2007.10.19 Fri
Introduction

(L to R) Stuart Matthewman, Sade Adu, Andrew Hale, Paul S Denman
イギリス出身の4人組バンド、シャーデー。
カテゴリー的にはR&B/UKソウルに収まるが、彼らが生み出すオーセンティックなソウル・ミュージックは、世界中の幅広い層から長く愛され続けている。
紅一点のヴォーカリスト、シャーデー・アデュを中心に結成され、'84年にレコード・デビュー。リズム&ブルース、ソウル、ファンク、ジャズ、ラテンなどをブレンドしたスムーズなサウンドと、シャーデー・アデュの個性的なキャラクターが注目され、イギリス、日本に次いでアメリカでも成功。'80年代後半には“クワイエット・ストーム”ブームの追い風も受け、世界的ビッグ・ネームとしての地位を確立した。
メンバーは以下の不動の4人。
シャーデー・アデュ Sade Adu(Vocals)
スチュアート・マシューマン Stuart Matthewman(Sax, Guitar)
ポール・スペンサー・デンマン Paul Spencer Denman(Bass)
アンドリュー・ヘイル Andrew Hale(Keyboards)
シャーデーというバンドは、フロントであるシャーデー・アデュの個性──エキゾチックな美貌、ハスキーでソウルフルなヴォーカル──にその魅力の多くを負っている。バンド名は、ナイジェリア人の父とイギリス人の母を持つ彼女の本名、ヘレン・フォラシャーデー・アデュ Helen Folasade Adu から取られた。リード・ヴォーカリストの名前がそのままバンド名という点では、ドイツのネーナ(「ロックバルーンは99」)や、デビュー時のPJ・ハーヴェイ、あるいはボン・ジョヴィなどと同じパターンである。
ソロ・アーティストと思われがちなシャーデーという名称は、実はバンド名である、というのは彼らを紹介する際によく言われることだが、シャーデーはバンドであり、同時にやはりそのヴォーカリストのことでもある。シャーデーは“彼ら”であり、“彼女”でもあるのだ。シャーデー・アデュ抜きに、シャーデーというバンドが存在することは決してない。

'07年現在、デビューから20年以上経つシャーデー。彼らはその間にオリジナル・スタジオ・アルバムをたったの5枚しか発表していない。
『DIAMOND LIFE』(1984)
『PROMISE』(1985)
『STRONGER THAN PRIDE』(1988)
『LOVE DELUXE』(1992)
『LOVERS ROCK』(2000)
最初の2作は当時もてはやされたジャジー・ポップ的傾向が強いが、セルフ・プロデュースによる'88年の3作目『STRONGER THAN PRIDE』からジャズ色は影を潜め、シンプルで洗練された独自の“シャーデー・サウンド”とも言うべきものを聴かせるようになった。彼らのアルバムとしては他に、ベスト盤『THE BEST OF SADE』(1994)、ライヴ盤『LOVERS LIVE』(2002)がある。
また、アデュを除くメンバー3名は、シャーデーとしての活動休止期間中、スウィートバックというユニットで2枚のアルバム、『SWEETBACK』(1996)、『STAGE [2] 』(2004)も発表している。
シャーデーの活動の極端なスロー・ペースは、私生活を重んじるシャーデー・アデュのライフ・スタイルに原因がある。活動休止中の彼女は全くメディアにも登場せず、何をやっているのかさっぱり分からない。彼女のマイ・ペースな自然体指向は、そのままシャーデーのインティメイトな作品世界にも反映されている。

私は長年にわたってシャーデーのファンだったわけではない。
シャーデーというバンドの存在は普通に知っていたし、曲も耳にはしていたが、私はもともと基本的にはロック・リスナーで、“お洒落もの”という漠然とした先入観/偏見によって、何となく彼らの作品を敬遠し、やり過ごしていたのである。
転機は数年前に訪れた。すっかりロックを聴かなくなり、ほとんどブラック・ミュージック一辺倒になっていた私は、ある日ふとシャーデー・アデュのルックスに惹かれ、彼らの作品に再挑戦すべく、PV集『Life Promise Pride Love』を衝動買いした。あまりの素晴らしさに愕然とした私は、その翌日にライヴ・ヴィデオ『Sade Live』『Lovers Live』を迷わず購入。そこで完全にノックアウトされると、今度は全オリジナル・アルバム、アルバム未収曲が入っているシングル等を大慌てで買い揃えていった。
そうか、これがシャーデーだったのか。
長く音楽を聴いていると、こうした再発見、巡り巡った末の衝撃的出会い、というものが幾度となくある。そうした開眼経験は、巷の話題などとは関係なく、自分の嗜好の変化や、ちょっとした偶然によって、ある日突然やって来ることが多い。間抜けな私は、誰もシャーデーで盛り上がっていない時に、まるでとんでもない宝物でも発見したように一人で彼らの作品に大騒ぎしていた。
シャーデーの音楽は、たとえばロック特有のガッツや反抗精神、悪意や批評性などとはいかにも無縁である。音楽性は時代と共に変化しているが、いわゆる先鋭というのとも違う。それは空気のようにさり気なく、体温よりも微妙に高い温度で寄り添ってくるような、極上のソウル・ミュージックである。彼らのタイムレスなサウンドには、聴けば聴くほど深みを増す不思議な味わいがある。
このブログは私の個人的なシャーデー鑑賞記だ。
シャーデーについて書くことにした理由は、1)ビッグ・ネームの割には情報が乏しい、2)単に私がシャーデーについてもっと知りたいから、である。遅れてきたファンである私にとって、シャーデーは未開の巨大鉱山のようなもの。これを私は自分なりに掘ってみたい。
シャーデー作品をひとつひとつ鑑賞していく過程で、副次的な発見や私の個人的な興味対象に話がふっ飛んでいくこともあるかと思うが、テーマであるシャーデー(・アデュ)に倣い、気儘なマイ・ペースで書き進めていくことにしたい。
この鑑賞記を通して、自分が(そして、時にあなたでさえ)気付いていないシャーデーの魅力を掘り当てることができれば幸いだ。
killer b(顔写真公開中。街で見かけたら声を掛けてください)
Abeja.Mariposa at gmail.com
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