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Sinead O'Connor──君の墓に臥して



 前回のFデラックス来日公演鑑賞記の中で、シネイド・オコナーについて少し触れた。優れたアーティスト/歌手である一方、彼女は昔から過激な言動や奇行で世間を騒がせてきた特A級の“問題児”であり、そのせいで肝心の作品があまりまともに顧みられないちょっと不遇な人であると思う。プリンスとは犬猿の仲だったシネイドだが、私はプリンスの信奉者であると同時に、彼女の作品も高く買う音楽ファンである。全盛期の彼女を知るリスナーは少なくなる一方だと思うので、ここで1曲、彼女の凄さがよく分かる作品を紹介しておきたい。「Nothing Compares 2 U」(これについてはいずれ改めて書く予定)を含む彼女の2ndアルバム『I Do Not Want What I Haven't Got』(1990)に収められている「I Am Stretched On Your Grave」である。

 この曲はシネイド・オコナーが書いたものではない。原典は17世紀にアイルランド語で書かれた作者不詳の古い詩「Táim Sínte ar do Thuama」。これをアイルランドの作家、フランク・オコナー(1903〜66)が「I Am Stretched On Your Grave」として英訳し、更に'79年、アイルランドのフォーク・ロック・バンド、スカリオンのフィリップ・キングがそこにメロディをつけて楽曲として完成させ、彼らのデビュー作『Scullion』で発表した。シネイドの作品はそのカヴァー版に当たる。「Nothing Compares 2 U」と同様、彼女が歌ったことでこの曲は広く知られるようになり、以後、ヴォイス・スクワッド、デッド・カン・ダンス、ケイト・ラズビーなど、様々なアーティストに取り上げられるようになった。

 フランク・オコナーの英訳詩が過去に邦訳されたことがあるか私は知らない。また、私は『I Do Not Want What I Haven't Got』を輸入盤でしか持っていないので、日本盤にどのような対訳が載っているかも知らない。以下は、アルバムに添付されている原詩のみを参照した拙訳である。とんでもなく切ない歌だ。




 I Am Stretched On Your Grave
 (Phillip King/Frank O'Connor)
 
 君の墓に臥して
  永遠に横たわっていよう
 君の手を握っていれば
  離ればなれになることもない
 僕の林檎の木 僕の明かりよ
  さあ 共に過ごそう
 土の匂いに包まれて
  僕は野に晒される
 
 僕が寝床にいるものと
  家族が思っている間
 朝まで夜通し
  僕は君に寄り添い
 熱い涙を流しながら
  おいおいと泣き叫ぶ
 子供の頃に愛した
  少女の君を悼んで
 
 覚えているかい
  僕らが迷子になった晩を
 霜の降りた 凍てつく
  リンボクの茂みの陰で
 神様のお導きによって
  僕らは正しきことをした
 君の操は今なお
  眩い光を放ち続ける
 
 神父や修道士たちは
  心配して僕に詰め寄る
 僕がまだ君を愛しているから
  愛しい君は帰らぬ人
 君を護り続けよう
  雨の日も風の日も
 冷たい墓で君と共に
  凍えながら僕は眠る
 
 君の墓に臥して
  永遠に横たわっていよう
 君の手を握っていれば
  離ればなれになることもない
 僕の林檎の木 僕の明かりよ
  さあ 共に過ごそう
 土の匂いに包まれて
  僕は野に晒される


 「I Am Stretched On Your Grave」は、他界した幼なじみの少女をいつまでも思慕し続ける若年(と思われる)男性を描いた哀歌である。シネイドは歌詞内の“girl”を“boy”に変えることもなく、この曲をそのまま“僕”の歌として歌っている。

 限りなくアカペラに近いシネイド・オコナーのカヴァーは、エンディングにフィドルの演奏が登場する点も含め、概ねオリジナルのスカリオン版に忠実だが、決定的に違うのはリズムである。彼女はこの哀歌を、なんとジェイムズ・ブラウン「Funky Drummer」のブレイクビーツに乗せて歌っている。17世紀の古いアイルランドの詩歌を、ケルト音楽の伝統を取り込みながら、同時にヒップホップの作法で現代に蘇らせているのである。

 簡素極まりないヒップホップ・サウンドとシネイドの詠唱には、全編を通して異様な緊迫感、あるいは妖気のようなものが漂う。死者の墓に夜な夜な横たわるという、ある意味、不気味とも言える行動や、常軌を逸した強い哀惜の情が、彼女のエキセントリックなキャラとも相まって、やけにリアルなものに感じられる。愛する者を失った300年も前の人間の情念が、まるで成仏できない魂のように虚空を彷徨っているようだ。そもそも、過去の音をサンプリングによって現代に蘇らせるヒップホップの方法論は、音楽における一種の“降霊術”である。一見、意外な組み合わせにも思えるが、ヒップホップと「I Am Stretched On Your Grave」で歌われている死者に対する想いは、実は相性が良い。もしかすると、シネイドは直感的にこのことに気づいていたかもしれない。

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「I Am Stretched On Your Grave」のライヴ・パフォーマンス(『The Year Of The Horse』より)

 圧巻だったのは、当時の'90年ツアーで披露された同曲のライヴ版である。彼女はバンドのメンバーたちを全員引っ込め、スタジオ版と同じく、ステージ上で音源だけをバックに一人で歌唱パフォーマンスを行った。エンディングのフィドル部分で伝統的なアイリッシュ・ダンスを踊るのが見もの。こんな独創的なヒップホップ解釈は見たことがない。この強烈なパフォーマンス(上の埋め込み動画参照)は、翌年に発売された彼女のライヴ映像作品『The Year Of The Horse』(1991)で観ることができる。同ライヴ映像('90年10月29日〜30日、ブリュッセルとロッテルダムにて収録。'03年にDVD化はソフィー・ミュラーが監督を務めており、後のシャーデーのライヴ映像群と同様、素晴らしい撮影と編集で、最もヤバかった時期のシネイド・オコナーの姿を鮮やかに捉えている。シャーデー・ファンも必見……とまでは言わないが、ボム・ザ・ベース、ソウルIIソウル、マッシヴ・アタック等、ヒップホップを触媒に独自のフュージョン音楽を生み出していた当時のUKクラブ・シーン周辺に興味のある人には一見をお勧めしておきたい。


Scullion - I Am Stretched On Your Grave (1979)
Sinead O'Connor - I Am Stretched On Your Grave (Album Version 1990)
Sinead O'Connor - I Am Stretched On Your Grave (Apple Brightness Mix, Single B-side 1990)
Sinead O'Connor - I Am Stretched On Your Grave (Live at Pinkpop 1995)




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