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『私が、カルメン』アフタートーク@オーチャードホール



 マリア・パヘス舞踊団の最新作『私が、カルメン(Yo, Carmen)』。素晴らしかった来日公演の内容は前回記事に書いた通りだが、今回はそのおまけとして、'15年4月24日(金)、私が観たBunkamura オーチャードホール初日公演の終了後に同会場で行われたパヘスのアフタートークの模様をお伝えする。

 東京公演はオーチャードホールで3日間行われたが、トークショウがあったのは初日のみ。公演終了後、15分の休憩を挟み、客電の点いたホール内のステージ上で、マリア・パヘス、ヴィヴィアン佐藤(美術家)、日本人女性通訳の3者による質疑応答が20分ほど行われた。短い時間ながら、パヘスは『私が、カルメン』の創作過程について熱心に語ってくれた。ここにそのすべてを記録として書き起こす(私はスペイン語を解さないので、転写は通訳の日本語に基づく。文章として読みやすいよう、校閲・編集を加えたことを断っておく)

 昨年観たエバ・ジェルバブエナの来日公演('14年3月22日、新宿文化センター)でも同様のアフタートークがあった。エバは熱いものを静かに内に秘めているような雰囲気の女性で、踊っている時の激しさからは想像もつかない穏やかな物腰が印象的だったが、パヘスは非常に多弁で、言葉にもブレがなく、まさに舞台で見せてくれたカルメン像そのままという感じの、とてもバイタリティに溢れる女性だった。




ヴィヴィアン佐藤:『カルメン』はフラメンコの中でも伝統的なものであり、メリメとビゼーが男性的な視点で作った演目ですが、今回のマリアさんの舞台では等身大の生身の女性が描かれています。現実の生活や仕事、そういった身動きが表れているように思いました。題名がただの『カルメン』ではなく『私が、カルメン』であるのは、誰でもカルメンであり、すべての人に当てはまる、ということだと思うのですが、いかがでしょう。

マリア・パヘス:皆さま、こんばんは。この度はBunkamuraで公演させていただき、また、ヴィヴィアン佐藤さんとこのような形でご一緒にトークショウに出させていただき、とても嬉しく思っています。『私が、カルメン』について語ることはたくさんありますが、今回はその中から少しお話しさせていただきます。

いずれの作品においても、創作をする前に、私は様々なディテールについて考え、調べ、思考を巡らし、色々な準備をします。『カルメン』を取り上げることは、随分と前から心に秘めていたことでした。フラメンコ・ダンサーであり、セビージャ出身の女性で、振付家でもある私が、“『カルメン』をやらないか”と度々言われてきたことは、皆さまにもご想像がつくかと思います。これまで私は“絶対にやらない”と答えてきました。メリメの小説やビゼーのオペラが伝えるメッセージに、私自身、納得がいかなかったからです。ビゼーが作った音楽はとても美しいもので、私は心から愛していますが、『カルメン』の物語は男性の視点から創作されたものです。それはドン・ホセの物語です。ホセの情熱、苦しみ、人生の悲劇を表現するためにカルメンという女性が作り出されたのであって、決して生身の女性を描こうとしたものではありませんでした。なので、自分の思い通りに生きたい、女性として自由でありたいと願った段階で、カルメンは殺されてしまう結果になります。

今回の作品で、私は現実の生身の女性を描き、これまでの『カルメン』とは対極をなすものを作りたいと思いました。『私が、カルメン』の“私”は、マリアという私自身だけでなく、あらゆる女性のことを指しています。実際、スペインには、50%がカルメンではないかと思うほど多くのカルメンがいます。私が学生だったときも、クラスの中にカルメンという子がいっぱいいました。“カルメン”という名前を使うことで、すべての女性を表現したいと考えました。仕事をしたり、家族の世話をしたり、子供たちを学校に送り、家事をしたり……そういうパワフルな女性が私の作品の中には描かれています。まさしく自然で、本来の姿の女性と言えるのではないでしょうか。



ヴィヴィアン佐藤:昨日お会いしたとき、チャップリンの作った『カルメン』がとてもユニークで面白いと仰っていましたが。

マリア・パヘス:色んな作品が作られてきた『カルメン』ですが、中でもチャーリー・チャップリンが作った『カルメン』はとても素晴らしいものなので、皆さんにも機会があったらご覧いただきたいと思います。『珍カルメン(Burlesque on Carmen)』というタイトルで、『カルメン』のパロディ作品としては最初のものではないかと思います。従来の『カルメン』とは全く発想が異なっていて、最後にカルメンは殺されません。最終的に男性と女性がお互い笑い合う。私の作品も、男性と女性は共に手を取り合い、人生を共有しながら平等に歩んでいかなければならないという気持ちを込めて作りました。今回の作品に関して、チャップリンにはとても大きなインスピレーションを貰いました。



ヴィヴィアン佐藤:マリアさんは伝統的なフラメンコに敬意を払いつつ、常に新しいものに挑戦されています。クラシックやジャズの音楽、前回の作品では建築に対しても踊っていました。今回は、詩/言葉に対して踊るという挑戦をされています。ちょっと長くなりますが……山口小夜子さんという日本を代表するモデルがいまして、もう亡くなりましたが、世界的なモデルであると同時にパフォーマーとしても活躍した人でした。晩年、彼女は“何でも着ることができる”と言っていました。風や雨、山やトンネル、空気ですら着ることができる、言葉だって着ることができる……そんなことを言っていたんですね。マリアさんの姿勢を見て、彼女のことを思い出したのですが。言葉に対して踊るという今回の試みについてお聞かせ願えますか。

マリア・パヘス:どの芸術においても対話というものは可能だと思いますし、非常にインスピレーションを与えてくれるものだと思います。芸術というものは色んな形で多様に開かれているべきだと思います。

フラメンコは私の根本を成すものですが、フラメンコのカンテ(歌)はまさに詩そのものですし、私は詩全般が好きで、いつも色んなものを読んでいます。今回、国籍の異なる様々な女性詩人たちの言葉と一緒に踊ることで、作品の内容を非常に象徴的に表現しています。というのも、女性たちは長いこと学ぶことを禁じられていたからです。家にとどまって勉強もできなかったせいで、これまでの男性と女性の差も生まれてきたと思います。でも、今は違います。女性たちも学び、教育を身に付けることができるようになりました。言葉は女性の生き方も教えてくれるものだと思います。



『私が、カルメン』の中には色々と象徴的なものが描かれています。私はアバニコ(扇)を開くたびに魂/心を開くと考えています。今回の作品もアバニコを開くところから始まります。最後の私のソレアの時もアバニコを開いています。それによって女性たちの心を開くということを表現しました。もうひとつ、今回の作品で象徴的に表しているものにバッグがあります。すべての女性たちはバッグを持っています。そこには私たちの生活の半分が入っていて、バッグの中身を見ればどんな女性であるかが分かるほどです。バッグによって、私たち女性の性格や本能までも表現できると思います。

……他にもいっぱいお話しさせていただきたいことがありますが、すべてをお話しすることはとてもできないと思います。

ヴィヴィアン佐藤:まだまだたくさん色んなお話を聞きたかったのですが、今日はこれくらいにさせていただきます。どうもありがとうございました。

マリア・パヘス:アリガトウ。I love you!



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