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夢はボクのもの~島田高志郎の「Adios」



 ベンジャミン・クレメンタイン「Adios」(2014)の歌詞を和訳した過去記事“Benjamin Clementine──さらば('17年3月1日投稿)に、先日、突発的に大量のアクセスがあった。何事かと思って調べてみると、やって来た200人ほどの閲覧者は皆、日本のフィギュアスケート・ファンらしかった。どうやら「Adios」がフィギュアスケートの試合で使われたようだ。

 1年前にもこれと同じことがあった。アメリカのフィギュアスケート選手、ネイサン・チェンがベンジャミンの「Nemesis」を試合で使ったことがきっかけで、日本のファンが歌詞の和訳を求めて拙記事(“Benjamin Clementine──ネメシス(因果応報)”)に押し寄せたのだ。フィギュアスケート・ファンの人たちに記事が読まれるなど夢にも思わなかったことだ。

 一応、私はダンス好きではあるが(特にタップとフラメンコを好む)、フィギュアスケートについては何も知らない。何も知らないのだが、ネイサン・チェンが「Nemesis」を使ったことを受けて、当時、門外漢なりに彼の演技を音楽ファンに紹介する記事を書いた(“危うし結弦!? ネイサン・チェンの「Nemesis」”。'17年9月18日投稿)。その中で私は、よりにもよって「Nemesis」という怨歌が選ばれたことについて“どうせなら「Adios」の方が(歌詞的にも)良かったんじゃないか”と率直な感想を書いたのだが、ここへ来て実際にその「Adios」で滑るフィギュアスケーターが現れた。しかも、日本の選手だというから二度驚く。彼の名は島田高志郎という。




 島田高志郎は'01年9月11日(!)生まれの17歳(昨日まで16歳)。「Adios」を使用した彼のショートプログラム演技は、'18年8月29日~9月1日にオーストリアのリンツで開催されたジュニア世界選手権〈ISUジュニアグランプリシリーズ〉第2戦で披露された(上がその演技映像)

 「Adios」にはEP『Glorious You』(2014)収録版とアルバム『At Least For Now』(2015)収録版の2通りのスタジオ録音があるが、今回使われたのは後者のアルバム版。“天使の歌”として中盤に挿入されるアリア部分を冒頭に置き、ベンジャミンの語りをカットして前半と終盤を繋いだエディットが良い。ドラマチックな曲の要素が短い時間の中に上手くまとまっている。島田はこのショート演技で3位、続くフリー演技で2位(使用曲はピアソラ「ブエノスアイレスの冬」)、総合で銀メダルという好成績を残した。

 今回の島田高志郎の演技は、ショート、フリー共にステファン・ランビエールという元スイス代表のフィギュアスケーター('06年トリノ五輪で銀メダル)が振付を担当した。「Adios」について、そのランビエールが日本のインタビュー記事でこう言っている。

「このショートプログラムは、とてもコンテンポラリーな内容なんですよ。最初は、彼が今までやってきた内容とは全く異なる雰囲気から始まります。そして、途中に“破壊”のような間が差し込まれて、雰囲気が変わります、そう劇的に。そのあと、とてもリズミカルな曲とともに、強い主張を持つ歌詞が続きます。この曲を選んだのは、高志郎自身。歌詞には、彼の人生に対する考えや、どのように人生を歩んで行きたいかといった彼の個人的な気持ちが込められているんだと思います。ムーブメントや演技に注ぐ高志郎の感情の強さは見ていて美しく、とてもわくわくさせられる」(30 August 2018, Spur

 ベンジャミン・クレメンタインは欧州で特に人気と評価が高いアーティストだが、日本での知名度はまだかなり低く、よほど熱心に欧米のポピュラー音楽を聴いているリスナーでないと彼のことは知らないと思う。曲を選んだのは高志郎自身……って、どんだけマニアックな高校生なんだという感じだが、フィギュアスケートをやっている日本の16歳の少年が日頃からベンジャミン・クレメンタインを愛聴していたとは思えないので、この選曲にはやはり、ネイサン・チェンの「Nemesis」が大きく影響しているのだろうと思う。ランビエールがいくつか挙げた候補曲の中から高志郎くんが選んだのか、あるいは、ネイサンの演技に感動した高志郎くんが独自にベンジャミンについて調べ、似た曲調の「Adios」を見つけて気に入ったのか(もしかすると彼は私の記事を読んだのかもしれない)

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'17年10月、ロステレコム杯で鬼気迫る演技を見せたネイサン(赤いライトセイバーを持たせたい)

 ネイサン・チェンが使った「Nemesis」は、ひどく屈折した失恋の歌である。“よくも俺を捨てやがって、いまに報いを受けるぞ!”と逆ギレする呪いじみた恨み節で、常識的に考えて、とてもフィギュアスケートに合うような曲ではない。しかし、それでも彼の演技は人々を魅了した。なぜだろう。技術的なことではないので、これについては門外漢の私でもある程度考察することができる。

 「Nemesis」でネイサンが見せた輝きや凄みというのは、『スター・ウォーズ』のアナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)や、『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルのそれと同じものだと思う。要するに、ダークヒーローの魅力だ。彼らは大いなる不幸を背負っていて、恨みや憎しみといった負の感情に突き動かされて生きている。彼らには失うものが何もない。ニヒリズムから生まれる彼らの強大な力は、悪魔的な暗黒面の力である。程度の差こそあれ、人は誰でも人生の中で彼らと似たような不幸や挫折を経験する。負の感情に身を任せ、強大な力を手にする彼らの姿に、外道とは知りながらも私たちはカタルシスを覚えてしまう。ヒーローの清く正しい生き様ではなく、彼らの抱える苦悩や葛藤、その暗さにこそ共感するのだ。だから私たちはルークよりもアナキン、アムロよりもシャアに惹かれる。ネイサン・チェンの「Nemesis」の魅力とは、つまりそういうものだったと思う。

 「Nemesis」で暗黒面の力を手にした逆襲のネイサンは、'17年10月にロシアで行われたロステレコム杯で羽生結弦を打ち負かし、見事に優勝を果たした(このときの彼の演技は素人目にも明らかに凄かった)。平昌五輪では振るわなかったものの、その後も彼は「Nemesis」を武器に圧倒的な強さで勝ち続け、'18年3月の世界選手権で遂に世界王座に就いた。恐るべし、暗黒面の力!

 一応、ネイサンの名誉のために言っておくと、彼自身がベイダーやシャアのように病んだ男だというわけでは決してない。彼は純粋に優れたフィギュアスケーターであり、「Nemesis」は飽くまでも演技である。ネイサン・チェンは好青年です(多分)。ただ、振付は明らかに歌詞と対応しているし、ネイサン自身も当然、歌詞の内容をきちんと理解した上で滑っていると思う。彼自身が心のどこかに抱える怨恨感情(“羽生、潰してやるぜ!”みたいな)が演技にある程度反映されていることは十分に考えられるし、少なくとも、どん底に落ちた者が神(ネメシス)を味方につけてのし上がるこの歌の魔力じみた響きにネイサンが後押しされていることは間違いないように思われる。“恐れるものは何もない。俺は神と共にある”という強い自己暗示がプレッシャーを克服させ、堂々とした演技や驚異的なジャンプの成功率をもたらしているのではないか。

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'18年8月、ISUジュニアグランプリシリーズで瑞々しい演技を見せた島田高志郎

 一方、島田高志郎が選んだ「Adios」は、曲調こそ「Nemesis」と似ているが、それとはまた大きく趣が異なる、若者のロマンに溢れた歌である。失敗を恐れず、あらゆるリスクを背負う覚悟で自分の夢(vision)に向かって走り出す若者の心境が、とても美しく詩的に表現されている。夢を追い、たとえ無惨な結果に終わるとしても、すべては自己責任である。それで構わない。しかし、後悔だけはしたくない。だから“僕”は別れを告げて汽車に乗る。誰にも自分を止めることはできない。自分で決めた。なぜならそれは自分の人生であり、自分の夢だから──これが「Adios」という歌の大意である(詳しくは過去の和訳記事をどうぞ)

 この歌は“高い志しを持つ男の子”という意味の名前も持つ16歳のフィギュアスケート選手にいかにも似つかわしい(これで使用曲が「Nemesis」だったらマジで嫌だなと思う)。振付を手掛けたステファン・ランビエールや、上の演技動画で解説者も言っている通り、島田高志郎の演技は「Adios」で表現されている強い感情と見事に共振していると思う。ネイサンの「Nemesis」もそうだが、滑っているというより、氷上を駆けているように見える。彼は歌詞の意味をよく知っているのだろう。島田の演技を見て、私は映画『汚れた血』(1986)でドニ・ラヴァンがデヴィッド・ボウイの曲に乗って路上を疾走する名ダンス場面(敢えて“ダンス場面”と言いたい)を思い出したりもした。ネイサンの威風堂々とした演技の迫力にはさすがに及ばないが、動きから振付感が消えてがむしゃらさがもっと出れば「Nemesis」にも引けを取らない名演になるかもしれない。私にはフィギュアスケートの技術的なことは何も分からないが、この曲を選んだ以上、彼には失敗を恐れることなく、とにかく思い切り滑ってほしい。

 果たしてベンジャミンが島田高志郎の「Adios」を見ることはあるのだろうか。今のところ彼のツイッターやインスタでリアクションは見られない。日本では音楽ファンよりもフィギュアスケート・ファンの間で名前が広まってしまっているベンジャミン・クレメンタイン(現在、デヴィッド・バーンの前座で米英ツアー中)だが、これをきっかけに“日本に行ってみようかな”という気になってくれたら嬉しい。



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