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シャーデーの白いドレスの行方



 '88年ツアーでシャーデーが着ていた白いレースのロングドレス。'88年ツアーはライヴ映像未発表のため、残念ながらこのドレスを着たシャーデーの姿はあまり見ることができないが、「Nothing Can Come Between Us」のMVや、同曲シングル盤のカヴァー写真でファンにはお馴染みだと思う('89年1月に行われた第16回アメリカン・ミュージック・アウォードでは、このドレスで「Love Is Stronger Than Pride」を歌う彼女の麗姿が見られる)。デザインを担当したのは、当時ファッション・デザイナーで、現在は家具デザイナーとして活躍するドイツ人女性、Gioia Meller Marcovicz。'93年と'01年ツアーのシャーデーのステージ衣裳もこの人の手によるものだ。

 '88年ツアーの白いドレスは現在、シャーデーの手元にはない。彼女はとっくの昔にこれを手放している。実は、このドレスはその後、別のある有名な女性歌手の手に渡り、今からちょうど20年前、世界中の人々の注目を集めたある“事件”の場で着られた。シャーデーのドレスを引き継いだ女性歌手とは一体誰か? 今回は、この美しい白いドレスが辿ったちょっと数奇な運命について書くことにしたい。


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Sinead O'Connor live on Saturday Night Live
Broadcast: 3 October 1992 (US)
Performance: Success Has Made A Failure Of Our Home / War

 シャーデーのドレスを引き継いだ女性歌手とは、シニード・オコナーのことである。'92年10月3日、米NBCの人気テレビ番組〈Saturday Night Live〉に、彼女はシャーデーの白いドレスを着て出演した。ご存じの方も多いと思うが、このテレビ放送は非常にスキャンダラスな“事件”として歴史に刻まれている。

 この時、シニードは音楽ゲストとして番組に招かれ、最新曲「Success Has Made A Failure Of Our Home」とボブ・マーリーの「War」を披露した。“事件”は後者のパフォーマンス中に起きた。彼女は1人でスタジオのステージに再登場し、終始カメラを見据えながらアカペラで「War」を歌った。マイクスタンドには、赤、黄、緑のラスタカラーをあしらったタオルのようなものが巻かれている。

 歌の最後、彼女がおもむろに1枚の写真を取りだした時、“事件”は起きた。覚えている人も多いだろう、かの有名な“ローマ教皇写真引き裂き事件”である。

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ローマ教皇の写真を破り捨てるシニード

 「War」の締めの一節、“Good over evil”の“evil(悪)”を歌うところで、シニードはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の写真をカメラの前に掲げると、次の瞬間、これをビリビリと引き裂き、紙片をカメラに向かって投げつけた。そして、最後に“真の敵と戦え(Fight the real enemy)”と言い放ってカメラを直視した。番組は生放送だった。

 宗教に無頓着な私たち日本人にはいまいち事の重大性が分かりにくいが、日本で言うと、これは生放送中のバラエティ番組内で出演者が天皇陛下の写真を破り捨てるに等しい行為である。ボブ・マーリーの「War」(1976)は人権平等を訴える歌だが、シニードは歌詞の一部を“児童虐待(child abuse)”と変えて歌っていた(*1)。カトリック教会の聖職者たちによって恒常的に行われていた児童への性的虐待に対する捨て身の抗議行動だった。

 番組側はもちろんシニードの行動を予期していなかった。リハーサルの際、彼女はヨハネ・パウロ2世の写真の替わりに、難民の子供の写真を掲げてパフォーマンスを締め括っていたという。〈Saturday Night Live〉のスタジオ内には観客がいるが、映像を見ると、彼女が教皇の写真を破り捨てた後、スタジオは全くの無音状態で、場の空気が凍り付いているのが分かる。観客に拍手を促すスタジオ内の“拍手”ランプも、この時はプロデューサーのとっさの指示で点灯しなかった。

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翌週の番組冒頭で事件について弁明するジョー・ペシ

 NBCには抗議の電話が殺到した。翌週10月10日放送の同番組の冒頭では、お詫びとして、ゲスト司会者のジョー・ペシ(SNLは毎週司会者が替わる)が元通りに貼り付けた教皇の写真を掲げ、“俺の回だったら彼女をぶん殴ってやったところだ”と言い、替わりにシニード・オコナーの写真を破って観客の喝采を浴びた。カトリック教会を刺激することに長けたマドンナも、この件に関しては“自分の意見を表明するには、他の多くの人たちにとって大切な意味のある人の写真を破く以外にもっと良い方法があると思う。ローマ・カトリック教会が気に入らないというなら、彼女はそれについて語るべきなのよ”と大人なコメントをし、やんわりとシニードを批判した(直後の10月21日に発売を控えていた彼女の写真集『SEX』が、シニードの事件に話題をさらわれてしまったことに嫉妬しているのではないか、という見方もある)

 世間の反応は批判的・冷笑的なものだった。この一件によってシニードのキャリアはしばらく停滞することになった。

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写真を破り捨てた直後のシニード(この後、横にある蝋燭を吹き消す)

 シニードによるローマ教皇写真引き裂き事件は当時日本にも伝えられたが、映像が日本で放映されることはなく(NBCがこの映像の再放映を許可することは滅多にない)、私が初めて映像を見たのも割と最近、YouTubeにおいてだった。が、実際の映像を目にしても、彼女の着ているドレスがまさかシャーデーのお下がりだとは思いもしなかった。

 ドレスがシャーデーのものだったということは、'12年7月のシニード自身のインタヴュー発言によって明らかになった。BBCのラジオ番組〈6 Music〉'12年7月15日放送回で、ドレスを入手した経緯について彼女が話している。

「彼女(シャーデー)は知らないかもしれないけど、'85年に私がイギリスへ来た時、シャーデーの持ち物だったドレスをロックンロール・オークションで800ポンドで買ったの。シャーデーに愛用された有名な白いドレスよ。私はそれを〈Saturday Night Live〉で着ることにしたの」

 “'85年”というのは明らかにシニードの記憶違い、もしくは単なる言い間違いである。ドレスは'88年ツアーで着られたものなので、それ以前の'85年に入手したということはあり得ない。'85年にシニードは19歳で、まだレコード・デビューすらしていなかった。彼女が競売でドレスを購入したのは'89〜92年の間ということになる。シャーデーの'88年ツアーのドレスとシニードの着ているドレスを比較してみると、確かに同じものに見える。シャーデーのドレスはツアー用に作られた特注品のはずなので、シニードが入手したのは正真正銘、本物のシャーデーのドレスと見てまず間違いないだろう(*2)

 '88年ツアーのシャーデーは、白ズボンの上にこの白いワンピース・ドレスを重ね着し、更に首から──キリスト教の概念に依拠した表現をほとんどしない彼女にしては珍しく──十字架をぶら下げていた。敬虔なキリスト教徒であるシニードは、もしかするとシャーデーの白いドレス姿に何か神聖なものを感じたのかもしれない。その日、シニードは相当の覚悟をしてこのドレスに袖を通したはずである。シャーデーの'88年ツアーの白いドレスは、4年後、独りぼっちの“聖戦”のための戦闘服になった。


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Bob Dylan The 30th Anniversary Concert Celebration
Date: 16 October 1992
Venue: Madison Square Garden, New York
Performance: I Believe In You (abandoned) / War

 周知の通り、この事件には続きがある。物議を醸したテレビ放送から僅か13日後の'92年10月16日、シニード・オコナーは(今度は別の服を着て)NYのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサートに出演。そこで苦渋を味わうことになった。

 コンサート中盤、名前がアナウンスされてシニードがステージに登場すると、場内は騒然となり、異様な空気に包まれた。〈Saturday Night Live〉の事件を受けて、彼女には猛烈なブーイングが浴びせられていた。野次を気にせず、にこやかに“Thank you”と挨拶するシニード。この時、彼女はディランの「I Believe In You」(1979)を歌う予定だった。彼女とバンド・メンバーたちは観客が静まるのを待ったが、ブーイングは一向に収まる気配がない。仕方なく鍵盤のブッカー・T・ジョーンズがイントロを弾き始めたが、とても歌える雰囲気ではなく、シニードによってすぐに演奏が止められた。ステージの真ん中でブーイングに晒されたまま立ちつくす彼女に、出演者の一人だったクリス・クリストファーソンが近寄って声を掛ける(“バカ野郎どもに負けるな”、“負けないわ”という会話だったことが、'10年にクリストファーソンの話によって明らかになっている)。再び鍵盤のイントロが始まったが、観客のブーイングは収まるどころか、どんどん激しさを増す一方だった。シニードは演奏を止めさせ、予定曲の中止をジェスチャーで伝えると、意を決してマイクを掴み、〈Saturday Night Live〉で歌ったボブ・マーリーの「War」を観衆に向けて激昂しながらアカペラで歌った。歌っている最中も観客のブーイングは続いた。歌いきった彼女は、ステージを去る際、クリス・クリストファーソンに介抱されて泣き崩れた。マジソン・スクエア・ガーデンは怒号と拍手が入り交じった大騒音で包まれていた。

 シニードによるこの満身創痍の「War」は、ボブ・ディラン30周年記念コンサートのライヴ盤ではカットされたが、同時発売された映像版にはきちんと収録されている。ステージでシニードを勇気づけたクリス・クリストファーソンは、17年後、この件を題材にした「Sister Sinead」(2009)という彼女へのトリビュート曲を発表している。ボブ・ディラン自身はシニードの件について何もコメントしていないが、このパフォーマンスは、かつてニューポート・フォーク・フェスティバルにディランがエレキ・ギターを持って出演した際に起きた伝説のブーイング事件をちょっと思い出させる。


 このコンサートから1週間後の10月23日、英米の新聞社にシニードから声明文が届いた。彼女はそこで自分の立場や主張を明確にした。手紙の中で彼女はこう書いている。

「私の名前はシニード・オコナーです。アイルランド人女性です。私は虐待を受けた子供です。(略)もし真実が隠されるなら、私が幼少時に受けた蛮行はアイルランドの大勢の子供たちに繰り返されていくでしょう。私はキリスト教徒ゆえ、暴力を行使することなく、いかなる手段を用いてもこれを阻止する所存です」

 シニードには母親から酷い虐待(暴力)を受けて育ったという過去がある。彼女は児童虐待を社会の諸悪の根源だと考える。イエス・キリストの名のもとに行われる搾取や蛮行が彼女には何としても許せない。ゆえに、彼女自身、敬虔なカトリック信者であるにもかかわらず(あるいは、そうであるがゆえに)、聖職者たちの児童虐待を野放しにし、事実を隠蔽しようとするローマ・カトリック教会を糾弾する行動に出た。

 〈Saturday Night Live〉でシニードがとった行動が正しかったのかどうか、正直、私には分からない。然るべき他の方法があるはず、というマドンナの意見は確かに正論だろう。ただ、シニードが自分のレコードやコンサート、あるいはインタヴューなどを通していくらメッセージを発しても、それが届く範囲は高が知れている。生放送のテレビ番組で教皇の写真を引き裂くという行為自体はあまりにも非礼で愚かだが、自分が大馬鹿者として罵られることと引き換えに、彼女は深刻な社会問題にとてつもなく大勢の人々の注意を向けさせることに成功した。シニードの教皇写真引き裂き事件は、20年経った今でも人々の間で話題にされ、また、YouTubeでも当時の映像が多くの人に視聴され、カトリック教会が抱える問題に世界中の人々が気付くきっかけを与え続けている。写真が引き裂かれていなければ、こうして私がわざわざ記事を書くこともなかっただろう。シニードがやったことに大きな意味があったことは否定のしようがない。

 芸術の世界にかかわらず、不特定多数に向けた表現というものは、発信者がどこの誰であろうと、常にあらゆる批評や批判の対象となり得る。何かを表現する人は、批判されること自体に絶対に文句はつけられない。表現するのも自由なら、それを批判するのもまた自由だからである。ゆえに、表現を行う人間は、自分の言葉や行動のひとつひとつに常に覚悟と責任を持たなければいけない。批判する側もまた同じである。

 写真を引き裂いたことの是非はともかくとして、マジソン・スクエア・ガーデンのステージで大ブーイングを浴びながら猛然と「War」を歌いきるシニードの姿に、私は心から感動し、敬服する。彼女の耳にはブーイング以外にも、“引っ込め!”、“帰れ!”、“売女!”といった様々な野次が聞こえていただろう。無数の非難と罵倒の声に晒されながら、決して信念を曲げることなく、最後まで自分の表現を貫き通した彼女の勇気と根性は賞賛に値するものだ。彼女の姿はあらゆる表現者の鑑だと思う。“暴力を行使することなく、いかなる手段を用いても(by any means necessary WITHOUT the use of violence)”という決意が伝わってくる壮絶なパフォーマンスだ。

 シニードが糾弾したカトリック聖職者の児童虐待事件は世界中で起きている。'02年にアメリカで大きな問題になったのを契機に、欧米諸国で次々と事件や隠蔽が発覚し、カトリック教会の責任が厳しく追及されるようになった。'10年には教皇ベネディクト16世(シニードが写真を破ったヨハネ・パウロ2世の次代)が一連の事件に関してバチカンとして初めて正式に謝罪したが、真相の究明には至っていない。児童への性的虐待の要因としては、カトリック教会が聖職者の妻帯を認めていないことや、小児性愛者が聖職者を志望する実態なども指摘され、カトリック教会のシステムそのものが問題視されてもいる。マイケル・ジャクソンが濡れ衣を着せられている間に、世界中の教会で本当の犯罪が行われ、子供たちが口封じをされていたと思うと、ただただ悲しくなってくる。“真の敵と戦え(Fight the real enemy)”というシニードのメッセージが重みを増す。


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Gael Force: An Irish Music Event
Date: 8-13 September 1997
Venue: Point Theatre, Dublin, Ireland
Performance: Thank You For Hearing Me / He Moved Through The Fair

 シニード・オコナーがシャーデーの白ドレスを着たのは'92年の〈Saturday Night Live〉出演時だけではない。それから5年後、'97年9月にダブリンのポイント・シアターで行われたアイルランド音楽の祭典〈ゲール・フォース〉に、チーフタンズ、クリスティ・ムーア、クラナドらと出演した時も、シニードはこのドレスを着ている。私の知る限り、公の場で彼女がシャーデーのドレスを着たのはこの2回だけである。いずれも重要なイベントなので、彼女にとってこのシャーデーのお下がりは、きっと大切な“勝負ドレス”なのだと思う。

 DVD化もされているコンサート映像では、「Thank You For Hearing Me」(1994)と「He Moved Through The Fair」(1995/チーフタンズ共演曲)のパフォーマンスを見ることができる。『UNIVERSAL MOTHER』からのシングル曲だった「Thank You For Hearing Me」は名作。この'97年のライヴ版も良いが、'94年のアルバム発表当時のテレビ出演パフォーマンスが素晴らしい。

 '94年から彼女は髪を伸ばした。シニード・オコナーと言うと、『裁かるるジャンヌ』のルネ・ファルコネッティみたいなイメージが強いが(*3)、髪を伸ばしてショートカットにすると、実はオードリー・ヘップバーンやウィノナ・ライダーに似ていることが分かる。最近はふっくらとしてすっかりオバちゃん化しているが、この人は'90年代ポピュラー音楽界の中でも屈指の美人だった。

 かつてシャーデーに着られ、後に“アイルランドのジャンヌ・ダルク”の戦闘服になった白いドレスは、どうやら次に花嫁衣装になるようだ。シニードの10代の娘、ロイシンが現在のドレスの持ち主である。まるで『運命の饗宴』(*4)のような話だ。

「今では私の娘が着ていて、自分のウェディング・ドレスにする気でいるの。だから娘には“これは女性にトラブルをもたらすドレスだからね”と言っておいたわ。もちろん、シャーデーはレディだし、いつだってお行儀のいい人だけどね」



(*1)アカペラで歌われたボブ・マーリー「War」は、後にシニードがスライ&ロビーと作ったルーツ・レゲエのカヴァー・アルバム『THROW DOWN YOUR ARMS』(2005)でバンド演奏を伴ったスタジオ版が録音されている(歌詞はオリジナル通り)。

(*2)本記事冒頭のシャーデーの写真とシニードのドレスをよく見比べると、微妙にレースの柄の位置が違うようにも見える。'88年ツアーのドレスは恐らく交換・予備用に最低2着は作られたはずである。シニードが入手したのはそのうちの1着と思われる。

(*3)名作ヴィデオ「Nothing Compares 2 U」(1990)の顔面ドアップは、実際、『裁かるるジャンヌ(La Passion de Jeanne d'Arc)』(1928)を意識していると思う。リュック・ベッソン監督、ミラ・ジョボヴィッチ主演『ジャンヌ・ダルク(The Messenger: The Story of Joan of Arc)』(1999)は、もともとキャスリン・ビグローが『Company of Angels』というタイトルで長年温めていた企画だったが(ベッソンに横取りされた)、ビグローがジャンヌ役に考慮していたのが実はシニード・オコナーだったという話もある(クレア・デインズも候補だったらしい)。ちなみに、ジャネル・モネイのヴィデオ「Cold War」(2010)は、絶対に「Nothing Compares 2 U」(とユーリズミックスの「Julia」)に影響されていると思う。

(*4)ジュリアン・デュヴィヴィエ監督『運命の饗宴(Tales of Manhattan)』(1942)。1着の燕尾服が次から次へと別の人間の手に渡って様々なドラマが生まれていくオムニバス形式の映画。大推薦作。

【参考】
Sinead O'Connor hopes daughter will wed in dress she wore when ripping up Pope's pic('12年7月、白ドレスについてシニードが明かしたBBCのラジオ・インタヴューの内容を紹介した記事。元のラジオ音源が聴けないため、こちらを参照した)
Sinead O'Connor on Child Abuse('91年9月のロング・インタヴュー。驚異的な充実度。シニードの生い立ちや物の考え方がよく分かる。この記事のリード文には、シニードがジャンヌ・ダルク役で映画出演する予定があることが記されている。恐らくキャスリン・ビグローの企画のことだろう)
Sinead's Defense: She Says She Seeks Truth(ディラン30周年記念コンサートから1週間後、'92年10月24日付けのLA Times紙の記事。シニードが新聞社に送った声明文の全文を掲載)




追記('12年12月12日):
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 シニード・オコナーがいかに美人だったかがよく分かる映像作品を2本紹介しておきたい。ひとつは、コール・ポーター楽曲を豪華アーティストたちがカヴァーした『RED HOT+BLUE』(1990)収録の「You Do Something To Me」。ブロンドのウィグをつけてヴェロニカ・レイク風のファム・ファタルに扮したシニードがナイトクラブで歌う'40年代調のモノクロ美麗クリップ。監督は「Nothing Compares 2 U」と同じジョン・メイバリー。『RED HOT+BLUE』は、エイズ撲滅チャリティ“RED HOT”シリーズの第1弾としてCDヴィデオ集の両方で発表され、当時大きな話題にもなった名作中の名作。日本でも民放で深夜にテレビ放映された(坊主頭のシニードしか知らなかった私は当時このヴィデオを見て卒倒した)。もうひとつは、イギリスでクリスマス特番として放映されたマルコム・マクラーレン監督によるテレビ映画『The Ghosts Of Oxford Street』(1991)。赤毛のウィグをつけたお人形さんのようなシニードが「Silent Night(きよしこの夜)」を歌う様子が見られる。

 シニードは自分の美貌をちっとも売りにしなかった。髪を伸ばせばいいのに、と思っていたのは私だけではないだろう。参考文献として上にも挙げた'91年9月のインタヴューで、男性記者がずばりこの質問をシニードにぶつけている。

●ある男性と出会い、あなたが恋に落ちたとします。彼から“愛してる。君に夢中だよ。でも、ウィグをつけた君の写真を見たら、すごく綺麗だった。髪を伸ばしてみたらどう?”と言われたらどうですか。

「その男が私のことをちっとも愛してないってことが分かる」

●いや、でも彼は本当にあなたのことを愛してるかもしれないじゃないですか。引っかけ質問じゃないですよ。別にあなたを引っかけようとしているわけではありません。

「だめだめ。“とっとと失せろ”って思うだけよ。あのね、私がもし髪を伸ばすんなら、っていうか伸ばしたいけど、それは自分が伸ばしたいからであって、誰かがそう望むからじゃない」

●ちゃんと考えた上でそう言い張るんですか?

「別に」

●違うんですか?

「そりゃね。意識的にそう考えたわけじゃないし」

●無意識にそう考えたと?

「だから! 好きな服を着るのと一緒よ。他の人と同じように、私は自分の好きな髪型にしたいの。みんなすぐうわべで人を判断するのよね。私はいつも外見でグダグダ言われるのよ」

●だから坊主頭にしたんですか?

「いいえ。私はただ自分を曲げたくないだけよ」


 書き忘れていたが、シャーデー・アデュには実はアイルランド人の血が少し混じっている。彼女の母方の先祖(アデュの6代前)はアイルランド人だった。'11年5月25日のダブリン公演で、アデュは“私の祖父の高祖父はジャガイモ飢饉(19世紀半ば)の際、豚だけ連れて着の身着のままアイルランドから出た。だからこの国は私のルーツなの”という話をして観客を沸かせている。多分、シニードはこのことを知らない。




Sinead O'Connor──ありがとうの歌
続・シャーデーの白いドレスの行方
Sinead O'Connor──私を教会に連れてって

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