。山口百恵は過去のアイドルたちが見せなかった生々しい表情を浮かべていた。彼女はそれまでのどんなアイドルよりも“リアル”だったのである。

ぬおっ!
この第1巻の写真集においても、そうした山口百恵らしい表情が数多く見られる。心の底に苛立ちや悲しみを秘めたような深い翳りのある表情は、どことなく興福寺の阿修羅像を思わせる。彼女の顔にはどこか殺気が漂ってはいないか。特に'77年から'78年にかけての全盛期の百恵は、阿修羅と同質のオーラを放っているように私には感じられる(造形的には、短髪で眉がシャープな'77年の顔が最も阿修羅度が高い)。百恵のレコード・ジャケットの大半を手掛けた篠山紀信は、女性アイドルの物憂げな表情を好んで撮った。篠山の“激写”グラビア以降、アンニュイな表情を見せる女性アイドルは珍しくなくなるが、この阿修羅的な顔つきだけは山口百恵に特有のものである。彼女の人格と深い関わりがあるだろうこの顔が、やはり山口百恵を山口百恵たらしめていると思う。
ちなみに、'79年以降の百恵も確かにいい顔をしているのだが、魅力の質はちょっと違ってきている。それは基本的に普通の成熟した女の魅力であり、綺麗だとは思うが、それまでの神懸かり的なオーラは明らかに薄れつつある。ヤバいのは、やはり'78年頃(正確には'79年前半)までの百恵である。

ぐふっ!
印刷も素晴らしい。厳選され、1枚1枚丁寧にマスタリングされた写真は、ものによってはほっぺたを摘めるんじゃないかと思うほどリアルな質感を湛えている。シンプルで品の良いレイアウトも好感が持てる。微妙に表情やポーズが変わっていく同一セッションの連続写真は特にスリリング。彼女の歌唱と同様、抑制の利いたクールな表情の中にも様々なニュアンスがあり、ちょっとした表情の変化にハッとさせられる。物憂げなポートレイトの中にふと現れる屈託のない笑顔も実に魅力的だ。阿修羅のごとく様々な感情が渦巻いているようなこの人の顔は、見ていて本当に飽きることがない。山口百恵の8年間の変容をグラフィックで辿る第1巻の写真集は、間違いなく『完全記録「山口百恵」』の最大のハイライトである。


'77年の解説と'78年の扉頁(左)、'78年の年表(右)
第1巻は'73年から'80年まで1年ごとにチャプターで区切られている。事前に告知されていた商品内容では、“芸能活動年表”が巻末に纏められているような印象だったが、年表はチャプター(年)ごとに振り分けられ、その年の写真の後に掲載されている。掲載情報は、テレビ/ラジオ番組、コンサート、舞台、映画、レコードのそれぞれ放送日、開催日、公開日、発売日に絞られている。篠山紀信の百恵写真集『百恵』(1980/集英社)の巻末に掲載された年表には、例えば、“1971年3月──小学校卒業。卒業ノートに百恵は「将来、私は歌手になりたいと思います」と書く”とか、“1976年9月21日──「パールカラーにゆれて」発売。この日初めてお酒を飲む。コークハイ3杯”などといった異様に詳しい情報が丁寧に記載されていたのだが、今回の年表にデビュー前やプライベートの情報は一切ない。出演番組の放送日や地方コンサートの日程(会場名がないのが惜しい)は『百恵』の年表にも載っていなかったので貴重だが、単にイベント名と日付の羅列に過ぎないので、見ていてあまり面白いものではない。この年表から浮かび上がるのは、山口百恵がいかに忙しく働いていたか、ということくらいである。これは完全にマニア向けの資料だ。
各チャプターの最後の頁には、その年の百恵の活動に関する簡潔な解説文が掲載されている。こうした客観的な記述はアーティストの足跡を辿る上で道標の役割を果たすので、この手の回顧本には不可欠である。この解説頁には、これまたレアなアウトテイク写真の数々が解説文を取り囲むようにレイアウトされている。素晴らしいショットがいくらでもあるのだ。上の画像(左)からは分かりにくいかもしれないが、写真は明度とコントラストを落とし、中央の白い解説文が浮かび上がるように処理されている。この書籍はデザインも実に美しい。
2 DISCOGRAPHY 1973-2011 完全記録 山口百恵 第2章 ディスコグラフィー

オリジナル7"シングルの掲載頁
第2巻は丸ごと1冊ディスコグラフィ資料。'73年から'11年までに発売された山口百恵の音楽・映像ソフトの情報が画像つきで詳しく掲載されている。'07年の24枚組CDボックス・セット『Complete MOMOE PREMIUM』にもかなり詳細かつ包括的なディスコグラフィが掲載されていたが、今回はそれを大幅にパワーアップさせたものになっている。オリジナル7"シングルやLP、各種ベスト盤はもちろん、レアな12"、カセット、VHS/βビデオ、LDから、CD、DVDに至るまで、これまで世に出たあらゆる百恵のソフトが、盤面、帯、スリーヴ表裏・内側、歌詞カード、封入写真集・ピンナップ、予約特典ポスターなどの画像と共に一挙に紹介される。整然としたレイアウトも見やすいし、各アイテムに簡単な解説文が添付されているのも丁寧で良い。色々な物が出ているんだなあ、とただ驚くばかりである。マニアの執念を感じさせる圧巻の完成度だ。

『This is my trial』の通常盤とマスター・サウンド盤
上の画像は、'80年秋に発売された百恵の最終アルバム『This is my trial』の掲載頁。左側は10月21日発売の通常盤で、右側は同年12月1日に発売された高音質の“マスター・サウンド”仕様盤。はっきり言って見た目はまるっきり変わらないのだが、こういうものもいちいち丁寧に取り上げられているわけである(どうでもいい話だが、百恵のオリジナル・スタジオ・アルバム全22枚の中で個人的に最も聴く頻度が高いのがこのアルバムだ。最愛の盤は'78年のライヴ盤『百恵ちゃんまつり'78』のディスク2です)。

『山口百恵 激写/篠山紀信』のビデオカセット('80年7月発売/定価25,000円)
このディスコグラフィを眺めていて思わず“あっ!”と声を上げてしまったのは、'79年にNHKで放映された特番『山口百恵 激写/篠山紀信』が最初にソフト化された時のビデオカセットである。この商品には、番組内に登場する「プレイバック Part 2」のMVに使用されたスチールを並べた簡易写真集(16頁)が特典で封入されていた。私はこの時のセッションの写真をずっと高画質で見たかったのだ。書籍には特典写真集の全頁のスキャンが掲載されている。現物は恐らくビデオカセット大だと思うが、これはちょっと欲しくなってしまった(第1巻の写真集にこのセッションの写真は一切掲載されていない)。
3 MUSEUM 1973-2011 完全記録 山口百恵 第3章 ミュージアム

百恵ミュージアム“ポスター”セクションの扉
第3巻は“ミュージアム”と題された膨大な周辺資料集。“ポスター”、“ライブ”、“映画”、“ドラマ”、“CM”、“書籍・雑誌”、“ラジオ”、“グッズ”、“CBS・ソニー広告”のカテゴリーに分けられ、貴重な百恵アイテムの数々が美麗な写真とレイアウトで紹介されていく。中でも、半分近くのスペースを占める各種ポスター写真はかなり見応えがある。

「横須賀ストーリー」の告知と同名アルバムの予約特典ポスター(現物は共に594mm×841mm)
レコードの告知・販促用、商品封入用、予約特典用に作られた貴重なポスター群が大きめのサイズで次々と紹介されていく。まず、画質の美しさが感動的だ。これらのポスターの現物には当然折り目や皺があったと思うが、それらは全て完璧に除去されている。ポスターの多くにはレコード・ジャケットと異なるショットが使われ、デザインにもアレンジが加えられている。第1巻と同じように単純に百恵の写真集としても楽しめるが、これはやはりアートワーク集としての価値が高い。時代を偲ばせる美しいタイポグラフィを眺めているだけでも幸せな気分になる。美術品としての価値もあるポスターが、図録としてきちんと1冊に纏められたのは大変意義のあることだ。私は「横須賀ストーリー」と「白い約束」の告知ポスターが少し欲しくなった。


トヨタの広告(左)、警視庁の公共ポスター(右)
レコードの他にも、コンサート、映画、ドラマ、CMのポスター、雑誌広告、チラシ、チケット、カレンダー、レアな販促グッズなどが一挙掲載されている(特にCM関連物のアーカイヴが凄まじい)。これらが30年以上もきちんと保管されていたという事実に単純に驚いてしまう。百恵が笑顔でテニスのラケットを構える警視庁の公共ポスター('78年)などは、当時、お巡りさんの目を盗んで剥がしてきたものだろうか。第3巻でこの警視庁ポスターを見たファンの多くは、瞬時に“これか!”と思ったはずだ。'79年3月26日放映の〈夜ヒット〉で、井上順がトークのネタにしていたポスターがこれである。

〈百恵ちゃんまつり〉の紹介頁
この第3巻の中で私が入手前に一番興味を持っていたのは“ライブ”という項目だったのだが、これは'75年から'80年まで毎年8月に新宿コマ劇場で行われた舞台〈百恵ちゃんまつり〉、'79年秋のリサイタル公演、'80年秋の引退公演の情報に絞られており、私が最も知りたかった地方コンサートに関する情報はなかった(百恵は土日を中心にいつも地方でコンサート活動をしていた。これについては、第1巻の年表に日程が掲載されているのみ)。“ライブ”には、公演の基本情報(スタッフ、演目、日程)と簡単な解説に加え、レアなステージ写真(あまり品質は良くない)もいくつか掲載されている。音源未発表の'79年と'80年の〈百恵ちゃんまつり〉については、“このコンサートは録音されていなかったため、ライブ盤は未発売である”とあっけなく解説されている。んなアホな……。きちんと探したのか。警視庁のポスターが残っていて、なぜ百恵のライヴ録音が残っていないのだ。そんな不条理なことがあっていいのか!

『伊豆の踊子』のポスター、パンフ、チケット
“映画”や“ドラマ”に関しても、基本情報(スタッフ、キャスト、あらすじ、公開日/放送日)と簡単な解説で各作品が振り返られ、その後にポスター、パンフレット、チケットなどの写真が一挙に掲載される。この書籍の目玉は、やはりこうして次々と陳列されていくレアな百恵関連物にある。こうした物質的資料の羅列から浮かび上がってくるものは一体何だろう?
山口百恵は恐竜である

百恵サウルス(1970年代、日本に生息)
“完全記録”というタイトルに偽りはないが、私はむしろ、第3巻のタイトルにもなっている“ミュージアム(博物館)”という語がこの本には相応しいように感じた。よく分からない石ころや金属片をガラス越しに眺めて、“へえ~”とか“ふ~ん”とか言いながら回廊を歩いていくあの感覚だ。
例えば、恐竜の化石だけを見て、元の姿や彼らが生きていた時代を想像するのは素人には難しい。それを可能にするには、研究家による詳しい解説や、実際に恐竜を見たことのある人の証言が必要になってくる。『完全記録「山口百恵」』は、グラフィック本としては文句なしに素晴らしい。美麗な印刷、装丁、デザイン、オールカラーのこの書籍は、確かに1万5千円の価値はあると思う。が、同時に私は大量の文字情報も期待していた。受け手が当時を想像しやすいよう、もう少し文字資料や解説を充実させても良かったのではないか。様々な物質的資料からも百恵像や時代の空気はある程度伝わってくるが、通して眺めた印象としては、飽くまで“山口百恵の残骸の集積”という感じである。この残骸を組み立てるには、やはり豊富な知識と何らかの視点が必要になってくる。それを敢えてやらなかったところがこの書籍の良いところでもあるのだが、それだけに、ひどく上級者(マニア)向けの本になっていることは確かである。実際に当時を知るファンたちは、恐らく、これらの残骸からありありと現役時代の山口百恵を思い描くことができるのだろう。当時を知らない私は、残念ながら、残骸の多くがただの石ころにしか見えない。私もそれなりにマニアックなファンであるので、ある程度楽しんだことは事実だが、シビアに言うとそういうことになる。この本は本当に死ぬほどマニアックだ。
恐竜の生態がリアルに伝わってくる第1巻の写真集は最高である(いつの間にか恐竜化している百恵)。化石コレクターでない私に必要なのは、結局、この第1巻だけかもしれない。仮に、ジェネシス出版の豪華書籍のように、1万5千円のデラックス版(3巻セット)と5千円のコレクター版(簡易装丁で写真集のみ)の2種類が用意され、しかも事前に中身を確認できたとしたら、私は間違いなく後者を選んでいた。あるいは、3巻すべて写真集だったら、私の満足度は遙かに高かっただろう。ともかく、素晴らしい第1巻の写真集が、限られたマニアの手元にしか届かないのは非常に残念なことだ。
『完全記録「山口百恵」』は、高額にもかかわらず、予約開始から4日間で2万5千部を売り上げたという。恐竜はいつでも人気者である。現代に生息する数多の末裔たち(鳥類や爬虫類)を圧倒する大いなる絶滅種は、私たちに常にロマンを与えてくれる。ソニー・マガジンズからは何も発表がないが、この研究家向けの高額書籍、最終的に一体何部発行されたのだろうか?
山口百恵展──百恵サウルスが蘇る!

毎年夏になると“大恐竜展”が開催され、チビっ子たちの人気スポットとなる。私も小学生の時に父親に連れていってもらい、復元された巨大な恐竜の全身骨格などを見て興奮したものだ。これと同じような展覧会を山口百恵でもやれば良いのではないだろうか。但し、これを40~50代のロートルファン向けのイベントにしてはいけない。山口百恵を知らない世代が、“百恵やべー!”、“やっぱ今のアイドルとはスケールが違うよなー”と驚けるようなものでなくてはならない。
展示内容は、基本的には写真がメインである。しかし、“写真展”という名目は来場者を既存のファンに限定してしまうので、より包括的な印象を与える〈山口百恵展〉のタイトルで開催し、幅広い層の人々を引き寄せたい。未公開ショットを大量に含む写真群の他には、百恵のレアなアナログ・レコード、当時の告知・販促や各種CMのポスター等の歴史的な百恵関連物の現物を一挙に展示する。要するに、『完全記録「山口百恵」』をそのまま展覧会に移植すれば良い。この書籍の内容は、むしろ展覧会という形で提示した方が遙かに魅力的だろう。
もちろん、展覧会だからこそ実現できるコンテンツもある。例えば、百恵のお喋りや朗読が収録されたレアなソノシートなどは、実際に音声も展示できる。デジタル化したものではつまらないが、来場者がボタンを押すと目の前でレコード・プレイヤーが回転し、ソノシートの音声を“生”で聴けるようにすれば面白いだろう(誰かの大切なコレクションが犠牲になる。ソノシートは会期中に何度も再生されてボロボロになるが、一人のマニアに大事にされているより、多くの人に聴かれる方がソノシートも幸せに違いない)。ソノシートは会期中に何度か種類を変える。
百恵の衣裳はどの程度残っているのか知らないが、あれば展示する。持っているとしたら、やはり主婦の三浦百恵さんだろうか。彼女にも協力を願い、アクセサリー類なども含め、貴重な品を提供してもらう(いつも左手につけていたブレスレットや、阿木燿子のエジプト土産のネックレスは今でも持っているのだろうか?)。引退公演で百恵がステージに置いた白いマイクなんかも展示すると良いだろう。その他の歴史的物品──作詞家の生原稿、〈スター誕生!〉オーディション時の履歴書など──の発掘にも力を入れたい。
テレビ広告は、小さなモニターを設置し、印刷広告とあわせて実際に映像を見られるようにすると良い。会場内には中高年の来場者のためにソファを置いた休憩コーナーを設け、そこで『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』『激写/篠山紀信』などのDVD映像を上映する(DVDはもちろん会場で販売する)。あるいは、TBSに協賛してもらい、〈ザ・ベストテン〉のGスタジオ(ミラーゲートやランキングボードがあるエリア)を会場内に再現しても面白い。来場者はミラーゲートをくぐったり、ソファに座ったりして歌手の気分を味わえる。このセクションは来場者の写真撮影を許可する。歌謡曲ファンはみんな展覧会に来るだろう。


テレビ番組風セットで百恵ちゃんと記念撮影。本物にしか見えない!
しかし、これだけではまだ弱い。ティラノサウルスの全身骨格標本のように、何かもっと来場者の度肝を抜く展示物が必要である。そこで、マダム・タッソーに依頼し、現役時代の山口百恵の精巧な蝋人形を1~3体ほど製作する。これを会場の適所に展示し、展覧会の最大の呼び物にするのだ。人形は来場者が並んで一緒に写真を撮ることはもちろん、触れることも可能である。テレビ番組風セットで歌う百恵人形の後ろにマイクスタンドや楽器(ギターとベース)を用意しておき、来場者が百恵のバックバンドに扮して写真を撮ることができたり、会期中に人形の衣裳や髪型が変わるといった工夫があると更に良い。ファンが最も見たいのは「プレイバック Part 2」か「絶体絶命」を歌う百恵人形だと思うが、複数体製作する場合、白ドレスを着た引退公演の百恵人形も欲しい(初期の百恵人形なら『伊豆の踊子』の和服姿がイチ押し)。開催の半年ほど前にネットで複数のサンプル画像を提示し、どの百恵を再現するかファンに投票で決めさせても面白い。マダム・タッソーがプロデュースする山口百恵人形は大いに話題になるに違いない。
展示構成は年代順にし、写真や関連物などを通して来場者が百恵の成長過程を辿れるようにすると良いと思う。会期中には、宇崎竜童、阿木燿子、篠山紀信、酒井政利、川瀬泰雄といった百恵関係者を招いたトークショウも数回行う(宇崎にはギター持参で来てもらい、百恵楽曲をいくつか歌ってもらう)。
物販コーナーでは、レコード告知・販促ポスターの高品質レプリカ、山口百恵フィギュア(by 海洋堂)、百恵ちゃん携帯ストラップ、百恵ちゃん下敷き、百恵ちゃんステッカーなどのオリジナル百恵グッズを売る。篠山紀信の高額オリジナル・プリントを販売しても良い。展覧会のカタログは、『完全記録』第1巻をアレンジした普及版的な写真集(『完全記録』で選外になったショットを多数掲載)で良いのではないか。これらはいずれも飛ぶように売れるはずである。
百恵の写真集で待ち望まれるのは、何と言っても、篠山紀信が撮った写真を集大成した全集である。'80年の写真集『百恵』は、質的にも量的にも、もはやファンの欲求を満たさない。年代順にあらゆるセッションを網羅した全集的な写真集が作られるべきである(多分、篠山紀信は死ぬまでにこれをやるだろう)。これはいくら高額になっても構わない。
とはいえ私は、中高年マニアのみを標的に高額な“デラックス永久保存版なんとか”を売るような商売のやり方は基本的に嫌いである。マニアから若い初心者にまで広くアピールする、もっと間口の広い商品を考えてほしいと思う。山口百恵は、このままでは本当にただの化石になってしまう。〈山口百恵展〉は、ロートルファンを満足させると同時に、新たなファン層を開拓する非常に有意義なイベントになるだろう。どの程度の実現性があるのかはさっぱり分からないが、少なくとも、私が本当に面白いと思える百恵企画はこういうものだ。
実は、この展覧会や、以前書いた『THE MOMOE ANTHOLOGY』の他に、'13年にもうひとつ実現されるべき企画があるのだが……それはまた機会を改めて書くことにしたい。
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