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Benjamin Clementine──文句はない



 ベンジャミン・クレメンタインの「I Won't Complain」を和訳する。3曲入りデビューEP『Cornerstone』(2013)に「Cornerstone」「London」と共に収録されていた曲。他の2曲と同じく、ピアノの弾き語りによる内省的なバラード。人生の辛さを歌っているが、同時に人生を肯定する歌でもある。

 この世は酷いことだらけだし、人生には多くの苦難があるが、それでも彼は“文句はない(I won't complain)”と言う。ふとした瞬間、この世の素晴らしさを実感することもあるからだ。“人生楽ありゃ苦もあるさ/涙の後には虹も出る”と似たようなことが歌われているが、ベンジャミンの語り口は説教調ではなく、ここでも自問自答、あるいは禅問答のような印象を与える。

 彼の考えとはちょっと違うかもしれないが、プリンスの多くの作品と同様、この歌もまた“生きてるだけで丸儲け”という真理に通じるような気がする。私たちは宝クジで一等に当たるよりも遙かに低い天文学的確率でこの世に生まれてきた。楽しいことも辛いことも、すべてがかけがえのない貴重な体験だ。何があろうと“人生はクソだ”などと言いたくないと思う。この歌は、そのような厭世観に対するベンジャミンなりの反駁ではないだろうか。応援歌でも恨み節でもない、泣き笑いのような彼の歌を聴くうちに、私は“悲しくて美しい世界だ(It's a sad and beautiful world)”というトム・ウェイツのつぶやきを思い出した。

 この歌に関連してベンジャミンはこうも言っている。

「困難な状況を乗り越える一番の方法は、軽く考えることだと常々思う。物事の重大さなんて見方次第だし、文句を言うなんて気儘な無頼者には贅沢なことだよ」(9 May 2016, The Fader)

 「I Won't Complain」は1stアルバム『At Least For Now』(2015)に未収録だったが(デラックス配信版にはボーナス収録。Capitolとの契約に伴ってアメリカ市場向けに代表曲を集めた'15年4月発売のEP『I Dream, I Smile, I Walk, I Cry』にも収録)、'16年5月になってひょっこり音楽ヴィデオが公開された。シュールで美しいモノクロ映像を監督したのは、最新ヴィデオ「Phantom Of Aleppoville」でもベンジャミンと組んだクレイグ・マクディーン&マーシャ・ヴァシュコヴァ。ヴィデオの創作背景について監督2人が語ったインタヴューもあわせて紹介する。




 I Won't Complain
 (Benjamin Clementine)
 
 Its a wonderful life, its a wonderful life
 Traversed in tears from the heavens
 My heart is a mellow drum, a mellow drum in fact
 Set alight by echoes of pain 24-7, 24-7
 
 この素晴らしい 素晴らしい人生
 天から注ぐ涙に濡れて
 僕の鼓動は柔らかに 柔らかに打つよ
 苦しみで火を上げて 四六時中
 
 I dream, I smile, I walk, I cry
 I dream, I smile, I walk, I cry
 
 夢見て微笑み 歩いて泣いて
 夢見て微笑み 歩いて泣いて
 
 You might not say that its a wonderful world
 and its a wonderful life
 and its a wonderful day
 Just as yesterday
 
 どこが素晴らしい世界だと言うかい
 どこが素晴らしい人生だと
 どこが素晴らしい日だと
 昨日と同じく
 
 But I Wont Complain
 No I Wont Complain
 Though my good days are far gone
 They will surely come back one morn
 So I Wont Complain, no, no
 
 でも文句はない
 文句はないさ
 楽しい日々は遠く去ったが
 ある朝きっと戻ってくるから
 文句はないさ 何も
 
 My mind is a mirror, a reflection only known to me
 And for those who hate me, the more you hate me
 the more you help me
 And for those who love me, the more you love me
 the more you hurt me
 
 僕の心は鏡 僕だけに映って見える
 僕を嫌う人たちは 嫌うほどに
 僕の支えとなる
 僕を愛する人たちは 愛するほどに
 僕を傷つける
 
 When i go to bed in the night, i see some children in the light
 Fighting unknown shadows behind my mother's back
 And although I don't understand my dreams i know somewhere
 There is hope, there is hope, somewhere there is hope
 
 夜眠りにつくと 光の中に子供たちが見える
 母の陰で何かの影と戦ってる
 理解しがたい夢だが きっとどこかに
 希望が どこかに希望がある
 
 I dream, I smile, I walk, I cry
 I dream, I smile, I walk, I cry
 
 夢見て微笑み 歩いて泣いて
 夢見て微笑み 歩いて泣いて
 
 You might not say that its a wonderful world
 and its a wonderful life
 and its a wonderful day
 Just as yesterday
 
 どこが素晴らしい世界だと言うかい
 どこが素晴らしい人生だと
 どこが素晴らしい日だと
 昨日と同じく
 
 But I Wont, Complain
 I Wont Complain No, no,
 no, no, no, no, no
 no, no, no, no, no I won't complain, no i won't complain
 
 でも文句はない
 文句はないさ 何も
 何も 何も
 何も 何も文句はない 文句はないさ
 
 Though my good days are far gone
 They will surely come back one morn
 So I won't, I won't Complain
 
 楽しい日々は遠く去ったが
 ある朝きっと戻ってくるから
 僕には文句などない
 
 Though my good days are far gone
 They will surely come back one morn
 So I won't, I won't Complain
 
 楽しい日々は遠く去ったが
 ある朝きっと戻ってくるから
 僕には文句などない


Fighting unknown shadows behind my mother's back 母の陰で何かの影と戦ってる:“behind one's back”は、“〜のいないところで、〜の知らないところで、〜に隠れて秘かに”という意味の慣用句。“He's always talking behind my back”で“彼はいつも私の陰口を言っている”という意味になる。子供は親のいないところで成長するものだが、この一節は、ベンジャミンと彼の母親の不和──彼は16歳のときに母親との口論がきっかけで家を出た──を暗示しているようにも取れる。


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Tマガジン、'16年3月6日号表紙(クレイグ・マクディーン撮影)

 「I Won't Complain」ヴィデオの監督は、リアーナ「Kiss It Better」(2016)も手掛けている英ファッション写真家、クレイグ・マクディーン Craig McDean と、彼と組んでスプーン・フィルムズという映像プロダクションを立ち上げたロシア出身の映画制作者、マーシャ・ヴァシュコヴァ Masha Vasyukova の男女コンビ。NYタイムズ社が発刊しているファッション&カルチャー誌、Tマガジンの'16年3月6日号で、マクディーンがベンジャミンのスチール撮影と、NYタイムズのサイトで公開するためのショート・フィルム『On Set: Benjamin Clementine(撮影現場の様子を切り取った2分の映像作品。BGMは「Adios」)の制作を担当したことが彼らのコラボレーションの始まりだった。

 英ファッション&カルチャー誌、AnOtherの'16年5月24日付けウェブ記事で、マクディーンとヴァシュコヴァが「I Won't Complain」ヴィデオの制作について詳しく話している。シュルレアリスムからの影響なども語ったとても面白い内容だ。2人の話を以下に訳出しておく。

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Tマガジン用に制作されたショート・フィルム『On Set: Benjamin Clementine』(2016)──部分的に透けた腕や指は、マグリット「白紙委任状(Le Blanc-Seing)」(1965)を思わせる

──クレメンタインとのコラボレーションはどのような経緯で?

クレイグ・マクディーンCM)「今年('16年)の1月にTマガジンでベンジャミンの撮影を頼まれたんだ。実を言うと彼のことは音楽も含めてよく知らなかったんだけど、彼には'20年代の美しいジャズ歌手を彷彿とさせるような、すごくエレガントで洗練された雰囲気があった。Tマガジンからは写真撮影に伴ったショート・フィルムの制作も頼まれていて、それで一緒にやらないかとマーシャを誘った。過去に何度も組んでいたからね。彼女はそれこそ撮影前日の夜に駆けつけて、2人でアイデアを練って……で、翌日の撮影時間はたった45分しかなくてね」

マーシャ・ヴァシュコヴァMV)「クレイグは自然光の中で写真を撮っていて、私たちは映像の方もそれと合わせたかったの。カメラを回し始めたとき、もう日が落ちかけていたから大急ぎだったわ。その場でベンジャミンにコンセプトを伝え、彼の腕にグリーンの粘着テープを巻きながら、とにかく変な動きをどんどんやって欲しいと言う私たちを彼は信頼してくれた。その後、フィルムが公開されてから、ベンジャミンがまたコラボできないかとクレイグと私に言ってきたの。〈I Won't Complain〉のヴィデオを作らないかとね」

CM「マーシャと僕はちょうど自分たちの映像制作会社、スプーン・フィルムズを立ち上げたところだったから、その仕事の手始めとして音楽ヴィデオを手掛けることには大いに興奮したよ。しかも、全権委任で作らせてくれるっていうんだからね」

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クレイグ・マクディーン&マーシャ・ヴァシュコヴァ監督「I Won't Complain」(2016)

──彼との仕事の印象は?

CM「制作と言うより創作だったね。ベンジャミンは本物の詩人だ。この10年で最も面白いアーティストの一人だろうね。彼には何のごまかしもない。自分の信念に従ってるんだ。見た目もクールだしね。一緒の作業は本当に特別なものだったよ」

MV「クレイグと私は撮影前に色んなアイデアを出し合って台本を練った。ガチガチなスケジュールだったけど、おかげで遊びを入れることもできた。本当に特別なひとときだったわ。共振してる感じで、私たち3人とも同じ勢いで、口で言うよりも先に意思が通じてた。素晴らしい関係だったわ」

──彼の存在や音楽はヴィデオのコンセプトにどのような影響を与えました?

CM「このヴィデオはベンジャミンの音楽と、マーシャと僕らのヴィジョンの相乗効果だよ。彼の歌詞はまさに詩そのもので、この映像作品を作ることは、名付けようのないものに名前を付けるとか、目に見えないものを見せるのに近かった。映画作りにルールはない。肝心なのはヴィジョンであり、それを作品に描き出すことなんだ」

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ドロシア・タニング「ひなげしホテル、202号室(Hôtel du Pavot, Chambre 202)」(インスタレーション/1973)

──様々なシュルレアリスムのアイデアはどこから?

MV「ベンジャミンは神話の伝承者なのよ。あそこまで時の流れを超越した人はちょっと珍しい。あの歌にしても、夢や得体の知れない影についてのものだし。自分に取り憑く目に見えないもの、実在するかどうかも分からない、無意識の中に潜む過去の亡霊ね。二重性だとか、人の精神がいかに矛盾したものかということも歌われてる。そういったテーマが、精神分析とシュルレアリスムの両方と密接に繋がってるわけ」

──何か具体的に参考にしたアーティストや作品はありますか?

CM「マーシャも僕もシュルレアリスムが大好きでね。日頃から僕らが探求し、描いている人生や作品にもそれはよく表れてる。ベンジャミンのヴィデオでは、本物の魂がこもった映像を作りたかった。昔風の色んなトリック撮影をやったよ。サイレント時代のようなやり方で、あるいはコクトーやマン・レイが詩を視覚的に表現したようにね。編集についてもそう。僕らには撮影も編集もすべてが大事なんだ。ブラックマジック社の小型カメラ2台を使って全部自分たちで撮影したし、僕らは編集も必ず自分たちの手でやるんだ」

MV「具体的に参考にしたものがあるわ。クレイグの言うとおり、ジャン・コクトーにマン・レイ、それにドロシア・タニングとマグリットもね。シュルレアリスムに関しては集合的記憶のようなものが確実にある。撮影現場や編集の過程で、間違いから思いもよらぬ成果が得られたり。個人的経験から生まれてくるものもあるしね。自分のそれまでの体験や、芸術や夢や映画に触れて感じたことが反映されたり。そういうものが全部混じり合ってひとつの映像作品が生まれるのよ」

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ルネ・マグリット「複製禁止(La reproduction interdite)」(油彩/1937)

──撮影現場はどんな雰囲気でしたか?

CM「朝8時に古ぼけた1930年代のニュージャージーの劇場に着いたときのことを覚えてるよ。美しいスーツ姿のベンジャミンが煙草を吸いながら一人で外に立っていた。まるで別の時代から現れたようだったよ。曲は作業の間中ずっと流してた。絵コンテも歌詞に添って作ったし、曲そのものが創作のインスピレーションになった。ちょっとシュールすぎて、最初のフィルムでボツになったカットがあってね。撮影中、ベンジャミンに訊かれたよ。“空飛ぶベンジャミンはどうなったんだい?”って」


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ルネ・マグリット「人の子」(左)、ベンジャミン・クレメンタイン『At Least For Now』(右)

【余談1】コート姿のベンジャミンが片手に青リンゴを持って佇む『At Least For Now』のジャケット写真は、マグリット「人の子(Le Fils de l'homme)」(1964)からの影響が指摘されている。尚、ベンジャミンの説明によると、ジャケット写真の青い壁はフランス、赤いドアはイギリスを表しているという。

【余談2】リード文で言及した映画『ダウン・バイ・ロー』(1986)の有名な台詞“悲しくて美しい世界だ”もまた間違いから生まれたものらしい。夜の街角で酔いつぶれて鼻歌を歌っているトム・ウェイツのもとに、イタリア人のロベルト・ベニーニがやってきて片言の英語で話しかける。ベニーニの台詞は、台本ではもともと“悲しくて美しい音楽だ(It's sad and beautiful music)”だったが、彼は間違えて“悲しくて美しい言葉だ(It's a sad and beautiful word)”と言ってしまった。ベニーニの言った“word”をウェイツとジャームッシュが更に“world”と聞き違え、最終的に台詞は“悲しくて美しい世界だ(It's a sad and beautiful world)”に落ち着いた(実際の場面でベニーニははっきり“world”と言っているので、彼が台詞を間違えたのはリハーサル時と思われる)。この逸話(出典不明)はIMDbで紹介されている。




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