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The Nicholas Brothers (part 1)

DANCE TO JAZZ

Introducing great master hoofers
MAY DA BEAT BE WITH U!
NIcholas 1
The Nicholas Brothers
in the movie "Down Argentine Way" (1940)

 “ジャズで踊る”──シャーデーが登場した'80年代のロンドンのクラブ・シーンでは、いわゆるレア・グルーヴの見地から、ファンキーでソウルフルなモダン・ジャズやラテン・ジャズが盛んにプレイされ、後に“アシッド・ジャズ”と呼ばれるようになるムーヴメントの流れを生み出していた。踊れるネタとしてジャズの実用性がDJたちによって再発見されたのだ。
 しかし、もともとジャズは純粋音楽としてではなく、ダンス音楽として大衆性を獲得した音楽であり、ジャズで踊ること自体はもちろん新しいことでも何でもない。ロックンロールの登場以前、踊るとなれば人々はもっぱらジャズに合わせて踊っていた。

 ジャズがダンス音楽の王様だった頃、銀幕には大勢のダンサーたちが花形として登場した。例えば、優雅にステップを踏むフレッド・アステアや、体操のお兄さんのように跳ねまわるジーン・ケリーの姿は誰でも一度は目にしたことがあるだろう。
 しかし、彼ら白人スター・ダンサーたちの陰に、先に紹介したドロシー・ダンドリッジニーナ・メイ・マッキニーとも関係が深いニコラス兄弟を始め、驚異的な黒人ダンサーたちが存在していたことを忘れてはならない。

 彼らはミュージカル俳優として白人のようにまともなチャンスを与えられず、多くの場合、黒人向けの低予算映画や、白人メジャー映画の中でほんの数分登場することでしか、そのパフォーマンスを映像に記録することができなかった(白人映画で物語の本筋に関係なく登場して特別な芸を披露する彼らは、役名も台詞もなく、大抵“スペシャルティ”としてクレジットされた)。そうした映画の中には、残念ながら日本未公開作品や未ソフト化作品も少なくない。現在、彼ら優れた黒人ダンサーたちの存在が、必ずしも一般的に広く知られていないのは本当に残念なことだ。

 このブログでは“ジャズで踊る(Dance to Jazz)”という題目で、様々な映像を観賞しながら20世紀前半の輝かしい黒人ダンサーたちにスポットを当てていきたいと思う(無理矢理シャーデーから話を繋げているが、実はちっとも関係ない)。

 私はダンスに関してあなたほど詳しくないかもしれない。しかし、ここはひとつジェイムズ・ブラウン風に言ってみたい。彼らの踊りを見るまでは、何も見ていないのも同然なのだ、と。


NIcholas 2
The Nicholas Brothers

 Fayard Nicholas(10/20/1914~1/24/2006)とHarold Nicholas(3/27/1921~7/3/2000)の兄弟によるダンス・チーム。ボードビルのミュージシャンだった両親の下で育ち、姉妹のドロシー・ニコラスと3人で“ニコラス・キッズ”として'20年代末頃から舞台に立ち始める。程なくして兄弟コンビに落ち着き、抜群のリズム感が生み出すスピーディなタップ、“フラッシュ・アクト”とも呼ばれる、客の度肝を抜くアクロバティックなパフォーマンスで、'30~'40年代に多くの映画や舞台で大活躍した。

 立ち位置は原則的に、向かって右が兄フェイヤード、左が弟ハロルド(上の写真は'41年『銀嶺セレナーデ』撮影時のセットで、フライング・スプリットを決める兄弟)。踊りながら兄が弟をいじることも多く、漫才のキャラ的に言えば、ハロルドがボケ、フェイヤードがツッコミということになるかもしれない。ハロルドは、'30年代にレギュラー出演していたニューヨークのコットン・クラブで、'38年秋にドロシー・ダンドリッジと出会い、'42年9月に結婚('51年離婚)。一方、フェイヤードの最初の夫人ジェラルディンは、ダンドリッジの無二の親友でもあった。
 ダンドリッジの伝記映画『アカデミー 栄光と悲劇』を観た人は、家庭を顧みないハロルドにあまり良い印象を持たなかったかもしれない。しかし、それは飽くまでプライベートの話。彼らが見せる超人的なダンス芸には、僅か数分の映画出演でも、見事に映画全体をかっさらってしまうくらいの凄まじいマジックがある。白人ミュージカル・スター同様、歌や演技もこなすなど、芸風に幅があるのも特長。兄弟ならではの息のあったコンビネーションも素晴らしく、当時の黒人ダンス・アクトの中でも、その芸は群を抜いた完成度と華を誇る。踊る染之助・染太郎とでも呼びたくなる、まさに唯一無比の黄金タッグだ。


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PIE, PIE, BLACKBIRD (1932)
Directed: Roy Mack
Performance: Black Maria

 ニーナ・メイ・マッキニー、ユービー・ブレイク楽団と共演した10分の短編音楽映画。ニコラス兄弟がコットン・クラブにデビューした同年の作品で(撮影はブルックリン)、映画もこれが初出演となる。恐らく現存する最古のニコラス兄弟の映像。ダンスはもちろん、彼らの演技まで見られるのが嬉しい(生年から単純計算すると、フェイヤード18歳、ハロルド11歳の頃だが、3~4歳は幼く見える。彼らの公式生年は本当に正しいのか?)。
 台所でマッキニーがパイを作っているところへ兄弟がやってくる。“ニーナお姉ちゃん、なに作ってるの?”“黒人パイ(Blackbird Pie)よ”“え~、そんなパイないやい”といった会話があり、ニーナのパイ作りの歌が始まる。この映画で“黒人パイ”というのは、黒人音楽が飛び出す楽しいパイのこと。パイを模した巨大セットの中で、ユービー・ブレイク楽団とマッキニーによる演奏と歌が披露され、そのパイを台所のマッキニーと兄弟が眺めるという趣向。「Sing A Song Of Sixpence」の一節に引っ掛けた演出である(24羽の黒ツグミが生きたままパイの中に入れられて焼かれ、パイが切られると小鳥たちが歌い出すという詞を持つ有名なマザーグース)。ちなみに、表題はスタンダード「Bye Bye Blackbird」(1926)のもじり。
 “黒人パイ”の一連のパフォーマンス場面で、兄弟は楽団と同じくコック姿で一番最後に登場し、素晴らしいタップを披露する。後年にはあまり見られなくなる爪先を使ったステップが多用されているのが印象的。フェイヤードは脚を4の字に素早く交差する得意のステップや、兄弟のトレードマークでもあるスプリットをここで既にやっている。タップを踏むだけででなく、長い両手を使ったアクションでとにかく踊りが大きく見える。小さいハロルドもダイナミックな動きで見事な弾けぶり。また、ニコラス兄弟のダンス芸の大きな魅力のひとつとして、ハロルドが単独で踊っている時にフェイヤードが見せる手ぶりが挙げられるが、ここではその萌芽のような仕草を確認することもできる。まだまだ素朴だが、後の片鱗を十分に窺わせるパフォーマンスだ。最後はパイが焼け、楽団と兄弟が骸骨になってしまうという、マザーグース・ネタらしいいささかグロテスクなオチで映画は終わる(ドリフの爆発オチのように、全員真っ黒焦げになる方が日本人的には親しみやすいかも)。
 兄弟のダンスはもちろん、ユービー・ブレイクやマッキニーのパフォーマンスも貴重な上、素晴らしい。『ハレルヤ』とは全く印象が異なる、近所の優しいお姉ちゃん的なマッキニーのキャラも実にいい感じだ。見終わって思わず“おかわり!”と言いたくなる極上の名品。この短編はDVD『ハレルヤ』(特別版)に特典映像として収録されている。


Stoopnocracy
STOOPNOCRACY (1933)
Directed: Dave Fleischer
Performance: Minnie The Moocher

 ベティ・ブープで有名なフライシャー・スタジオ製作の〈Screen Songs〉の1本にハロルドが単独出演。〈Screen Songs〉というのは、アニメと音楽ヴィデオとカラオケをごちゃ混ぜにしたようなフライシャーの人気短編シリーズで、アニメの合間に当時のポピュラー・ソングが歌詞字幕と共に流れる。“バウンシング・ボール”と呼ばれる玉が、歌に合わせて字幕上を跳ねながら移動することで観客が一緒に歌える“シング・アロング”形式が売りだった。この歌部分で映像がアニメから実写に切り替わり、実際の歌手が歌う様子も見られた('40年代のサウンディに近い)。
 『Stoopnocracy』では、当時ラジオで活躍していたコメディ・コンビ、Stoopnagle & Budd が中盤の実写場面で登場する。記者役のバドがストゥープネイゲルのもとを訪れ、彼の最新の発明品について取材するというコントが繰り広げられるのだが、その発明品というのが、ビー玉遊びができる“球状サイコロ”(サイコロ模様の単なるビー玉)、“掃除不要灰皿”(扇風機がくっついていて灰を飛ばす)など、往年の『ドラえもん』の小ネタを思い出させるようなナンセンスな代物ばかり。その中のひとつに“クロスビー葉巻”なる発明品(吸うと誰でもビング・クロスビーのような声になる。どう見ても普通の葉巻)があり、これを吸ったバドがクロスビーの前年のヒット曲「Please」(映画『ラヂオは笑ふ』挿入歌)を歌うところでシング・アロング場面になる。煙を吐いて、おもむろに“ボボボボ~ン”と下手なクロスビー調で歌い出すところが可笑しい(ここで流れる「Please」は謎の音源。クロスビー本人の録音ではないと思うが、歌唱はよく似ていて、絶妙にインチキくさい。バド自身の物真似なのか?)。
 続いて“キャブ・キャロウェイ牛乳”なる発明(飲むと誰でもキャブのように歌える。どう見ても普通の牛乳)が紹介される。ここでハロルドが登場。赤ん坊の格好をしたハロルドが連れてこられ、哺乳瓶に入った牛乳を飲んだ途端、ゴキゲンに弾けて「Minnie The Moocher」を歌い出す(歌唱はハロルド自身による)。ここで再びシング・アロングになるのだが、サビのスキャット部分にもいちいち字幕が出るのが笑える。ストゥープネイゲルとバドも合いの手で参加し、最後は2人がキャロウェイ牛乳を哺乳瓶でグビグビ飲む場面で終わる。実にバカバカしい。
 この短編ではダンスはなく、ハロルドは歌うだけである。'30年代、キャブ・キャロウェイとニコラス兄弟は共にコットン・クラブの看板スターで、キャブの物真似はハロルドの十八番だった。彼が「Minnie The Moocher」を歌う両者の共演は、同クラブの大きな目玉のひとつでもあった。


EJ
THE EMPEROR JONES (1933)
Directed: Dudley Murphy
Performance: unidentified instrumental

 ポール・ロブソン主演、UA製作の映画『巨人ジョーンズ(The Emperor Jones)』にハロルドが単独で出演。映画序盤、主人公が訪れるニューヨークのナイトクラブ場面でタップを踏む姿が見られる。
 まず、トレーを皿回しのように指先でクルクル回す給仕が映り、彼を追って店内を撮しながらカメラが滑らかにパンしていくと、ちょこまかと踊りながらスプリットするハロルドが画面に現れる。“ちびっ子キャロウェイ”といった感じでバンド・リーダーに扮し、指揮棒を振りながら踊り子たちと軽快にタップ。彼の姿に寄った後、カメラが引き、場面はショウの様子を背景にして主人公たちの会話へ流れていく。ハロルドの出番は僅か1分弱で、ナイトクラブの光景の一部として登場するだけのごくあっさりしたものだ。もう少し彼のパフォーマンスをまともに見せてもらいたかったところではある。尚、この場面で使用されている名称不明インスト曲は、同年の4ヶ月前に公開されたワーナー映画『ゴールド・ディガース』主題歌「We're In The Money」に少し似ている。また、冒頭で見られるトレーを回す曲芸給仕は、同じくダドリー・マーフィ監督によるベッシー・スミス主演の名短編『St. Louis Blues』(1929)の酒場場面にも登場している。
 『巨人ジョーンズ』は、'20年に初演されたユージン・オニール作の同名舞台劇(『皇帝ジョーンズ』)の映画化。知恵者の黒人青年ジョーンズの成り上がりと転落を描いた物語で、社長、刑務所看守、商人の役で白人が数名登場する以外はすべて黒人キャスト。脚色は『ポギーとベス』の原作者として有名なデュボース・ヘイワードが担当しているが、映画としてはかなり貧弱な出来だ。ポール・ロブソンは'24年舞台版に引き続き主役を演じた。彼の歌声が聴けるセミ・ミュージカル的な場面もある。


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KID MILLIONS (1934)
Directed: Roy Del Ruth
Performance: I Want To Be A Minstrel Man / Mandy

 エディ・カンター主演、サミュエル・ゴールドウィン製作の映画『百万ドル小僧(Kid Millions)』に出演。コットン・クラブに来店したゴールドウィンが兄弟に目をつけ、出演を依頼した。考古学者の父親から莫大な遺産(シークの財宝)を相続することなったカンターと、その遺産を狙う連中が巻き起こす騒動を描いたミュージカル・コメディ。ニコラス兄弟の出番は映画中盤、主人公がニューヨークからエジプトへ向かう途中の船上音楽会の場面(約12分)で訪れる。
 まずはハロルドが単独で登場し、「I Want To Be A Minstrel Man」を歌う。フェイヤードは基本的にダンス専門で、ニコラス兄弟ではハロルドが主にヴォーカルを担当する。特に美声でも巧いわけでもないが、なかなか粋なヴォーカルを聴かせてくれる(彼は歌手としても作品をかなり残す)。'30年代はまだ変声期前で、小生意気なガキ声がいい感じだ。ここでは大勢のゴールドウィン・ガールズと共に愛嬌を振りまき、子役の強みを存分に発揮している(ちなみに、この曲には後に違う歌詞が付けられ、「You're All The World To Me」として、アステアが天井で踊る'51年の『恋愛準決勝戦 (Royal Wedding)』で再利用される)。
 次にカンターが得意の黒塗りで登場し、共演のエセル・マーマン、アン・サザーンと共に「Mandy」(I・バーリン作)を歌う。アン・サザーンとジョージ・マーフィによる「Your Head On My Shoulder」を挟んだ後、再び「Mandy」に戻り、カンターと共にニコラス兄弟が揃って登場。カンターを真ん中に3人が並び、それぞれ代わる代わるソロを回すが、カンターが踊ろうとする度に兄弟の一方が彼を止め、いつまで経ってもカンターが踊れないという演出が面白い。兄弟がようやくソロを振ると、カンターは後ずさりして退散、そこから兄弟2人だけのパフォーマンスが始まる。2年前の『Pie, Pie, Blackbird』と較べるとステップの切れが増し、2人とも明らかに上達しているのが分かる。まだそれぞれの個人技が中心のパフォーマンスだが、最後には2人揃った見事なスプリットも見られる。その後、ゴールドウィン・ガールズを伴った出演者たちが「Mandy」をワンフレーズずつ歌い継ぎ、締めをハロルドが歌ってフィナーレ。
 小さなハロルドの芸達者ぶりが印象的で、'30年代のニコラス兄弟は彼のキャラが大きな売りだったことが分かる(ハロルドにはこのミュージカル場面直前にもボーイ役として短い出番がある)。結果的にフェイヤードの影が薄くなっているのは残念だが、ダンス馬鹿の兄フェイヤード(アステア系)、多芸な人気者キャラの弟ハロルド(サミー・デイヴィスJr.系)、という両者の個性の違いはよく出ている。
 また、当時のハリウッド映画で、黒人である彼らが白人スターたちと対等に共演している点には、彼らの子役ならではの強みが感じられる。黒人客禁制のコットン・クラブで、客席に行って白人セレブたちと自由に会話することを許されたのも幼い彼らだけだったという。彼らは当時の白人中心のアメリカ社会で、ある意味、子供ながらに黒人社会を代表するような重要な役割を担っていたのである。


JB ST■フラッシュ・アクトの必殺技──スプリット

 ニコラス兄弟が得意とした“スプリット”という技について、ここで少し説明しておきたい。立った状態から前後開脚でストンと地面に落ち(厳密にはこの状態がスプリット、つまり“股割り”)、そこからヴィデオの逆回しのように両脚を閉じて元の立った状態に戻る。前後に180度の水平状態で開ききるフル・スプリット(ニコラス兄弟の場合はこれ)に対し、後ろ脚の膝を折り、完全に開脚しない簡易版を“ジャイヴ・スプリット”と呼んで区別することもある。同時代の黒人フラッシュ・アクトにとっては常識的な技で、ジェイムズ・ブラウン(写真)、プリンス、テレンス・トレント・ダービー、アッシャーといった後年のポピュラー音楽畑の黒人スターたちにも受け継がれているので、見たことのある人も多いはずだ。
 この必殺技を完成させたのはフェイヤード・ニコラスらしい。ボードビル芸人が地面に落ちてスプリットするのを見た8歳のフェイヤードは、これを更に発展させ、スプリット状態からそのまま逆に起き上がる連続技を思いついたという('98年2月4日に行われたJitterbuzz.comのインタヴュー)。また、別の取材では、ジャック・ウィガンズ Jack Wiggans というダンサーが、地面に落ちてそのまま起き上がるスプリットをやっているのを見て自分でもやり始めた、と答えている('88年6月4日に行われたラスティ・E・フランク著『Tap!』のインタヴュー)。誰がオリジネイターか、という話は、ダンスのステップに限らず、リズムやリフを巡ってもよくあることで、あまり拘っても意味がないことが多い。そうしたスタイルは、ある日突然、誰かによって始められるものではなく、複数の人間の創意工夫や偶然が重なって徐々に洗練され、完成されていくものだからだ。とはいえ、フェイヤードがスプリットという技を多くのダンサーに広めた最重要人物の一人であることに疑いの余地はない。彼はプロになる以前から、通りを歩きながら消火栓などを飛び越えてスプリットを決めていたという。
 私はプリンスのライヴ映画『サイン・オブ・ザ・タイムス』(1987)でこの技を初めて見て驚愕し、後にJBに溯り、その豪快なスプリットを見てぶっ飛ばされた(JBは起き上がり方が勢いまかせで強引なのだが、その破壊的なダイナミズムがまた魅力でもある)。そして、とどめが元祖のニコラス兄弟。JBこそ世界最強のダンサーであると信じて疑っていなかった私は、彼らの超人的なダンスを見て度肝を抜かれ、上には上がいるものだということを思い知らされた。もちろんJBは今も私のフェイヴァリット・ダンサーの一人であり続けているが、彼のソウルダンス、あるいは後のブレイクダンスのルーツとも言えるものが、20世紀前半の黒人ダンサーたちにあることを知り、私は目から鱗がボロボロと落ちた。黒人文化に少しでも興味がある今の若い世代の人たちには、是非とも彼らのダンスを見て欲しいと思う。



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AN ALL-COLORED VAUDEVILLE SHOW (1935)
Directed: Roy Mack
Performance: 2 unidentified instrumentals

 タイトル通り、黒人ボードビル舞台をそのまま映画にしたようなシンプルな短編作品。幕間には出演者名が書かれたカードを持った女性が現れ、次のアクトを紹介する。出演している全4組中、ニコラス兄弟は3番目に登場。
 ここでは'30年代の兄弟の粋で軽やかなタップがじっくり楽しめる。アクロバティックな大技はまだ出ないが、動きはダイナミックでシャープ、そして尚かつ、“単純、陽気、コミカル”といった黒人のステレオタイプには収まらない、非常に洗練された品が感じられる。黒人芸能には伝統的にアクの強い誇張された自己演出がよく見られるが、ニコラス兄弟はそうした方向性とも異なるスタイリッシュな雰囲気が持ち味だった('40年代初頭にズート・スーツが流行った時も、彼らはきちんとした礼服を着用した)。ここで見られるパフォーマンスも、そのスーツのドレープ同様、流れるようにスムーズで美しい。ユーモラスな動きも多く、ハロルドがフェイヤードに指で頭を押さえられてクルクル回るなど、絡み方、芸の見せ方もかなり工夫されるようになった。最後は2人揃ってきれいにスプリット。互いに向き合ってピョンピョン跳ねた後、片脚を大きく振り上げて逆向きに落ちるフェイヤードが見事だ。
 他の出演者は登場順に、The 3 Whippets、Adelaide Hall、Five Racketeers and Eunice Wilson。3ウィペッツは3人組のアクロバット・チームで、コック姿で忙しなく体操選手のように動き回り、バック転、宙返り、連続側転、逆立ち、椅子を使ったスプリットなどを次々と見せる(全体的に取り留めがなく、芸の完成度はニコラス兄弟とは較べようもない)。アデレード・ホールは'30年代後半に渡英して大成するブルックリン出身の歌手で、ここでは歌とタップを披露。最後のユーニス・ウィルソンとファイヴ・ラケッティアーズが見もので、まずウィルソンが歌った後、バックを務めているラケッティアーズが「Tiger Rag」を単独で高速演奏。ギター4人+ドラム1人という編成のグループで、腿の下にネックを通して片脚ケンケン状態でギターを弾いたり(プリンスもバンドにやらせていた)、ドラマーがキットを離れて壁やら床をスティックで叩いて回ったりと、実に豪快。当時の黒人芸能の底知れないパワーが垣間見られる貴重な作品だ。この短編は米DVD『The Green Pastures(緑の牧場)』に特典映像として収録されている。


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THE BIG BROADCAST OF 1936 (1935)
Directed: Norman Taurog
Performance: Miss Brown To You / Why Dream

 ジャック・オーキー主演のパラマウント映画『1936年の大放送(The Big Broadcast Of 1936)』に出演。"Big Broadcast" は、"Broadway Melody"(MGM)、"Gold Diggers"(ワーナー)、"Hit Parade"(リパブリック)と並ぶ'30~'40年代ハリウッド・ミュージカルの人気シリーズのひとつで、本作はビング・クロスビー主演の『ラヂオは笑ふ(The Big Broadcast)』(1932)に続くシリーズ第二弾。潰れかけた弱小ラジオ局を舞台にしたコメディで、ニコラス兄弟はその局の番組出演者/従業員として登場する。物語の進行に絡むまともな役で、ダンスや歌はもちろん、芝居でも大活躍。私の知る限り、彼らの出演映画の中でここまでの大役は他に例がない。兄弟は映画の前半で活躍し、大きく分けて登場場面が3つある。
 まず、映画が始まってすぐ、タップ講座番組の放送という設定でいきなり彼らのパフォーマンスが飛び出す。軽い前口上に続けて、半ズボン・スーツ姿のハロルドがレイ・ノーブル楽団の「Miss Brown To You」に乗せてソロでタップ。裏拍を爪先で踏んでドライヴ感溢れるステップを披露(一方、フェイヤードは後方のドラム・セットに座り、適当に叩く真似をしている)。
 そこから映像は、このラジオ放送が流れている黒人街の床屋に移り、散髪を済ませたビル・ロビンソンのダンス場面へ繋がる。床屋を出て街を歩きながら陽気にタップするロビンソン。通行人たちがどんどん彼の後ろに続き、終いには道路の真ん中のお立ち台で踊る彼を人々が取り巻き、ダンシング・イン・ザ・ストリート状態になる(ちなみに、この群衆場面の中には、当時13才で映画初出演のドロシー・ダンドリッジがダンドリッジ・シスターズの一人として登場している)。
 場面は再び放送局に戻り、今度は兄弟揃ってのタップ。まず2人一緒に踊ってから、フェイヤード、ハロルドの順にソロを回す。これが凄まじい。トリッキーなステップを恐ろしいスピードで踏むフェイヤード。BPM200くらいのテンポを三連符で踏みまくる上、爪先やハンドクラップを混ぜたシンコペーションが鬼のようで、唖然とさせられる。常人にはちょっとついていけないリズム感だ(ニコラス兄弟の父親はボードビルの楽団ドラマーだったというが、実際、彼はドラムを叩いても一流になれたかもしれない)。脚だけでなく、両手を大きく振りながら身体全体で踊っていて、ほとんどヴィデオの早送り状態の動きをしているのだが、表情は飽くまでにこやか。この時点で既に達人の域である。次のハロルドも凄い。同じく爪先でアクセントを入れながら切れたステップを踏み、最後は前方転回からそのままスプリットという大技を見せる(このアクロバットは'40年の『遥かなるアルゼンチン』でも見られるが、そこでは前方転回が限りなく前方宙返りに近づいている)。'30年代の彼らのダンス映像の中ではこれが最もアグレッシヴか。この場面の直後には、ハロルドのスプリットも飛び出すジャック・オーキーとの軽い絡みもある。初っ端から大活躍のニコラス兄弟。彼らはこの映画の重要なツカミ役でもあるのだ。
 次に、ラジオ局の看板番組〈The Great Lover〉の放送場面で、ニコラス兄弟が助手として活躍。甘い文句と歌で語りかけて女性リスナーの擬似恋人になるという趣向の番組で、社長のオーキーが詩の朗読、その相棒のヘンリー・ワッズワースが歌を担当する(番組的には一人の男が喋って歌っていることになっている)。兄弟は、オーキーの喋りに合わせて効果音を入れる係。2人ともやりすぎで、これが笑いを誘う。特に、拍手マシーン(ハンドルを回すと、先端が手の形をしているたくさんの棒がぶつかり合って拍手音が出るヘンテコな人力機械)を動かすフェイヤードが最高で、夢中で機械を動かし続けて一向に拍手が鳴りやまないため、いつまで経ってもオーキーが喋り出せず、いい加減にしろ、と水をかけられるギャグが可笑しい(この映画の兄弟は、まるで『21エモン』のゴンスケとモンガーのようだ)。ここでフェイヤードは鍵盤で伴奏役も担当。実際に弾いているわけではないが、兄弟の母親がボードビル楽団のピアノ奏者だったことを踏まえると面白い。先のダンス場面のドラマー役と併せ、この映画でフェイヤードは両親の楽器を両方とも担当しているのだ。
 3つめの活躍場面は、オーキーとワッズワースが放送局を兄弟に任せて出掛けてしまった後、〈The Great Lover〉の放送時間になり、帰って来ない主人たちの穴を埋めるために2人が奮闘する場面(この放送局には従業員が4人しかいないのだ)。ハロルドが原稿を読みながら詩を朗読するが、つっかえつっかえで上手くいかない。とにかく歌って誤魔化せ、ということになり、同番組でワッズワースが歌っていた甘口バラード「Why Dream」を歌い始める。しかし、伴奏役のフェイヤードがこれをピアノでスウィング調にアレンジしてしまう。ルイ・アームストロングばりのスキャットを交えながらノリノリで歌うハロルド。黒人女性リスナーには受けて、結果オーライという運びになる。
 オーキーとワッズワースは放送局を出たまま変人の女伯爵に拉致され、映画後半では話の舞台が遠くの孤島へ飛んでしまうため、ニコラス兄弟の出番はほとんどなくなる。また、この映画には、テレビによく似た "Radio Eye" なる発明品(SF的な映像・音声受信機)が重要な小道具として登場し、そのモニターを介して、ビング・クロスビー、エセル・マーマンなど、様々な歌手や喜劇役者が次々とスペシャルティ的に登場する。はっきり言って無茶苦茶な映画なのだが、ニコラス兄弟のファンはとにかく必見。彼らの多芸ぶり、キャラの素晴らしさが満喫できる指折りの逸品だ。


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The Nicholas Bros meet Astaire at the RKO studio (1935)
Archival silent footage shot by Viola Nicholas

 これは映像作品ではなく単なる断片的な記録映像だが、重要なので紹介する。上記『1936年の大放送』撮影のためにハリウッド入りした際、ニコラス兄弟はエド・サリヴァンの紹介でフレッド・アステアに初めて面会している。その時、アステアはRKOのスタジオで『トップ・ハット』のタップ音を録音しているところだった。スタジオでアステアのダビング作業を見学した後、兄弟は彼に対面し、自ら申し出てスタジオの外で一緒にタイム・ステップ(タップの基本ステップ)を踊った。同伴していた兄弟の母親が、なんとその時の様子を映像に収めているのだ。
 ニコラス兄弟のA&Eバイオグラフィ『Flying High』(1999)の中で、その貴重なサイレント・フィルムの一部を見ることができる。場所はRKOの敷地内。単独で踊るアステアの姿(軽く踊っているだけなのだが、凄まじくカッコいい)に続いて、3人が一緒に踊る様子、踊り終えて兄弟が感激してアステアに握手を求める様子が見られる(フェイヤード曰く、アステアに踊りを教える兄弟、というユーモラスな演出で撮影されたということだが、特にそれらしき様子は確認できない)。いかにも初対面らしい空気も感じられるが、アステアはサービス精神旺盛で、終始ゴキゲンな様子。短い記録映像からも気さくな人柄がよく伝わってくる。フェイヤードはさすがにかなり舞い上がっているようで微笑ましい。背後に映り込んでいるスタジオ関係者が3人にまるで興味を示さず、普通に通り過ぎているのも凄いと言えば凄い。当時の映画スタジオ内の何気ない光景も、今では立派な歴史的瞬間。ちなみに、フェイヤードの回想によると、この対面時、ジンジャー・ロジャースと踊る彼の姿を映画で観て感動したことを伝えると、アステアはただ“ふむふむ”と頷くだけで、ロジャースとのコンビ、ダンサーとしての彼女については何も語ろうとしなかったという。
 母親によって映像は撮影されたが、両者が初めて一緒に写真に収まったのは、それから何年も後のことだった。“やっと兄弟と写れた!”とアステアは大はしゃぎで、撮影した新聞社カメラマンに写真のコピーをくれと頼んだそうだ(フランク著『Tap!』)。一緒にダンスのポーズを取って写っているらしいが、私は見たことがない。


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DON'T GAMBLE WITH LOVE (1936)
Directed: Dudley Murphy
Performance: unidentified instrumental

 アン・サザーン、ブルース・キャボット主演のコロムビア映画『Don't Gamble With Love』にスペシャルティで出演。賭博場の経営を巡ってキャボットとサザーン演じる若夫婦が繰り広げる離反と和解の物語。ニコラス兄弟は映画中盤、サザーンが男友達と訪れるナイトクラブでダンスを披露している。
 同じくダドリー・マーフィ監督による『巨人ジョーンズ』のハロルドの出演場面同様、基本的にナイトクラブの風景を演出するための起用で、彼らのパフォーマンスがミュージカル場面としてきっちりフィーチャーされているというわけではない。撮り方が完全に非ミュージカル的で、遠くからぼんやり眺めているようなショットの合間に、客席にいるサザーンと友人の表情がカットバックで挿入される。普通の劇映画なので仕方ないが、時間も2分弱程度と短く、はっきり言って見応えには欠ける。
 パフォーマンスそのものは、'30年代の彼らの標準的ルーティンが割とリラックスしたムードで披露されている。まず2人で踊ってから、ハロルド、フェイヤードの順にソロを回し、再び一緒に踊った後、腕を組んで決めのポーズ。ハロルドのソロはかなり長めに時間が割かれ、素早くロールを踏んだりして見せ場を作る。フェイヤードは腰に手を当てながら片足のボール部分(足の裏の前部分)で連打するビル・ロビンソン風のステップを披露しているのが珍しい。決め決めのルーティンではない即興的な乗りが面白いが、ハードコア・ファン向けの映像と言っておきたい。
 尚、このダンス場面は同じくブルース・キャボット主演、コロムビア製作による'39年の映画『My Son Is Guilty』で使い回されている(後述)。


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THE BLACK NETWORK (1936)
Directed: Roy Mack
Performance: Lucky Numbers

 ニーナ・メイ・マッキニー主演の短編に出演。黒人ラジオ放送局を舞台にしたコメディ音楽映画で、先述した“大放送(Big Broadcast)”シリーズの黒人版といった趣の作品。ここでニコラス兄弟はナンバーズ宝クジ売りの役で登場する。大人たちにクジを売って回り(この当選結果が物語の結末に絡む)、ここでも演技、歌、ダンスと大活躍。見せ場は映画後半、素人演芸番組を放送中のスタジオに兄弟が現れ、番組に飛び入り参加して宝クジの歌「Lucky Numbers」を歌い踊る場面。
 まずは漫才コンビのような掛け合いで軽妙な歌のパフォーマンス。後半のタップは派手な技こそ見せないが、とにかくノリノリでゴキゲン。“粋”という点ではこの作品が一番かもしれない。『Un All-Colored Vaudeville Show』でもやっていた、フェイヤードがハロルドをクルクル回すパフォーマンスが形を変えて出てくるのも面白い。ニコラス兄弟のダンス芸の醍醐味のひとつである、兄の弟いじりが着実に磨かれているのが分かる(このコンビネーションの極みは4年後の『遥かなるアルゼンチン』で見られる)。締めは、立った状態で左右開脚してスライドで閉じるステップの連発。これも兄弟がよくやる技で、スプリットほど派手ではないが、実にカッコいい。JBもたまにやっていたが、こうも軽々と連発されると言葉を失う。彼らの持ち味が遺憾なく発揮された名ルーティンで、'30年代の決定的代表作と言っていいだろう。
 また、兄弟がスタジオに現れてすぐ、ハロルドが番組審査員の鳴らす銅鑼のスティックで間違って頭を叩かれるという古典的なギャグが出てくるのだが、その時のハロルドのリアクションが大変良い。キャラが生きたこういう場面を見ると、スペシャルティ枠でしか映画出演できず、まともな芝居の機会が与えられなかったことが本当に悔やまれる。
 マッキニー、エメット・ウォレス(『ストーミー・ウェザー』『The Devil's Daughter』)が番組の看板歌手役でヴォーカルを披露する他、ウォッシュボード・セレネーダーズの演奏(カズーや洗濯板を使ったジャグ演奏で「Black Eyes」「St. Louis Blues」を披露。熱い!)、アマンダ・ランドルフによる“お粗末な”歌も楽しい名作。この短編もDVD『ハレルヤ』(特別版)に特典映像として収録されている。


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CALLING ALL STARS (1937)
Directed: Herbert Smith
Performance: Zaz Zuh Zaz / unidentified instrumental

 アンブローズ楽団、イヴリン・ダールら出演のイギリス映画『Calling All Stars』に出演。特に物語らしい物語はなく、次から次へと様々な歌手、楽団、ダンスチームなどが登場するレヴュー形式の映画。一応、レコード会社が“Calling All Stars”というタイトルのレコードを制作する、というコンセプトで映画が展開する。この中にコットン・クラブを舞台にした一幕があり(実際のコットン・クラブではないが)、登場順に、ターナー・レイトン、バック&バブルズ、エリザベス・ウェルチ、ニコラス兄弟の4組のパフォーマンスがフィーチャーされる。
 ニコラス兄弟はタキシード姿で登場し、2曲を披露している。ひとつは、キャブ・キャロウェイの「Zaz Zuh Zaz」。片腕を引きずるようにして歩く独特の“キャロウェイ歩き”(正式名称不明)で2人がステージに登場し、ハロルドがキャブの物真似で歌う。サビ部分ではスキャットでバンドと掛け合い。表情まで滑稽に真似ていて、ここでも得意の“ちびっ子キャロウェイ”ぶりを発揮している。もう1曲は、『Un All-Colored Vaudeville Show』でも使われていた名称不明インスト曲。同短編や『The Black Network』と酷似したルーティンが見られる。フィニッシュは2人揃ってのスプリットだ。
 ちなみに、バック&バブルズ(ピアノとタップの有名コンビ)は「The Rhythm's OK In Harlem」という曲を歌っているが、残念ながらバブルズのダンスはなし。

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ニコラス兄弟らが出演するコットン・クラブ場面

 コットン・クラブのシークエンスは恐らくもともと別に制作された短編で、それを映画の中盤に無理やり挿入したと思われる(“Harlem Holiday”という作品名がコットン・クラブ場面の冒頭にそのまま表示される)。そのため、映画のオープニング・クレジットや、狂言回し役のレコード会社役員が出演者名を列挙するエンディング場面にニコラス兄弟らコットン・クラブ場面の主演者は出てこない。かなりいい加減な作りの映画だ。IMDbでは75分の映画とされているが、私が入手したブートレグ版では49分だった。


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MY SON IS GUILTY (1939)
Directed: Charles Barton
Performance: unidentified instrumental

 ブルース・キャボット、ハリー・ケリー主演のコロムビア映画『My Son Is Guilty』にスペシャルティで出演。マンハッタンを舞台に、善良なベテラン老警察官(ケリー)と、犯罪に手を染める息子(キャボット)の悲劇を描いた低予算の犯罪サスペンス。映画序盤、キャボットが女友達と訪れるナイトクラブ場面でニコラス兄弟が登場する。
 この映画の兄弟のダンス場面は、先述した'36年のコロムビア映画『Don't Gamble With Love』からの使い回しである。客席で兄弟のダンスを眺める主人公たちのカットが差し替えられている以外、基本的に同じ。元の『Don't Gamble~』でダンスを眺めているのはアン・サザーンとその男友達役のイアン・キースという役者で、彼らが映る際、(ハロルドを見ながら)“可愛いわね”“最高だね”などという台詞が入るのだが、音声もそのまま使い回しているため、『My Son Is Guilty』ではその箇所のみ映像と台詞が合っていない。
 ニコラス兄弟ファンは『Don't Gamble~』さえ見ればこの『My Son Is Guilty』は必要ないのだが、細かいことを言うと、『My Son Is Guilty』には『Don't Gamble~』にはない、パフォーマンス後に兄弟がお辞儀をして立ち去るカットが入っている(単に私の入手した『Don't Gamble~』ではフィルムが飛んでいる可能性もあるが)。


Jealousy
幻の出演作『Jealousy』(1934)の一場面?

 複数のフィルモグラフィ資料を参照すると、ニコラス兄弟の'30年代の出演映画には、他に『Jealousy』(1934/コロムビア)、『Coronado』(1935/パラマウント)、『My American Wife』(1936/ パラマウント)という3本があるらしいことが分かる。このうち、私は『My American Wife』を実際に見てみたが、少なくとも私の入手した画質劣悪なブートレグ版に関してはニコラス兄弟は出ていなかった。また、未確認ではあるが、『Coronado』のブートレグを所有している人物が、ニコラス兄弟は出演していない、と書いているのをネット上で見かけたこともある。
 『Jealousy』に関しては、IMDbを参照する限り、ニコラス兄弟のクレジットはあるものの、“出演場面削除”とされている。そこで注目したいのが上掲の写真。この宣材スチールは、ニコラス兄弟の伝記本『Brotherhood In Rhythm』(コンスタンス・ヴァリス・ヒル著/2000)内で、“『Jealousy』のナイトクラブ場面”として紹介されているものだが(著者自身、実際の映像は未見)、よく見ると『Don't Gamble With Love』と全く同じセットと衣裳なのである。しかし、『Don't Gamble~』に黒いドレスの黒人コーラス・ガールたちが登場するこのような場面はない。となると、『My Son Is Guilty』(1939)で使い回された『Don't Gamble~』(1936)のダンス場面自体、同じコロムビア製作『Jealousy』(1934)でボツにされたパフォーマンス場面の一部を使い回したものである可能性が出てくる。いずれにせよ、公開時に削除された場面である以上、真相を知るにはコロムビアのフィルム倉庫に潜入するしか手はない。コーラス・ガールたちが登場する場面を含む全長版フィルムが倉庫のどこかに眠っていることを願う。

Blackbirds 1936
レヴュー舞台『Blackbirds Of 1936』出演時の宣材写真
舞台出演に関しては断片的なサイレント記録映像がかなり残されている


 以上が'30年代のニコラス兄弟。なにやら話が異様にマニアックになっているが、とにかく実際の映像を見てぶっ飛んでもらいたい。ジャリタレ時代も十分に凄い彼らだが、しかし、まだまだ序の口である。お楽しみはこれからだ!


The Nicholas Brothers (part 1)──'30年代(子供スター時代)
The Nicholas Brothers (part 2)──'40~43年(20世紀フォックス時代)
The Nicholas Brothers (part 3)──'44~56年(アメリカ~ヨーロッパ時代)
The Nicholas Brothers (part 4)──'50~70年代(テレビスター時代)
The Nicholas Brothers (part 5)──'80年代以降(再評価時代)
The Nicholas Brothers (part 6)──'90年代TVドキュメンタリー
The Nicholas Sisters

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