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マイケルの最強ショート・フィルム10選【第3位】

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 マイケル・ジャクソン追悼特別企画、独断と偏見で選ぶ“マイケルの最強ショート・フィルム10選(Top 10 Badass MJ Short Films)”。世間一般の評価とはあまり関係なく、単純にマイケルがヤバかっこいいヴィデオを10本選んで語ることで彼を偲ぶ連載エントリー。バッドでデンジャラスでインヴィンシブルな天才パフォーマー、マイケル・ジャクソンの魅力をより多くの人々に知ってもらえれば幸いだ。

 第3位は、遂に登場、この大本命作品!


#3
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THRILLER (1983)
Directed: John Landis

 『THRILLER』からの第七弾、最後のシングル曲('84年1月23日発売)。アルバム発売から実に14ヶ月後のシングル・カット。まさしく最終兵器である。
 前作『OFF THE WALL』の表題曲をリック・ジェイムズ「Give It To Me」のグルーヴと合体させてフランケン博士が改造したような怪物ソング(ロッド・テンパートン作)。恐怖映画風の効果音や、ヴィンセント・プライスの芝居がかったナレーションもムードを盛り上げる。キング・オブ・ポップの説明不要の代表曲で、「Billie Jean」や「Beat It」を知らない人でも、これだけは知っているのではないか。その尋常でない知名度の高さには、言うまでもなく、この曲のために作られた約14分に及ぶヴィデオ作品が大きく貢献している。

 製作費には諸説あるが、監督自身の弁によると60万ドル。一般的な音楽ヴィデオが1本あたり5万~10万ドルで制作されていた当時、ともかく、前例のない破格の資金を投じて制作された。「Billie Jean」ヴィデオに25万ドルの予算を割いたCBSもこれにはさすがに匙を投げ、「Beat It」ヴィデオ同様、製作費はマイケル自身が出資している。完成したヴィデオは'83年12月2日にMTVで初公開された。

 プロットについては今さら説明の必要もないだろう。狼男とゾンビものを混ぜたホラー・ストーリーが、マイケルの歌とダンスを交え、息もつかせぬ勢いで展開する怒濤の14分。劇中に「Thriller」の音楽が巧みに組み込まれ、ホラーとミュージカルを融合した、かつてない娯楽映像作品に仕上がっている。

 通常、音楽ヴィデオは最初から最後まで音楽と映像が同居し、基本的に曲と同じ尺で作品が完結するものだが、「Thriller」には、一般の劇映画と同様、音楽を伴わない芝居部分が多く含まれ、いくつかの場面では、ムードを盛り上げるための純然たるフィルム・スコア(エルマー・バーンスタインによる)も用いられている。主題曲「Thriller」にはレコードと異なるエディットが施され、ヴァース、サビ、ヴィンセント・プライスの語り部分が、それぞれ物語の適所に分散した形で登場するのも斬新だ。シングル曲の単なるプロモ映像としてだけでなく、ひとつの独立した映像作品としても立派に機能する完成度がある。まさしく“ショート・フィルム(短編映画)”と呼ぶに相応しい、それまでの常識を覆す画期的な音楽ヴィデオである。


ジョン・ランディス

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 監督はジョン・ランディス。かつて抜群のコメディ・センスで『ブルース・ブラザース(The Blues Brothers)』(1980)などの傑作をものにした愛すべき映画人である。映画監督が音楽ヴィデオを手掛けるというのも前例のないことだった。ランディスの起用は、彼の'81年の作品『狼男アメリカン(An American Werewolf In London)』を観て気に入ったマイケル本人のオファーにより実現した。

マイケル「短い映画にしたかった。それも人を驚かすようなね。そんな時『狼男アメリカン』を観た。とても気に入った。恐怖とコメディが同居してる。監督は? ジョン・ランディスだって? すぐ連絡しようと叫んだ」(1983, The Making Of Thriller)

 『狼男アメリカン』は、ロンドンを舞台にした現代版の狼男映画。ランディスならではの洒脱なユーモア・センスが光る傑作ホラー・コメディである。
 連絡を取った時、マイケルはそれまでの他のランディス作品を全く観ておらず、それを知ってランディスはガックリしたという(マイケルが『ブルース・ブラザース』すら観ていなかったという事実には、ランディスでなくともガックリだが。JBらも出ているのに、なぜだろう。忙しくて観る暇がなかった?)。一方、ランディスもマイケルの作品には詳しくなかった。

ランディス「ちょうど休暇で妻子とロンドンへ来ていた。そこでマイケルから連絡があって、思わず叫んだよ。“ジャクソン5”の? マイケルの電話は、ロンドンはロスとの時差が8時間だから、午前2時だ。彼は尋ねた。僕の〈Thriller〉という歌を知っていますか、と。知ってると答えたが……(受話器を押さえ、慌てて側の人間に確認する仕草)。〈Beat It〉や〈Bille Jean〉は知っていたけどね。ボブ・ジラルディの監督した〈Beat It〉も上出来だが、僕は違うものを狙っていた。それでマイケルに言った。入念に作りたいと。それはマイケルの考えとも一致した。最高のものを作ろうとね」(1983, The Making Of Thriller)

 マイケルとランディスのコンビは大当たりだった。脚本はランディスとマイケルの共作。ホラーとミュージカルという全く相容れないジャンルの融合は、『狼男アメリカン』でホラーとコメディを融合させたランディスならではの妙技だ。テンポの良い演出、夢オチや劇中劇オチで二転三転する小気味よいストーリーテリングにも、ランディスの持ち味は存分に発揮されている(夢オチは『狼男アメリカン』でも効果的に使われていた)。中でも重要なのは、ランディスが筋金入りのホラー映画マニアで、狼男やゾンビといったモンスターの見せ方を十分に心得た監督だったという点だろう。『狼男アメリカン』はそうしたランディスの長所が集約された作品で、この1本だけを観て「Thriller」の監督を依頼したマイケルの判断は実に正しかったと言える。おまけにランディスは、『ブルース・ブラザース』に見られる通り、ミュージカル作品も新鮮な感覚で撮れる監督だった。ランディスはマイケルが必要とするすべてを持っていたのである。


狼男

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『狼男』(1941)──ヒロインを襲う狼男役のロン・チェイニー・Jr

 ヴィデオ冒頭、マイケルが満月の夜に変身してヒロインのオーラ・レイを襲う劇中劇のシークエンスは、古典的な狼男映画のマナーに倣ったものだ。狼男映画の王道パターンを作り上げた歴史的作品『狼男(The Wolf Man)』(1941)では、狼男に変身した主人公のロン・チェイニー・Jr が、霧の立ちこめる森の中でヒロインを襲う全く同様の場面が登場する。この古典のイメージを引用することで、マイケルとオーラが場末の名画座で観るに相応しい、典型的な怪奇映画の雰囲気が作り出されている。

 ロン・チェイニー・Jr は狼男の代名詞的な俳優。サイレント期の怪奇スター、ロン・チェイニーの息子で、狼男役で当たりを取り、ベラ・ルゴシ(ドラキュラ)、ボリス・カーロフ(フランケンシュタインの怪物)と並ぶモンスター役者になった。
 『狼男』のDVDには、ジョン・ランディスがホストを務める秀逸なドキュメンタリー映像が特典収録されている。狼男映画の歴史を手軽に学ぶことができるのでお薦めだ(リック・ベイカーのインタヴュー出演もあり)。普通の人間が突然、理性を持たない野蛮な動物に変身して殺人に及ぶという物語に、当時のナチス・ドイツへの批判が含まれていたことをこのドキュメンタリーで知り、私は目から鱗が落ちた。狼男の犠牲者の掌に浮かぶ五角星形も、ダビデの星(六角星/ユダヤの印)を暗に示したものだ。『狼男』の脚本を書いたカート・シオドマクは、ナチスを逃れてアメリカに渡ったユダヤ人。見せ物要素が強いホラー映画においても、優れた作品にはやはり人間や社会に対する鋭い洞察が含まれている。

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『心霊移植人間』のポスター(左)と主演のマイケル・ランドン(右)

 また、若者が狼男に変身するという設定は、『心霊移植人間(I Was A Teenage Werewolf)』(1957)が基になっている。マイケル・J・フォックス主演で『ティーンウルフ(Teen Wolf)』(1985)としてリメイクもされた青春狼男映画。残念ながら(幸いにも?)私はこのB級カルトを観ていないのだが、スチールやポスターを見る限り、「Thriller」への影響は明らかである。マイケルとオーラ・レイのファッションや、彼らの乗っている車が'50年代風なのは、この映画に対するランディスのオマージュなのだろう。

 狼男に扮する主演のマイケル・ランドンは、'70年代のテレビ・ドラマ『大草原の小さな家』のお父さん役で知られる俳優。『心霊移植人間』は低予算作品ながら当時そこそこのヒットを記録し、僅か5ヶ月後には同じAIPから『怪物フランケンシュタイン~生き返った死体(I Was A Teenage Frankenstein)』(1957)なる二番煎じ作品まで登場している。原題の“I Was A Teenage~(僕は十代の~だった)”は、後に多くの作品でパクられることにもなる。これも色んな意味で歴史的な作品と言えるだろう。

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特殊メイク用の顔面型取り作業──『狼男アメリカン』のノートン(左)と「Thriller」のマイケル(右)

 メイクアップや映像技術の発達に従って、狼男もよりリアルに変身できるようになった。ランディスの『狼男アメリカン』は、狼男映画の伝統を継承しつつ、当時最新の技術を駆使し、主人公のデヴィッド・ノートンが狼に変身していく様子を緻密に描いて観客を驚かせた。変身場面を手掛けたのは、『スター・ウォーズ』など多くの作品で活躍する特殊メイクアップの第一人者、リック・ベイカー。彼は『狼男アメリカン』で'82年にアカデミー賞のメイクアップ賞(同年に新設)も受賞した。
 ベイカーの手によって、「Thriller」のマイケルは『狼男アメリカン』と全く同じ技術で狼に変身している(満月が雲の切れ目から現れるカットに至っては、実際、『狼男アメリカン』からの使い回しに見える)。マイケルの変身場面は『狼男アメリカン』の簡易ヴァージョンといった趣だが、誰もがよく知る世界的スーパースターが徐々に野獣に変化していく様子はさすがにインパクトがある。ヴィデオ後半に登場するゾンビたちのメイクも、もちろんベイカーの手によるものだ(彼自身もゾンビの一人として劇中に登場している。墓場でドアから出てくる髭面のゾンビがベイカー。ちなみに、ストップ・モーションでヴィデオのラストを飾るゾンビは、彼の弟子に当たる特殊メイク・アーティスト、グレッグ・キャノム)。


映画館

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マイケルの前後に座っている男性は誰でしょう?

 ヒロインが狼男に追い詰められたところで、場面は映画館の観客席へ飛ぶ。そこにはスクリーンを見つめるもう一組のマイケル&オーラの姿がある。
 この観客席の場面には、実は2人の面白い人物がカメオ出演している。マイケルのすぐ後ろに座っている眼鏡のおっさんと、マイケルの前に座っている目のクリッとした太めの青年に注目。おっさんの名はフォレスト・J・アッカーマン、青年の名はミコ・C・ブランドという。

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ホラー映画マニア、フォレスト・J・アッカーマン

 フォレスト・J・アッカーマン Forrest J. Ackerman(1916~2008)は、アメリカの雑誌編集者/出版エージェント/作家。SF/ホラー愛好家として、その筋では伝説的な人物。関連書籍や映画グッズの世界一の収集家としても知られた。別名、ミスター・サイエンス・フィクション。“sci-fi”という略語の生みの親でもある。彼が編集長を務めたSF/ホラー映画専門誌 Famous Monsters of Filmland(1958~83/'93年復刊)は、若き日のジョン・ランディス、リック・ベイカーの他、スティーヴン・キング、スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ティム・バートン、ピーター・ジャクソンらに愛読され、彼らの創作の大きな源のひとつにもなった。映画へのカメオ出演も多く、ランディス監督作には度々登場している(『シュロック』『ケンタッキー・フライド・ムービー』『イノセント・ブラッド』『ビバリーヒルズ・コップ3』。ジョー・ダンテ監督の'81年の狼男映画『ハウリング』にもカメオ出演)。
 「Thriller」では、映画を怖がる大勢の観客たちの中で、一人だけ動じることなく、ひたすら食い入るようにスクリーンを見つめる様が、いかにも筋金入りのマニアらしくて可笑しい。

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「You Rock My World」──ミコ・ブランドの出演場面

 マイケルのすぐ前の席に座り、いい感じのリアクションをしているミコ・C・ブランド Miko C. Brando(1961~)。彼は'83年以来、マイケルの良き友人であり、同時に、長年にわたってボディガード(付き人、世話役という表現の方が相応しいかもしれない)も務めたマイケルの側近中の側近である。マイケルは彼の結婚式の際の付添人であり、彼の娘の名付け親でもあった。マイケルが頭部に大火傷を負った'84年のペプシCFの撮影現場や、マイケルが亡くなる前夜のリハーサル現場にも彼は居合わせている。そして、その姓から察しがつく通り、彼はマーロン・ブランドの息子でもある。
 ミコは'01年のヴィデオ「You Rock My World」にもカメオ出演している。マーロン・ブランドに“ボス、下で騒ぎです”と報告する髭の男が彼だ。あの場面は、つまり親子共演なのである。ブランド親子とマイケルはプライベートで非常に親交が深く、「You Rock My World」の際も、出演料は要らないと断るマーロン・ブランドに対し、マイケルが“頼むから受け取ってくれ”と出演料の支払いを強行に主張したという逸話もある。

 ミコ・ブランドは、'09年6月29日にCNNのラリー・キングのトーク番組にジョン・ランディスと共に出演した際、「Thriller」での自分の出演場面について訊ねられ、はっきりと説明している。

「僕はマイケルがオーラ・レイと映画館にいる場面に出ています。ポップコーンを食べながら映画を観ている彼のすぐ前に座っているのが僕です」(29 June 2009, Larry King Live)

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映画は楽しや

 それにしても、アッカーマンとミコ・ブランド以外の観客たちは一体誰なのか。ここまで来ると、全員誰だか気になってくる。もちろん単なるエキストラに違いないのだろうが、スタッフなども普通に参加していそうだ。右端にいる東洋人女性の存在も気になるところである(怪訝そうな表情が最高)。ここでマイケルと映画を観ている彼らは、一体、今頃どこで何をしているのだろう? ひとりひとり訪ねて回りたい衝動に駆られる。
 こうしてじっくり眺めると、皆つくづくいい演技をしている。映画館で映画を観ることの楽しさをしみじみと思い出させてくれる名場面だ。テレビと映像ソフトのおかげで私もすっかり映画館から足が遠のいているが、この場面を観るとまた無性に映画館に行きたくなる。


ヴィンセント・プライス

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ヴィンセント・プライス『THRILLER』上映中!

 映画に怯えて席を立ったオーラをマイケルが追う。「Thriller」のファンキーなリフに乗せて、映画館の光り輝くビルボードを緩やかなクレーン・ショットで捉える場面には、何度観てもワクワクさせられる(「Thriller」の中で個人的に最も好きな場面がこれだ。私はこの場面を観る度に、父親に映画に連れて行ってもらった子供の頃、劇場入口に掲げられた映画の巨大看板を見上げた時の興奮を思い出す)。

 この劇場の入口場面にも、映画マニアのランディスらしい古典ホラー作品への言及が含まれているので紹介しておきたい。
 マイケルとオーラが観る架空の映画は、劇場のビルボードで“ヴィンセント・プライス『THRILLER』”とされている。ヴィンセント・プライス(1911~93)は、クリストファー・リーピーター・カッシングと並ぶ戦後の代表的な怪奇俳優の一人。『アッシャー家の惨劇(The Fall Of The House Of Usher)』(1960)をはじめとする、AIP製作による一連のエドガー・アラン・ポー原作/ロジャー・コーマン監督作がとりわけ名高い。「Thriller」でナレーションを務めたプライスに敬意を表し、ランディスは架空の怪奇映画の主演者(監督?)として彼の名を劇中にクレジットしたのである。

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ヴィンセント・プライス主演『赤死病の仮面』のポスター

 ヴィンセント・プライスへのオマージュはそれだけではない。マイケルとオーラが会話する劇場入口の場面では、プライスの実際の主演映画のポスターがさりげなく登場している。
 まず、入口の右端に『赤死病の仮面(The Masque Of The Red Death)』(1964)のポスター。マイケルがポール・マッカートニーと共演したからというわけでもないだろうが、これはジェーン・アッシャー(ビートルズ全盛期のポールの彼女)がプライスにイジメられてしまうという映画だった(何気に傑作。ベルイマン『第七の封印』を思わせる死神キャラが秀逸)。

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ヴィンセント・プライス主演『肉の蝋人形』のポスター

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ヴィンセント・プライス主演『The Mad Magician』のポスター

 そして、マイケルの後ろには、プライスの出世作『肉の蝋人形(House Of Wax)』(1953)と『The Mad Magician』(1954)のポスターが(ちなみに、それらの右奥に更に2枚のポスターがある。右側はランディスの同年監督作『大逆転(Trading Places)』だが、左側は不明。判る方はご一報を)。

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ジョン・ランディス監督『シュロック』のポスター

 一方、オーラの後ろには、“超ショック体験映画!(THE SCREEN'S SUPER-SHOCKER SENSATION!)”なる謳い文句が踊った『肉の蝋人形』のレアな別版ポスター(この作品は当時流行の3D映画で、飛び道具などが観客に迫る場面が呼び物でもあった)。これらはアッカーマンのコレクションの一部なのかもしれない。そして、その横にはランディス自身の処女作『シュロック(Schlock)』(1973)のポスターがどさくさに紛れて掲示されている。『シュロック』はランディスが自ら着ぐるみで主演した低予算ホラー・コメディで、『狼男アメリカン』の原点とも言える作品である。
 こういう男の子向けのマニアックな映画を上映している名画座に彼女を連れてきて、危うくそっぽを向かれそうになるという展開は、いかにもランディスらしく、同時にマイケルらしい気もする(この手の映画館で客席が大入り満員なのはちょっと不自然だが)。

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『ケンタッキー・フライド・ムービー』内に登場する『シュロック』のポスター

 ちなみに、架空の映画を上映する劇場の入口に『シュロック』のポスターが掲示されているという場面は、ランディスのオムニバス・パロディ映画『ケンタッキー・フライド・ムービー(The Kentucky Fried Movie)』(1977)の一場面の自己パロディでもある。'70年代に流行ったセンサラウンド方式の映画をパロった一話「感じる映画」の中で、主人公が訪れる映画館の入口に、やはり『シュロック』のポスターが掲示されているのだ。
 そして、そこで主人公が観る架空の映画のタイトルが『See You Next Wednesday(次の水曜に会おう)』。これはジョン・ランディスが十代の頃に初めて書いた脚本のタイトルで、ヒッチコックが自作にカメオ出演するように、ランディス作品に毎回必ずと言っていいほど登場するお約束フレーズである。架空映画のタイトルとして登場することが多いが、「Thriller」では、マイケルとオーラが観ている映画内の台詞にこのフレーズが出てくる。こうした細かいお遊びもランディス作品の醍醐味である。


ゾンビ

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『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』──民家に次々と押し入るゾンビたち

 狼男やヴィンセント・プライスも重要だが、「Thriller」を本格的にスリラー(恐怖映画)たらしめているものと言えば、やはり劇中後半に登場する生ける屍=ゾンビということになる。このモダン・ホラーの最高のモンスターを語る上で絶対に外すことのできない作品が、ジョージ・A・ロメロ監督『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド(Night Of The Living Dead)』(1968)である。

 そもそも“ゾンビ”なるものはブードゥー教の伝承に由来する。人間を薬物によって故意に仮死状態にした後で蘇らせ、脳障害により自発性を失ったそれを奴隷として労働に従事させる。このロボット化されたような人間がゾンビで、戒律を犯した者に対する制裁としてこの秘術が用いられたという。この種のゾンビを描いた映画としては、『恐怖城 ホワイト・ゾンビ(White Zombies)』(1932)が最古とされている。
 ジョージ・A・ロメロはこれを流用し、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』で、人間を襲う(人肉を餌とする)蘇生した死者=リビング・デッド(生ける屍)という、全く新たなゾンビ像を作り上げた。現在、“ゾンビ”と言って多くの人が思い浮かべる怪物的なイメージは、この映画に端を発する。ゾンビ・モンスターの誕生はホラー映画史における革命的事件となり、以後、同種のゾンビを描いたエピゴーネンが無数に生まれることになるわけである。

 ゾンビ映画の始祖であるロメロは、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』に続き、『ゾンビ(Dawn Of The Dead)』(1978)、『死霊のえじき(Day Of The Dead)』(1985)を撮って“ゾンビ三部作”を完成させ、以後も『ランド・オブ・ザ・デッド(Land Of The Dead)』(2005)、『ダイアリー・オブ・ザ・デッド(Diary Of The Dead)』(2007)とシリーズを続けている。
 ロメロのゾンビ映画の大きな特徴は、ゾンビの怪物性や残酷描写をひとつの売りにしながら、ゾンビに追い込まれた極限状態の中で人間たちが見せるエゴ、強欲、残虐性を描くことに主眼を置いている点である。ゾンビに包囲された民家の中で展開する密室劇『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』では、自分の生存を巡って争い合う人間の醜さ、人間が人間によって(それこそゾンビのように)当たり前に殺害されることの不条理──ベトナム戦争を揶揄しているようにも取れる──が、極めてクールなタッチで描かれる。また、ゾンビ映画の金字塔『ゾンビ』では、ショッピング・モールを消費社会の墓場に見立て、モールの商品を独占する主人公たちや、死んでもなお物欲に取り憑かれる人間の哀しみがアイロニーたっぷりに描かれる。ロメロは“ゾンビ”という鏡に人間を映し出し、その醜い本性を容赦なく暴き出す。先に紹介した『狼男』同様、人間や社会に対する鋭い批評や洞察が、最終的に極上の娯楽映画として結実しているところに、ロメロのゾンビ作品が他の凡百のエピゴーネンと一線を画し、絶大な支持を得ている理由がある。

 「Thriller」は、もちろんゾンビという怪物を描いている時点でロメロ作品の影響下にあるわけだが、オーラが逃げ込んだ空き家にゾンビ集団が押し入る展開は、実際、ゾンビが民家を襲う『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』へのオマージュと言える。

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『死体と遊ぶな子供たち』──墓から次々と蘇る屍たち/ドアを破って室内に侵入するゾンビ(下段右)

 墓から死体が蘇るという設定でゾンビを描いた初めての映画が何であるかは知らないが、その恐らく最初期の作品と思われるのが、『死体と遊ぶな子供たち(Children Shouldn't Play With Dead Things)』(1972)である。若者たちが死体を掘り起こして玩び、死者を蘇生させる儀式を面白半分でやっていたら、本当に蘇ってしまい、さあ大変、というこの映画。埋葬されていた屍たちが地中から次々にムクムクと出てくる場面は極めて「Thriller」度が高く、そのままヴィンセント・プライスのナレーションを被せても何の違和感もない。また、この映画の屍たちは埋葬されていたために身体や衣服の腐敗が進んでおり、ルックス的にも「Thriller」のゾンビに近い。主人公たちが空き家に立てこもり、それをゾンビが包囲する展開(『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』)、また、主人公が逃げ込んだ部屋にゾンビがドアを破って押し入るクライマック場面も「Thriller」と共通する。ゾンビ映画の中ではこれが最も「Thriller」に近い作品と言えるかもしれない。

 '78年のジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』の世界的ヒットの後、『サンゲリア(Zombi 2)』(1979)、『ビヨンド(The Beyond)』(1980)、『ゾンゲリア(Dead & Buried)』(1981)、『死霊のはらわた(Evil Dead)』(1983)、『バタリアン(The Return Of The Living Dead)』(1985)、『ZOMBIO 死霊のしたたり(Re-Animator)』(1985)、『デモンズ(Demons)』(1985)等々、様々な腐り方をしたゾンビ映画がまさしく呪文後のゾンビの如くうじゃうじゃと現れ、スプラッターやオカルトものと相まって、'80年代の一大ホラー映画ブームを形成した。「Thriller」はそんな時代に生まれた作品である。


ゾンビ・ダンス

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 ゾンビ映画史上、最もリズム感の良いゾンビが登場する「Thriller」。劇中で最大の見せ場となるマイケルとゾンビ集団の群舞場面は、「Beat It 」に引き続き、マイケル・ピーターズが振付を担当している。『ウエスト・サイド物語』の次世代版といった感じの「Beat It 」に続き、「Thriller」では、ゾンビが踊るためのかつてない振付が考え出された。「Beat It 」も素晴らしいが、インパクトと独創性では、やはり「Thriller」に軍配が上がるだろうか。'84年の第1回MTVアウォードの最優秀振付賞は、当然のごとく「Thriller」が受賞。振付にはマイケル・ジャクソン自身も貢献している。

マイケル「難しい作業だった。ゾンビとか怪物がどうしたらコミカルにならずに踊ることができるか、というのが取っかかりだった。観る人が笑い出さないよう、然るべき動きをしなくちゃいけない、とね。でも、何か閃きが必要だった。それで、マイケル・ピーターズと稽古場に入り、鏡の前で表情を作りながら2人でゾンビの動きというものを考えてみたんだ。時にはゾンビ・メイクでリハをやったりしてね。あれは楽しかったよ。そんな風に彼との共同作業であのダンスを振り付けたんだ。ゾンビっぽく始めて、ジャズっぽいステップへ行くのがいいんじゃないか、とか。おっかない感じを出して、あまりバレエっぽくならないように、とかね」(11 December 1999, MTV)

 「Beat It 」のダンサーがオーディションで選ばれたのに対し、「Thriller」では主にマイケル・ピーターズのワークショップから精鋭が集められたようだ。「Beat It 」同様、エレクトリック・ブガルーズのメンバーも助っ人で参加している(ウェービングを披露しているのが恐らく彼らだろう)。また、「Beat It 」で白人ギャング・リーダー役を演じたヴィンセント・パターソンも、引き続きゾンビの一人として出演している(マイケルとオーラがゾンビ集団に取り囲まれる場面で、口から黒い液体をダラ~ッと垂らすゾンビがパターソン)。

 撮影はロスのダウンタウンで行われた。何時間もかかるメイクアップや、極寒の中での撮影は大変だったようだが、ヴィンセント・パターソンによると、ダンス場面の撮影作業そのものは、「Beat It 」よりも遙かに簡単だったという。「Beat It 」と違い、ダンスのルーティン自体が連続したひとつの纏まりできっちり構成されていたためである。
 「Beat It 」の場合、全員の群舞、マイケルやロボット・ダンのソロといった各要素が、複雑なカメラワークやアングルで別個に細かく収められた後、最終的に編集作業によって映像にひとつの流れが生み出されている。これに較べると、「Thriller」のダンス場面はライヴ・ドキュメント的な傾向が強い。もともとルーティン自体に一貫した流れがあり、ランディスは基本的に、ダンサーがそれを踊る様子を複数のアングルからそのまま素直に撮っているだけである(パターソンの回想ではテイク数は30~40くらいだったという)。「Beat It 」のダンス場面が映画的であるのに対し(この傾向は「Bad」で強まる)、「Thriller」のそれは舞台的なのである。同じ群舞でも見せ方が違っているのが面白い。

 以下は、ゾンビ・ダンスが生まれる瞬間に立ち会っていたヴィンセント・パターソンの回想。

「僕はこの仕事でゾンビ役の他に、マイケル・ピーターズと振付アシスタントもやっていた。マイケル・ピーターズと初めてスタジオに入った時、マイケル・ジャクソンがやって来る前に、彼はあの動きを生み出し始めたんだ。もう、ぶったまげたよ。彼も同じでね。そのボキャブラリーは一体どこから来るのか、と訊いたら、“知らないよ、音楽が勝手に変な動きをさせるのさ。こいつを忘れないうちに覚えるんだ!”って。幸い僕はマイケルの動きをひとつ残らず覚えて、彼がやった2秒後にそれを自分の身体で再現することができた。そこへジャクソンがやって来て、またビックリさ。僕らのやってることにすっかり面食らってね。マイケル・ピーターズが考えた動きを見て大興奮さ。彼の音楽の解釈に狂喜してたね。
 後に僕が振付師や監督としてマイケル・ジャクソンと仕事した時、彼が言うんだ。これはマイケル・ピーターズのやってたことを完璧に裏付けると思うんだけど。マイケル・ジャクソン曰く、“音楽に動きを押しつけようとしちゃダメだ。音楽にどうして欲しいか語らせるんだ。きちんと耳を傾ければ、音楽がすべて教えてくれる”。マイケル・ピーターズもこれと全く同じように音楽に接していたと思うね」(28 April 2008, Thrillercast)

 マイケル・ピーターズの振付は表現力豊かで、尚かつ簡潔明瞭。観ているだけでも痛快だが、素人でも簡単に覚えて楽しく踊ることができる。当時、一大旋風を巻き起こした「Thriller」のゾンビ・ダンスは、現在でも世界中で愛され、様々に受け継がれている。'07年には、フィリピンのセブ島にある刑務所で更生プログラムの一環として受刑者1500人が「Thriller」を踊り、その様子を収めた動画がYouTubeで公開されて大きな話題にもなった。また、数百~数万人の大人数で「Thriller」を踊ってギネス記録に挑戦する試みも世界各地で度々行われている。私も小学生の時はヴィデオを観ながら覚えたし、踊れと言われれば、今でも身体が覚えているのでそれなりに踊ることができる。「Thriller」ほど有名で、しかも世界の多くの人々が実際に踊れるようなダンス・ルーティンは他にない。それはもはやダンスの次元を超え、世界共通の“ラジオ体操第一”にすらなっている。ジャクソンとピーターズ、2人のマイケルが残したものはあまりにも大きい。


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 '99年にMTVが選出した“史上最も素晴らしい音楽ヴィデオ100選(100 Greatest Music Videos Ever Made)”というランキングで、「Thriller」は見事1位に輝いた(ちなみに、同ランキングでは「Beat It」が12位、「Billie Jean」が35位に入っている)。音楽ヴィデオの可能性を一気に押し広げ、後続への決定的な道標となった金字塔「Thriller」の1位は誰もが納得するところだろう。

 通常の芝居部分とミュージカル部分が合わさった1~2巻もの(10~20分)の短編音楽映画は、'20年代末から'40年代にかけて大量に作られており、「Thriller」は映像作品史的には決して新しいものではない。また、3~5分程度の長さで歌手やバンドのパフォーマンスをフィーチャーする一般的な音楽ヴィデオの形式にしても、'40年代に量産された“サウンディ(soundie)”と呼ばれる3分間の短編音楽映画(映画館ではなく、レストラン、ナイトクラブ、ホテルなどに設置された、コイン投入で作動するジュークボックス式の小型上映機で楽しまれた)に原型を見出すことができる。

 「Thriller」が決定的に素晴らしかったのは、音楽ヴィデオという、テレビ時代が生んだある意味新しいメディアを使って、かつての映画が持っていた底抜けの楽しさを現代に復活させたことだと思う。劇中で生き生きと踊るゾンビたちのように、往年のミュージカル映画や怪奇映画のエッセンスが墓場から蘇り、昔と同じように人々を魅了する。マイケルのヴィデオの楽しさは、黄金時代の映画のそれと全く同じである。まるで、かつての娯楽の王様が、自分を追いやったテレビに殴り込んで再び宝刀を振るっているような感覚。'83年、大衆の最も身近にあって、最高に面白い映画がマイケルの「Thriller」だったことは間違いない。「Thriller」は、いわば、娯楽の王様としての映画を墓から蘇らせた偉大なルネサンス作品なのである。

※尚、「Thriller」はブラックフェイス演芸(ミンストレル・ショウ)の文脈においても特筆される作品である。その観点からの「Thriller」考は、スパイク・リー監督『Bamboozled』を参照しながら別エントリーで書いたので、そちらも併せてお読み頂きたい。


メイキング・ヴィデオ

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THE MAKING OF THRILLER (1983)
Directed: Jerry Kramer

 「Thriller」は、その制作過程を追ったメイキング・ヴィデオが作られたことでも画期的だった。『Making Michael Jackson's Thriller』は、完成版「Thriller」+メイキング映像「The Making of Thriller」で構成された60分の作品。テレビ放映された後、ビデオソフトとしても発売され、100万本以上を売り上げる爆発的ヒットになった(ギネス記録。“史上最も成功した音楽ヴィデオ”)。'80年代にはビデオ・レンタル屋の音楽コーナーにも大抵これが置いてあったものだ。

 45分のメイキング部は、マイケル、ジョン・ランディス、リック・ベイカー、マイケル・ピーターズ、オーラ・レイといった主要関係者へのインタヴュー、各場面の撮影風景、特殊メイクアップ風景、ダンス場面のリハーサル風景、ロケ現場に集まってきたファンへのインタヴューなどによって構成されている。「Off The Wall」「Working Day And Night」「P.Y.T.」などに乗せて舞台裏の様子がテンポ良く編集されていたり、合間に「Beat It」「Can You Feel It」ヴィデオ、〈Motown 25〉の「Billie Jean」といった他の映像素材の挿入もあり、'83年時点でのマイケルの魅力を凝縮したような内容になっている(ちなみに、このメイキングを監督したジェリー・クレイマーは、後にマイケルの映画『ムーンウォーカー』で、マイケルのキャリアを振り返るアンソロジー部分の監督を担当している)。

 純朴なマイケルの人柄や、気さくでサービス精神旺盛なランディスも観ていて楽しいが、このメイキング映像の最大のハイライトは、何と言っても群舞のリハーサル場面に尽きる。マイケルの尋常でないカッコよさは言うまでもないが、稽古場の熱気、各ダンサーたちの気迫がダイレクトに伝わってきて、この場面はある意味、完成版ヴィデオよりも興奮度が高い。おまけにカメラワークも秀逸だ。このまま『コーラスライン』のようなバックステージもののミュージカル映画(あるいは『ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢』のようなドキュメント映画)を作ったら、どれだけ素晴らしいだろう。

 「The Making of Thriller」が作られた経緯や、その影響力については、ジョン・ランディス自身に語ってもらうのが話が早い。以下は、'08年にランディスがアメリカのホラー映画誌 Fangoria のインタヴューに応えた時の「Thriller」に関する発言である。

「ロック・ヴィデオを作る気はなかった。そういうのは基本的に曲を売るためのものだ。だから僕は、短編劇映画を作ろう、と言ったんだ。で、CBSレコードに掛け合うと、ふざけんな、と来た。ウォルター・イエトニコフ(CBS社長)は“出ていけ!”と言って、金を出そうとはしなかった。下り坂に入ってる作品だからってね。もう儲かる見込みがないものに無駄金が使えるか、と。でも、マイケルは作りたがっていて、彼は自分で金を出そうとしてたから、“自腹を切ることなんかないよ”と言ってたら、そこへジョージ・フォルシー(Jr。ランディス作品の製作/編集者)が、自分らが映画を撮影する様子を撮影したらどうか、と提案してきたんだ。メイキングが45分、あのヴィデオが15分で、合わせて1時間になれば売り物になるというわけだ。僕らはそれをShowtime(ケーブルテレビ局)に売った。これが大反響でね。僕らがShowtimeに売ると、MTVは“そりゃないよ!”と大慌てだ。“欲しけりゃ買いな!”と言ってやると、彼らは金を出したよ。ShowtimeとMTVから得た金で、僕らは製作費を賄ったというわけさ。〈The Making of Thriller〉のことを、僕らは“The Making of Filler(穴埋め制作)”と呼んでたよ。とにかく45分、どうにかしなきゃいけなかった。何でもかんでも入ってるのはそのせいだ。僕は『狼男アメリカン』を所有してる。じゃあ、そいつを入れよう。なに、〈Can You Feel It〉も行けるって? よし、それも入れよう。もう、使えるものは全部さ。家で撮った映像もあるって? それも入れとけ!ってな具合にね。
 とても良い結果になったけど、計画的なものではなかった。成果は大きかったね。〈The Making of Thriller〉はメイキングものの走りで、今ではそういうのが商売になってる。〈Thriller〉がとにかく凄かったのは、それでアルバムが1位に返り咲いたことだよ。これは快挙で、ああいうものが世界的にとてつもない影響を及ぼすということを示したんだ。
 その次に、Vestron Videoという会社を経営しているオースティン・ファーストという男が、〈Thriller〉と〈The Making of Thriller〉をビデオソフトとして発売したい、と電話してきた。僕は“でも、テレビでタダで観られるよ”と。当時、ビデオソフトの値段は80~90ドルだった。そんな値段じゃ誰も買わないけど、借りるとなれば話は別で、映画一本買うのに80~90ドルだったところへ、 BlockbusterやMom & Popといったビデオ・レンタル屋が登場してきた。つまり、ビデオソフトというのは、それを貸すレンタル屋に売られるもので、だからすごく高かったんだよね。で、そのオースティンは考えたんだ。そのとき初めて聞いた言葉だったんだけど、彼はそれを“セルビデオ化”しよう、と言うんだ。実際に買えるような19.95ドルという低価格でね。それで発売してみると、100万本以上も売れた。当時としてはものスゴい数だよ。そこからビデオソフト商売というものが生まれたんだ。今じゃ店に行けばDVDが置いてあって、5ドルで新しい映画が手に入るだろ。〈Thriller〉というのは、そういうとてつもない影響を及ぼしてるものなんだよ。でも、意図したんじゃない。色んなことが重なり合ってそうなったんだ」(5 November 2008, Fangoria: Screamography)

 ランディスは同じインタヴューで、当時、マイケルとディズニーランドへ行った時のことを回想している。「Thriller」とは直接関係ないが、面白いのでついでに紹介しておく。

mj_mm.jpg「〈Thriller〉の制作当時、マイケルと仕事するのはビートルズと一緒にいるようなものだった。ジョン・レノンが“僕らはキリストより人気がある”と言ったのは実によく分かるよ。当時マイケルと一緒にいるってのは、とんでもないことだった。彼を見るとみんな気絶するし、女性は昇天してしまう。冗談なんかじゃない。みんな圧倒されてしまうんだ。すごいよ。僕は人生の中であそこまで恐い思いをしたことはない。変な話だけど、人生で恐い目に遭うことなんてそうあるもんじゃないよ。僕が一度だけ本当に恐い目に遭った時のことを話すと……。
 〈Thriller〉が発表されて間もなく、妻と幼い娘を連れて、マイケルと一緒にフロリダのディズニーランドへ行ったんだ。マイケルと僕がミッキー・マウスと写ってる写真もあるけどね。お城の前でそれを撮ったんだけど、そこは20フィート(ヤード?)四方くらいの芝生地になってて、周りを銀行みたく鎖ロープで囲ってあった。カメラマンも一緒で、マイケルと僕とミッキー・マウスが地下のトンネルを通って地上に出てみると、数分もしないうちに僕らの周りに5000人の人だかりができた。絶叫の嵐で、僕は“これは食われる”と思ったね。とにかく恐ろしくて、ミッキーも“ここから出してくれ~!”って感じで。もう、死ぬほど恐くて、ヤバい、このままじゃ死人が出る、と。で、マイケルはと言えば、手を振って“やあ、元気~?”みたいな感じで、ちっとも動じてないんだよ。そこへ不思議なことに、どこからともなくキャデラック・リムジンが現れた。どこから出てきたのかいまだに分からないんだけど。僕らは引っ張られてその中に放り込まれた。そしたら、みんな車の上に乗っかってきてさ。あれは本当におっかなかったね。
 面白いことだよ。ポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソン、ブルース・ブラザーズ、デヴィッド・ボウイとか、その手の経験をしてきた人間と仕事してみて思うけどね。そういう状況下で正気を保つのは難しいことだと思う。エルヴィスに起きたことにしたって、理解できるよね。ああいうレベルの人気や名声を得て正気でやっていけるとしたら、それは奇蹟だよ」(5 November 2008, Fangoria: Screamography)


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'97年の長編ヴィデオ『Ghosts』

 あらゆる意味で怪物的だった「Thriller」のヴィデオ。しかしながら「Thriller」は、マイケルに“キング・オブ・ポップ”という十字架を背負わせることにもなった。以後、大作主義や過剰なスペクタクルに走りがちになったマイケルは、製作費を自由に使う一方、「Thriller」によって肝心の創作の自由を奪われたとも言える。'97年に発表された約40分の長編ヴィデオ『Ghosts』に至っては、正直、なぜ今さらこんなものを作らなければいけないのか、という疑問を抱かせるような、マイケル自身による「Thriller」の哀しいエピゴーネンだった。ミッキー・マウスでさえ逃げ出すような途方もないスターダムの圧力の中、キング・オブ・ポップは徐々に裸の王様になっていった(……と書くと、マイケル神格化が進む現在にあっては反発を買うかもしれないが、少なくとも、'90年代後半以降のマイケルからリアルタイムで受ける印象というのはそういうものだった)。

 「Thriller」を超える作品を作れなかったことは、しかし、決してマイケルのせいだけではない。音楽ヴィデオは'90年代以降も時代に即した刺激的な作品を生んで独自の芸術的深化を遂げてはいくが、音楽ヴィデオがメディアとして最も輝いていたのは、やはり'80年代後半までだったように思われる。ビートルズの4人の若者が現在を生きていたとしても、恐らく'60年代のような名作群を作ることができないのと同じで、「Thriller」は'83年という時代があって初めて生まれることのできた傑作なのだ。

 時代とアーティストの幸福な邂逅──たとえ墓から死人が蘇ろうとも、「Thriller」のような音楽ヴィデオがこの世に現れることは、二度とない。合掌。



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