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スピルバーグの映画迷宮──『レディ・プレイヤー1』

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 ロードショー終了間際、遅ればせながら観たスティーヴン・スピルバーグ監督最新作『レディ・プレイヤー1('18年3月29日全米公開/4月20日日本公開)は、評判通りの面白さだった。

 VR世界で宝探しをするゲーム感覚の近未来SF映画。ほとんど予備知識なしに観たので、多くの映画ファンと同様、私は中盤の例の場面──スピルバーグと縁の深い、ある映画監督の超有名作品の中に主人公たちが入り込む──で度肝を抜かれた。自分の見ている映像が信じられなくて、思わず“えぇっ?!!”と劇場内で声を上げてしまった。『ブレードランナー2049』にも似たようなサプライズ場面があったが、実際、『レディ・プレイヤー1』中盤のあのヴァーチャル映画空間は、当初は『ブレードランナー』になる予定だったという(『ブレードランナー2049』と制作時期が被ったため廃案。『レディ・プレイヤー2』で実現するかも?)。最近の映画は本当に何が起こるか分からない。

 『レディ・プレイヤー1』については、劇中に散りばめられた無数の引用ネタの紹介をはじめ、既に様々なことが書かれていると思うので、ここでは“BD/DVD発売が待ちきれない!”という人のために、『レディ・プレイヤー1』的な興奮が味わえる音楽関連の秀作を2つ紹介することにしたい。




 フジロックにも来たことがあるオーストラリアのバンド、ザ・デス・セット The Death Set によるビースティーズ乗りのMV「They Come To Get Us」(2012)。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のパロディで始まり、歴代の様々なポップ・カルチャーのアイコンがチープな合成でニューヨークの街中に出現するB級映画仕立ての怪作。登場するのは、ゴジラ、スパイダーマン、バットマン、スーパーマン、バックス・バニー、エイリアン、マージ・シンプソン、ニンジャ・タートル、グレンダイザー(+スペイザー)、『スタートレック』のエンタープライズ号、『スター・ウォーズ』のスター・デストロイヤーとタイ・ファイターとAT-ST、『ジュラシック・パーク』のヴェロキラプトル、マリオ、ストリートファイター(波動拳)、ドンキーコング、レゴ人形……などなど。終盤(1分54~56秒)で“Oh my god!”と叫ぶメガネの少年は、あまりに最低すぎてカルト人気を得たイタリア産Z級ホラー映画『トロル2/悪魔の森』(1990)からの引用。

 '80年代を中心とする映画/アニメ/ゲームのキャラたちが洪水のように押し寄せるカオティックな映像は、完全に『レディ・プレイヤー1』状態。過去記事“こんな『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は嫌だ”でも紹介した作品だが、このMVは『レディ・プレイヤー1』が公開された今こそ見直されるべきだろう。



 2つめは、数ヶ月前にも紹介したオーストラリアの天才マッシュアップ職人、ワックス・オーディオ Wax Audio による'80年代ヒット曲のマッシュアップ「80's Mashup」(2013)。『レディ・プレイヤー1』でも使われたニュー・オーダー「Blue Monday」のオケに、ヴァン・ヘイレン「Jump」、デュラン・デュラン「Girls On Film」、ティアーズ・フォー・フィアーズ「Shout」を次々と乗せていくメガミックス的なマッシュアップ作品(マドンナ「Like A Virgin」もちょこっと登場)。これらの'80年代ヒット曲や人気アーティストは実際に『レディ・プレイヤー1』でもネタにされているが、それらが異種格闘技戦的に入り乱れる怒濤のミックスは、単に劇中使用曲を集めたサントラ盤以上に『レディ・プレイヤー1』らしさを感じさせる。様々な'80年代映像をコラージュした動画も素晴らしい出来だ。


スピルバーグの生前葬──『レディ・プレイヤー1』

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『レディ・プレイヤー1』──ヘッドセットを装着してVR世界に入り込む主人公

 『レディ・プレイヤー1』は、個人的には“30年後の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』”とも言うべき実に不思議な感覚の映画だった。

 スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮/ロバート・ゼメキス監督『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)は、'80年代と'50年代という2つの異なる時代の文化を対比させたSF映画である。私は父親に連れられてあの映画を劇場で観た。当時、小学生だった私にとって、劇中に登場する30年前('50年代)の音楽やファッションはどれもこれも新鮮で刺激的なものだった。あれから30年後、『レディ・プレイヤー1』で、今度はその'80年代に(VR装置を通して)タイムスリップする。私にとって劇中に登場する30年前の文化は、どれもひたすら懐かしいものばかりである。'50年代に10代を過ごし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』公開時に40代だった私の父親は、いま私が『レディ・プレイヤー1』を観るのと同じ感覚であの映画を観ていたのかと思うとしみじみする。今の子供たちは『レディ・プレイヤー1』を観て、きっと私が30年前に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たときと同じような感動や興奮を味わっていることだろう。これは是非とも親子で観たい作品である。

 デロリアンやゼメキス・キューブ(時間を戻すことができるVRゲーム内のアイテム。名称はロバート・ゼメキスに因む)の登場、アラン・シルヴェストリの起用など、『レディ・プレイヤー1』は実際に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と具体的な接点が多いが、音楽ファンとしてちょっと残念だったのは、劇中でヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「The Power Of Love」が使われなかったこと。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌なので楽曲使用は端から考慮されなかったのかもしれないが、「The Power Of Love」の使用は一周回って衝撃的だったのではないか。映画序盤、“READY PLAYER ONE”とタイトルが出るところで、もし「The Power Of Love」が大音量で流れたら、私と同世代の人たちは間違いなく号泣していたと思う(タイトルバックで実際に流れたのは、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「I Hate Myself For Loving You」だった。私はジョーン・ジェットが好きなので嬉しいサプライズだったが、誰もが知る最大公約数的な'80年代ヒット曲が多用されていた中で、これはちょっと意外な選曲だった。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の2年後、ジョーン・ジェットとマイケル・J・フォックスは『愛と栄光への日々』で姉弟役を演じているので、間接的に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』繋がりと言えないこともないが……『レディ・プレイヤー1』の文脈に置かれると、この曲の歌詞はゲーム依存症の暗喩のようにも響くので、それがわざわざタイトルバックに流された理由かもしれない)

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主人公ウェイドにイースターエッグの鍵を授けるオアシスの創造主ハリデー(誰かに似ている?)

 ……という具合に、ついつい細かいことを細かい文字で語りたくなってしまう作品なのだが、『レディ・プレイヤー1』は'80年代オマージュが溢れただけの単なるマニアックでノスタルジックな映画では決してない。それもそのはずで、'80年代に数々の大ヒット映画を世に送り出し、世界のポップ・カルチャーを牽引していた監督のスピルバーグにとって、そもそも'80年代などオマージュや憧憬の対象になるはずがないのである。この映画は実はちっともマニアックではないし、ノスタルジックでもない。スピルバーグがこの作品で考えているのはゲームのことですらなく、恐らく、映画の未来のことだけである。

 多くの人が指摘していることだが、この映画でスピルバーグ自身が自らの“アバター”としている(自分を投影している)のは、VR世界を冒険する主人公の少年ウェイドではなく、明らかにそのVR世界を創ったジェームズ・ハリデーというプログラマーである。ハリデーは“オアシス”と呼ばれるVRゲーム世界の中にイースターエッグを隠し、それを探し当てた者にオアシスの相続権と莫大な遺産を譲ると遺言を残して世を去る。夢の空間オアシスとは、要するに“映画”の暗喩だろう。『レディ・プレイヤー1』でスピルバーグは、自身のキャリアを象徴するような圧倒的な夢空間を作り上げ、そのレガシー(遺産)を次世代の子供たちに継がせようとしている。ディズニー、デヴィッド・リーン、ヒッチコック、オーソン・ウェルズ、キューブリック、黒澤明などを見習って自分が映画を作ったように、どうか僕の後に続いてくれ、と言っている。この映画は、いわばスピルバーグの盛大な“生前葬”だ。彼が本作の中に仕込んだ真のイースターエッグとは、その映画術であり、映画人としてのスピリットではないだろうか。

 映画の終盤、オアシス開発者のハリデーが“ゲームはただ楽しむためにあるものだ”という意味のことを呟く場面(正確な台詞は失念)が強く印象に残っている。それは映画というメディアに対するスピルバーグの偽らざる思いだろう。テレビゲームを夢中で楽しむ少年期のハリデーの姿に、数々の映画に胸をときめかせた少年スピルバーグの姿が重ねられる。ハリデーが主人公ウェイドに最後に言う言葉“僕のゲームで遊んでくれてありがとう(Thank you for playing my game)”は、テレビゲームのエンディング画面に登場する常套句の引用だが、これは言うまでもなく、“僕の映画を観てくれてありがとう(Thank you for watching my movie)”という世界中の観客に向けたスピルバーグからの感謝のメッセージである。『レディ・プレイヤー1』は超ド級の娯楽大作であると同時に、映画人としてのスピルバーグ個人の思いが込められた極めてパーソナルな作品でもあるだろう。

 映画好きの父に連れられて私が初めて映画館で観た洋画は『E.T.』だった。そのときの感動や興奮は今でもはっきり覚えている。思えばそれが私の映画ファン人生の始まりだった。私に映画の楽しさを教えてくれ、最後にこのような作品を残してくれたスピルバーグには本当に感謝の言葉しかない。スピルバーグよ、こちらこそありがとう。あなたの魂は私の中で永遠に生き続けます(まだ死んでねえよ!)。


『シャイニング』に隠された“イースターエッグ”

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オアシスを眺める創造主ハリデー(じゃねえよ!)

 おまけ。『レディ・プレイヤー1』ともしかすると関係があるかもしれないような気がしないでもないスタンリー・キューブリック監督作『シャイニング』(1980)に、あっと驚く“イースターエッグ”が隠されていることをご存じだろうか。“イースターエッグ”と言っても、映画の中に隠れキャラがいるとか、古典映画からのマニアックな引用があるとか、ヒッチコックのように監督自身がちらっと映り込んでいるとか、そういうことではない。『シャイニング』には映画の構造自体にひとつの大きな仕掛けがあって、それに気づくと見え方がガラリと変わる仕組みになっているのである。一種の“秘密の抜け道”とでも言えば良いだろうか(『レディ・プレイヤー1』の“逆走”ルートのような)

 この“イースターエッグ”の存在は一般的に認知されていないし、キューブリックや関係者がそれについて言及しているわけでもないので、単なる解釈の問題と言うこともできる。しかし実際のところ、そういう解釈もできる、と言うよりは、そういう解釈ができるようキューブリックが意図的に仕組んだと言える明確な意匠があるため、私はここでそれを“イースターエッグ”と呼ぶことにした。あまりにもさり気ないので数回の鑑賞では分からないが、よく観察すると、映画文法的にそうとしか読めない作りになっているのである。これを知ったとき、私は戦慄を覚えた。

 『シャイニング』の“イースターエッグ”を発見したのは私ではなく、別のある映画ファンである。TZKという人物によるその解析テキスト('09年初出)を以下に紹介しておく。6年前にロバート・ワイズ監督『たたり』の拙記事でも紹介したことがあったが、『レディ・プレイヤー1』繋がりで読むと一層面白いだろう。記事は全8回の連載で、“イースターエッグ”については第7回で説明されるが、第1回から順に読み進めることをお勧めする。非常に説得力があり、『シャイニング』鑑賞に大きな影響を与える考察なので、自己責任でお読みいただきたい(『シャイニング』未見の人は絶対に読んではいけない)

キューブリックのシャイニングを解明する|脳に焼きつく映画
キューブリックのシャイニングを解明する|脳に焼きつく映画(ウェブ魚拓)



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