2017 09123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 11

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

Live Aid [July 1985]


LIVE AID
Broadcast: 13 July 1985 (Global)
Venue: Wembly Stadium, London, UK
Performance: Why Can't We Live Together / Your Love Is King / Is It A Crime
Personnel: Sade Adu (vocals), Stuart Matthewman (sax, guitar), Paul S Denman (bass), Andrew Hale (keyboards), Martin Ditcham (percussion), Dave Early (drums), Gordon Matthewman (trumpet), Jake Jacas (trombone), Gordon Hunte (guitar)

 '12年7月、オリンピックの開催で世界の注目を集めるイギリス、ロンドン。この街は27年前の7月も同じように全世界の注目を集めた。'85年7月13日(土)、場所はウェンブリー・スタジアム。衛星中継を通して世界中の人々が見守ったのはサッカーの試合ではなく、音楽コンサートだった。史上空前規模のチャリティ音楽イベント、ライヴ・エイドである。その日、シャーデーもウェンブリー・スタジアムのステージに立ち、世界の人々に向けて演奏した。


Live_Aid2.jpg
ウェンブリー・スタジアムを埋め尽くした7万2千人の大観衆

 ライヴ・エイドは、エチオピアの飢餓救済を目的とした20世紀最大のチャリティ・コンサート。同様の趣旨でイギリスのアーティストたちが集結したチャリティ・シングル録音プロジェクト、バンド・エイド(「Do They Know It's Christmas?」/'84年11月25日録音、同年11月29日発売)が、そのアメリカ版のUSA・フォー・アフリカ(「We Are The World」/'85年1月28日録音、同年3月7日発売)を経て発展したコンサート版である。発起人のボブ・ゲルドフの提唱に賛同したミュージシャンたちが多数参加し、'85年7月13日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムとフィラデルフィアのJFKスタジアムの2会場で同時開催された。16時間に及ぶコンサートの模様は世界中に衛星生中継され、約20億人が視聴したと言われる。ライヴ・エイドは最終的に1億5千万ポンドの収益を上げ、後に様々な大型チャリティ音楽イベントが行われる大きなきっかけにもなった。

 コンサートはイギリス現地時間の7月13日12時00分、ウェンブリー・スタジアムにチャールズ皇太子とダイアナ妃を迎えた後、ステイタス・クオーのパフォーマンスでスタート。5時間の時差があるJFKスタジアムでは少し遅れてイギリス時間13時51分(アメリカ現地時間同日8時51分)にコンサートがスタートし、テレビ中継では途中からロンドンとフィラデルフィアの両会場の模様が交互に放映された。ウェンブリーでのコンサートはイギリス時間22時(アメリカ時間17時)に「Do They Know It's Christmas?」で終了。JFKでのコンサートはイギリス時間14日4時5分(アメリカ時間13日23時5分)に「We Are The World」で終了。ウェンブリーで始まりJFKで終わるまで16時間。ウェンブリーでの10時間+JFKでの14時間強、合わせて正味24時間強のコンサートだった。


Live_Aid3.jpg
Live_Aid4.jpg
Live_Aid5.jpg
Live_Aid6.jpg

 当時、シャーデーは『PROMISE』('85年11月16日発売)制作のため目立った活動はしていなかったが、アメリカでは'85年に入って人気に火が点いたため、ライヴ・エイドの開催時、彼らは非常に注目度の高い旬なグループだった(アメリカでは'85年春に「Smooth Operator」がヒットし、6月22日に「Your Love Is King」がシングル発売されたばかり)。イギリス現地時間の14時53分、シャーデーは9番目の出演者としてウェンブリーの7万2千人の大観衆の前に現れ、3曲を演奏した。

 バンドは『PROMISE』ツアー('85年11月〜'86年7月)のメンバーからリロイ・オズボーンを抜いた全9名。1曲目は当時のツアーでも必ず冒頭に演奏されていたティミー・トーマスのカヴァー「Why Can't We Live Together」。人類の共存を訴えるストレートなメッセージ・ソングはライヴ・エイドのステージにいかにも相応しい。アデュは『PROMISE』期の定番衣裳であるボレロを着て熱っぽく歌う(ライヴ・エイドの情報アーカイヴ、The definitive LIVE AID siteによると、「Why Can't We Live Together」の演奏時間は5分35秒となっているが、実際に映像で確認する限り、2分ちょっとの短縮版での演奏である)。

 2曲目はシャーデーにとって(当時も現在も)イギリスでの最大のヒット曲である「Your Love Is King」。アデュのスモーキーな歌声と微笑がひたすら麗しい。間奏のサックス・ソロの直前、アデュがそれまで着ていた黒いボレロを脱ぐと会場から歓声が上がる。後ろを向いて観客に背を向けると更に大歓声が。彼女が中に着ていた白いタートルネックのボディコン・カットソーは背中全体が丸ごと開いていたのだ。もちろん、ノーギャラでノーブラだ。この瞬間、アデュの美しい褐色の背中に世界中の男たちがどよめいた(笑)。'04年発売のライヴ・エイド4枚組DVDにはこの曲のみ収録されている。

 3曲目はまだレコードが発売されていなかった「Is It A Crime」。ライヴでは'84年から披露されていたが(初演は'84年7月30日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール公演)、世界のほとんどの人はライヴ・エイドで初めてこの曲を聴いたことになる。「Smooth Operator」ではなく、敢えてこの新曲を披露したところが偉い(いくらヒット曲でも、スケこましの歌はライヴ・エイドにはさすがに場違いである)。ゴードン・マシューマンのトランペット・ソロがオフ気味でよく聞こえないのがちょっと残念。最後の締め部分(“criiiiiime”)では、頭で思い切り音を外した後、キーを探しながら最後にどうにか不時着するというアデュらしいスリリングな歌唱も聴ける。演奏が基本的に'11年ツアーと変わらないというのも凄いと言えば凄い。最大の見所は、やはり背中だろうか。終盤の1小節半のブレイクの際、アデュが観衆に背を向けて両手を広げる瞬間(上掲の一番最後の画像)は、このライヴ出演の最大のハイライトと言ってもいい。この神々しい後姿をステージ正面から捉えたモノクロ写真(Andrew Catlin撮影)は、数あるシャーデーの写真の中でも屈指の名ショットである('93年ツアーのパンフレット裏表紙にも使われた)。

Live_Aid7.jpg

 アデュの生背中が強く印象に残るパフォーマンス。クイーンやU2の熱演が語り草になっているライヴ・エイドだが、全出演者中、最も色っぽかったのは間違いなくシャーデーである。

 また、シャーデーはウェンブリー・スタジアム出演者の中で唯一のアフリカ系アーティストという点でも異彩を放っていた(スタイル・カウンシルのディー・C・リー、スティングと一緒に出演したブランフォード・マルサリスなどのサポート・メンバーを除く)。JFKスタジアムのアメリカ側では、フォー・トップス、ビリー・オーシャン、ランDMC(これがスゴい。残念ながらテレビ中継されなかったが、されていれば彼らのパフォーマンスは世界に衝撃を与えたはず)、アシュフォード&シンプソン、テディ・ペンダーグラス、パティ・ラベル、デヴィッド・ラフィン&エディ・ケンドリックス、ティナ・ターナーなどが出演したが、全体的にライヴ・エイドは黒人アーティストの出演者が少なかった。これは白人アーティスト主導の当時の音楽市場を反映した結果であり、この点に関して主催者のボブ・ゲルドフは非常に明解な釈明をしている。

「ライヴ・エイドの目的は金集めだ。レコードを百万枚売っているバンドが出れば、千枚売っているバンドが出るよりも多くの人が見る。寄付金が集まるほど、より多くの命が助かる。スティール・パルスとワム!のどちらかを出演させるとしたら、ワム!を選ぶということさ」

 とはいえ、アフリカ難民の飢餓救済を訴えるコンサートでアフリカ系の歌手が活躍しないのはやはりおかしな話である。ウェンブリーで唯一アフリカ系アーティストとしてステージに立ったシャーデー(・アデュ)は、コンサート序盤の僅か15分足らずの出演ではあったが、果たした役割はそれ以上に大きかったと思う。


THE・地球・CONCERT──ある主婦の感想

Live_Aid8.jpg

 ライヴ・エイドは日本でも放映された。'85年7月13日(土)21時から14日(日)12時まで、フジテレビにて『THE・地球・CONCERT〜LIVE AID』の番組名で15時間にわたって生放送されている。ウェンブリーでコンサートが始まったイギリス現地時間(夏時間)7月13日12時は、日本では同日20時に当たる。日本では1時間遅れで放送が始まり、JFKでフィナーレの「We Are The World」が歌われている最中に番組が終了したことになる(「We Are The World」が終わったのは日本時間14日12時5分。その時、フジテレビでは既に『クイズ・ドレミファドン!』の放送が始まっていた)。

 日本でのライヴ・エイド中継が散々だったことは有名である。日本では海外からの衛星中継と合わせて、独自に日本人アーティストのパフォーマンス映像が流された。番組を担当したフジテレビのプロデューサー石田弘によると、寄付金をできるだけ多く集めるため、国内アーティストの影響力が強い国では独自にライヴ・イベントを行い、それをロンドンとフィラデルフィアの映像と混ぜて放映するべし、というのがライヴ・エイド事務局からの絶対的な要請だったらしい(『ライヴ・エイドの軌跡』/宝島社/2005)。日本では独自のイベントを準備する暇もなく、代わりに事前収録された国内アーティスト約20組(と石田氏は回想している)のパフォーマンス映像が放映された。そのうちの4組(オフコース、矢沢永吉、ラウドネス、佐野元春)の映像は海外でも紹介されている(ライヴ・エイドは、英米2つのメイン会場のライヴ・パフォーマンスの合間に、オーストラリア、オーストリア、オランダ、ロシア、ドイツなど各国の映像も世界中に中継していた)。しかし、日本人アーティストの映像に対し、海外アーティストだけを見たい洋楽ファンからは抗議が殺到。海外から送られてくる英米2会場のライヴ映像、国内アーティストの録画映像、逸見政孝が司会を務めるフジテレビ・スタジオ(南こうせつらとのトーク)の連携が上手くとれない上、衛星中継の不具合、パフォーマンス中の唐突なCM、要領を得ない同時通訳などで番組は混乱を極めたようだ。“アフリカの飢餓救済”というイベントの趣旨も、対岸の火事を眺めるようなある種のしらけムードの中で有耶無耶になったことは想像に難くない。

 録画ライヴ映像で出演し、当日、フジテレビのスタジオにも招かれた佐野元春は、後にインタヴューでこの番組を次のように振り返っている。

──あの時のテレビ番組の印象は?

「僕の記憶では、本番当日に生出演の依頼があって……」

──本番当日、ですか?

「うん。だから僕はフジテレビのスタジオに行きました。で、出番を待ちながら司会者やゲストたちの発言を聞いていたのだけれど、そこではライヴ・エイドの本来の趣旨とはまったく関係のない話が続いていた。あまりにもくだらない与太話がずっと繰り返されていたので、僕は呆れ返って途中で帰っちゃったんだ」

──若き佐野元春らしい行動ですね。

「そうだね。だから僕は日本版ライヴ・エイドに“参加”したんじゃない。僕はただ“反応”したんだ。あの番組は残念ながら的を射ていなかった。でも、ボブ・ゲルドフ氏が提唱したライヴ・エイドそのものは画期的で有意義なイベントだった」(『ライヴ・エイドの軌跡』/宝島社/2005)


 私自身は『THE・地球・CONCERT』の放送をリアルタイムで見ていない。ちょっとは見たのかもしれないが、全く記憶にない。その頃、私は親の影響で洋楽にはそれなりに親しんでいたが、単なるマイケル・ジャクソン好きの坊やに過ぎなかったため、少なくとも自発的にテレビ中継を見ていなかったのは確かである。なので、残念ながらこのイベントに関して何の体験談も書くことができない。

 代わりに、日本でこのテレビ中継を見ていたある主婦の感想を紹介することにしたい。'85年当時、彼女はシャーデー・アデュと同じ26歳だった。ある主婦とは、その5年前まで“山口百恵”という名前で芸能活動をしていた三浦百恵さんである。

 '85年6月に創刊された写真週刊誌Emma(閻魔/'87年廃刊)で、彼女は一時期、本名の三浦百恵名義で“窓に吹く風”というタイトルの連載エッセイを執筆していたことがある(彼女は引退後も時折作詞をしたり、雑誌のインタヴューに応じるなど、自分のプライバシーを巡る一連の過剰報道に業を煮やすまで、しばらくはマスメディアとある程度の関わりを持っていた)。同誌'85年8月25日号に掲載された連載第5回で、彼女は“息子のライバルはテレビ”と題して、自分の幼少時のテレビ体験の記憶、子育てとテレビの影響力の関係について書いた後、『THE・地球・CONCERT』についての雑感を書いている。彼女の文章は、このテレビ番組に対する(一部の洋楽マニアを除く)当時の一般視聴者の感慨を代弁しているように思われる。'11年の東日本大震災時、結局、僅かな募金と祈ることくらいしかできなかった私たちの多くと同じようなことを(それほど切実にではないにせよ)恐らく当時の人たちも思ったはずなのである。少し長くなるが、ライヴ・エイドに関する彼女の記述部分を以下にノーカットで引用する。

Live_Aid9.jpg

「七月十三日、四日、地球コンサートのテレビ中継を見た。
 見たといっても、前半四時間と後半の四時間くらいで、深夜から朝方にかけての中継は、ビデオにとって寝てしまったという状態なので胸をはって感想を言える立場でもないのだが、あえて印象を言うならば、私の中ではどこか物足りなさの残る地球コンサートだった。
 アメリカとイギリスで行なわれたアフリカ救済のためのコンサートを、つぶさにテレビ中継はしていたが、そこに日本が一緒に参加しているようには、どうしても思えなかった。
 以前から日本の中でもさまざまな形でアフリカ救済のための活動があった。
 募金はもちろん、衣類や毛布をアフリカへ送ろうという活動のことも耳にしていた。
 アフリカに毛布を送ろうと全国に呼びかけたところ、たくさんの毛布が送られてきたというニュースがテレビから流れ、画面には山積みされた毛布が映し出されていた。
 男性のニュースキャスターは、“自分の家でいらなくなったから送ってしまおうというのは嫌ですね。体よく不用品を処分したみたいで……”と、眉をしかめてみせた。
 私は複雑な思いでその言葉を聞いていた。
 アフリカの問題に対しては、私自身まだまだ傍観者という立場でしかないし、意識のどこかで、海を越えた他国の出来事という思いがある。
 お金や物を送りさえすればそれでいいとは思わない、しかし何もしないよりは、何か出来ることがあるなら行動した方がいいとは思っている。
 恥ずかしいことだが私の中ではまだまだ、チャリティやボランティアというものに対する確固たる何かがない。
 ただ私自身も私の家族も、偶然、飢えもなく、戦争もない恵まれた土地の恵まれた時代に生まれたのだという思いだけは、いつも持っている。
 元気に育っている我が子が、もしかしたらあの枯れた土地に生まれていたかもしれないし、テレビに映った哀しい瞳のやせた子供は、もしかしたら自分の子供だったかもしれない──そう思うと、同じ人間としてもっと真剣に考えなければならない責任を感じる。
 LIVE・AID(地球コンサート)は、きっと私より何倍も真剣にアフリカを救おうという強い気持ちを持った人たちの、地球サイズのコンサートだったはずである。
 しかしあの日のテレビ中継を見ていて、人の熱い祈りにも似た想いや、情熱のようなものが、それぞれ別の意識を持った人たちの心やからだを包みこむところまでいくことは本当に難しいと思った。
 人から人へ伝わって、その間を埋める人の数が多ければ多いほど、想いや情熱はともすれば輝きを失い、なかなか原型通りには届かないものだと思った。
 茶の間にいながらにして、臨場感を味わわせてくれるテレビ。
 しかしそのテレビによって地球コンサートや、ともすると地球までもが、テレビ画面と同じ大きさにされてしまったような気がする。
 三十数年にも亙るテレビの歴史の中で、技術はこれからも進歩し、充実して行くのだろう。
 でも四方を海に囲まれた日本という土地に、テレビ画面の中から海を越えた熱い息吹きが届けられるためには、まだまだ時間がかかるのかもしれない」(三浦百恵「窓に吹く風5〜息子のライバルはテレビ」/Emma '85年8月25日号/文藝春秋)

 この文章を読んで私は考えさせられた──果たして、三浦百恵さんはシャーデーを見たのだろうか? ブラウン管に映るちあきなおみ似のアフリカ系イギリス人女性が、自分とほぼ同時にこの世に生まれた人間であることなど彼女には知る由もなかっただろうが、この2人のよく似た歌手(と私は思っている)の“邂逅”を想像して、私は秘かに胸を躍らせてしまうのだった。
 
 シャーデーはコンサート開始から約3時間後にステージに登場した。最初の4時間を見ていたなら、長くトイレにでも行っていない限り、三浦百恵さんがシャーデーを見た可能性は高いように思われる。しかしながら、答えは、はっきりと否である。その日、三浦百恵さんは絶対にシャーデーを見ていなかった。なぜなら、『THE・地球・CONCERT』でシャーデーの出演部分は丸ごとカットされ、日本の視聴者がシャーデーの姿を目にすることはなかったからである。フジテレビ、ふざけんなー!

Live_Aid10.jpg
シャーデーの声は日本に届かなかった(背中も拝めなかった……)



山口百恵 関連記事◆目録

| TV Appearances | 22:53 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT